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野方町丸山に点在する古墳の痕跡。 [気になる神田川]

明治寺1.JPG
 江戸東京には、「丸山」あるいは「円山」という字名(あざな)が散在している。いや、東京ばかりでなく丸山(円山)は、摺鉢山Click!稲荷山Click!天神山Click!などと同様に、全国規模の典型的な古墳遺跡地名でもある。下落合でも、丸山Click!という地名が江戸初期の資料からも確認でき、江戸末期には下落合氷川明神社Click!の東側に位置づけられている。そして、丸山の西側(下落合847番地)には摺鉢山Click!という地名が、明治末あるいは大正初期まで残されていたことも判明した。
 落合地域の周辺を見まわすと、下落合の西隣りにあたる野方町(現・中野区)にもまた、丸山の字名がそのまま現代まで地名として存続している。(丸山のエリアは、戦前より少し西へズレているようだが) しかも、相対的に市街化が少し遅れたせいか、丸山塚や稲荷塚、狐塚、経塚など、散在する古墳とみられる塚名までが伝えられているケースが多い。また、南の沼袋地域から北の江古田地域(武蔵野鉄道=現・西武池袋線の駅名ではないので「えごた」発音)にかけての妙正寺川とその支流沿いには、下落合と同様に出雲の氷川社が展開する一帯でもある。
 わたしが、野方町の丸山が気になったのは、明治末の陸地測量部による1/10,000地形図の字名を参照し、すぐに1947年(昭和22)の焼跡が拡がる空中写真を確認してからだ。以前、西武新宿線の沼袋駅近くにある出雲の沼袋氷川明神社Click!が、東京に点在するあまたの氷川明神Click!と同様に、もともとは古墳ではないかという記事を、地名相似とからめて書いたことがあったが、野方の丸山はその北北西の地域にあたる。わたしが目を見はったのは、沼袋氷川明神社から丸山の地名があった丸山塚とのちょうど中間点にある、明治寺および久成寺の境内と墓地のかたちだ。
 明治寺はその名のとおり、明治末の1912年(明治45)に建立された新しい寺だが、別名「百観音」として知られており、一部の境内が公園として開放されている。その境内は、南へと下る妙正寺川の河岸段丘上の“ヘリ”に位置しており、見晴らしのいい場所だ。そして、境内のフォルムが古墳時代初期の三味線のバチ型をした宝莱山古墳Click!と同様、前方後円墳の前方部に酷似しているのだ。寺々の墓域となったせいか境内の形状がよく保存され、現代の空中写真でもハッキリとそのかたちを確認することができる。そして、明治寺の本堂はおそらく後円部の中心点、つまり地中にある玄室の真上に建てられていそうな点も非常に興味深い。この前提で古墳のサイズを想定すると、その全長は東西方向へ約220mほどになるだろうか。記述の便宜上、この前方後円墳状のかたちをした境内を、明治寺古墳(仮)と呼びたい。
 さっそく現地を訪ねてみると、いまだ三味のバチ型に沿って地面の盛りあがりを確認することができる。特に南側は墓域にしたせいか、土地が落ちこむ形状そのまま墓地内に擁壁が設けられ、北側は前方部とみられるゆるいカーブの道路に沿って低い築垣がつづいている。後円部は、なんらかの膨らみがあったことを示す道筋が残されているけれど、1936年(昭和11)の空中写真で確認しても大半が新しい道路の敷設と、昭和初期の宅地化で失われているようだ。、明治寺古墳(仮)は、沼袋氷川明神社から北西へ300mほど、古墳と規定されている丸山地域の丸山塚からもわずか120mという至近距離に位置する。
沼袋氷川明神社1947.jpg 沼袋氷川明神社フォルム1947.jpg
沼袋氷川社.JPG
野方村地形図1910.jpg
 さて、丸山塚は現在公園として整地され、昔日には塚状に盛りあがっていた地面の凹凸も存在していない。北側の新青梅街道ぎわには、大きな中野区のビル施設が建設されており、形状や起伏まで含め古墳の全域が破壊されたケースだ。ただし、公園の隅にはかつて墳丘(北側に前方部のある帆立貝式古墳か?)のどこかに奉られていたとみられる、小さな祠が残されていた。この小祠は、室町期の戦の記念として「豊島二百柱社」とされているようなのだが、明らかに造形は稲荷の祠であり後世の付会ではないだろうか。地元では、江戸期から丸山塚を別名・稲荷塚と呼んでいたことが記録されており、この経緯は世田ヶ谷の上野毛に保存されている稲荷丸塚古墳とそっくりだ。
 また、丸山塚古墳の名称は東京のみならず、周辺域では甲府市内にも存在している。甲府の丸山塚古墳(甲斐銚子塚古墳附)は全長約70~80mほどの円墳だが、野方の丸山塚もまた戦前戦後の空中写真で見るかぎり、古墳域は100m弱ほどの規模とみられる。甲府の丸山塚古墳の南西100m余のところには、4世紀後半に築造された大型の前方後円墳、全長約170mの甲斐銚子塚古墳が築造されている。丸山塚古墳と明治寺古墳(仮)の関係もまた、築造位置の近さから甲府のケーススタディのように、被葬者同士でなんらかの関係性を示す墳墓だったものだろうか。
 丸山塚からさらに北へとたどり、近くを江古田川(妙正寺川支流)が流れる、段丘上の江古田氷川明神社までのエリアは経塚、狐塚、稲荷塚と、なんらかの古墳があったことを示すメルクマールの密集地帯だ。その名称からも明らかなように、これらの塚状の突起あるいは出現した羨道・玄室などの洞穴は、おもに室町期から江戸期にかけ説明しやすいなんらかの物語や解説が付与され、そう呼ばれるようになったことは、全国の古墳事例をみても想像に難くない。このサイトでも、池袋の狐塚Click!や百人町の真王稲荷塚Click!について、ずいぶん以前にご紹介していた。
丸塚・明治寺古墳(仮)1947.jpg
丸塚・明治寺古墳(仮)フォルム1947.jpg
明治寺2.JPG
明治寺3.JPG
丸山塚.JPG
 丸山塚から北東へ約250mほど、中野区立歴史民俗資料館の真裏にあたる経塚は、すでに墳丘が崩されて久しいらしく、住宅の庭先のような風情になっている。江戸期から、地蔵の石仏が安置されていたようだが、塚名だけが後世に継承されているだけで、もともとの墳丘のかたちや規模は調査がなされていないので不明だ。設置されたプレートによれば、それほど大きな塚ではなかったらしいが、江戸期の開墾ですでに本来の姿を失っていたのかもしれない。
 経塚の北北西約110mのところには、稲荷塚と狐塚が隣り同士で並んでいる。江古田川に向かい、急激に下るバッケClick!(崖地)状の斜面に、双子のような墳丘が築造されていたのかもしれない。戦前の空中写真を参照すると、周囲を畑地に開墾されつくした中の畦道沿いに直径数十メートルの塚が2基、ポツンと取り残されているのが見てとれる。あるいは、もともとひとつの古墳だったものが、開墾中に玄室と羨道の洞穴が別々に出現したため、それぞれ稲荷塚と狐塚の別名がつけられた可能性もある。その場合、墳丘の規模は30mほどになるが、古墳の羨道と玄室部のみが崩されずに残されたと考えると、墳丘はさらに大きかったのかもしれない。
 そして、稲荷塚と狐塚の北東約150mのところに、下落合氷川明神の境内と近似した釣り鐘型をし、現状の地形からも、また戦前の空中写真でも、鍵穴型のフォルムを類推できる江古田氷川明神社が鎮座している。また、江古田氷川社の北側には、湾曲した江古田川(妙正寺川支流)に向かって大きく半島状に張りだした丘があり、1920年(大正9)より東京市結核療養所Click!(江古田結核療養所=中野療養所)が設置されていた。このサイトでは、同療養所の副所長で中村彝Click!の主治医だった遠藤繁清Click!が登場している。この見晴らしのいい丘上にも、いくつかの古墳があったのではないかと思われるが、中野療養所の建設とともに丘全体が大規模開発されており、その痕跡は確認できない。
 さらに、戦後の焼跡写真では、江古田氷川明神社から千川上水Click!に近接する武蔵大学Click!のキャンパス(練馬区)まで、もともとは古墳らしいサークル状の痕跡をいくつか確認できるが、中野区側のように塚名は今日まで伝承されていない。以前、練馬の向原地域に残る古墳の痕跡Click!を追いかけたことがあったが、中野から練馬、さらに板橋の渓流が流れる谷戸の丘上ないしは斜面には、古墳時代全期を通じて大小の墳墓が連続して築造されていた可能性が高い。それは、周辺で発掘される古墳期の集落跡とともに、あながち無理な想定でもないだろう。
経塚稲荷塚狐塚江古田氷川明神1941_2.jpg
経塚稲荷塚狐塚江古田氷川明神1947.jpg
経塚.JPG
稲荷塚・狐塚.JPG
江古田氷川社.JPG
 1941年(昭和16)に陸軍が東京の西北部を撮影した、斜めフカンの空中写真Click!が残されている。中野では、北側の中野療養所から南の沼袋駅方面までを撮影した1枚が残されているが、沼袋氷川明神社から明治寺古墳(仮)、丸山塚古墳、経塚、狐塚、稲荷塚、そして江古田氷川明神社までがパノラマ状にとらえられており圧巻だ。これらの痕跡以外にも、田畑の中にはそれらしいサークルやお椀を伏せたような盛り上がりが確認できるので、江戸期から大規模な開墾が行われていたとはいえ、さらに多くの古墳とみられる遺跡が残されていたのではないだろうか。

◆写真上:沼袋氷川社と丸山塚とではさまれるように位置する、明治寺の広大な境内。
◆写真中上は、1947年(昭和22)の空中写真にみる沼袋氷川明神社のかたち。は、同社の境内に残る御嶽社Click!稲荷社Click!、さらに明治政府による「日本の神殺し」政策Click!に抗しオモダルとカシコネの夫婦神がそろった第六天(天王社)Click!の3社。は、1910年(明治43)に作成された1/10,000地形図にみる各遺跡の位置関係。
◆写真中下のモノクロ2葉は、1947年(昭和22)の空中写真に見る丸山塚古墳と明治寺古墳(仮)のかたち。からへ、明治寺の広い境内×2枚と北側のカーブを描く築垣、公園となった丸山塚の現状。左隅に、もともとは稲荷とみられる小祠が写っている。
◆写真下は、1941年(昭和16)と1947年(昭和22)の空中写真にみる経塚、狐塚・稲荷塚、そして江古田氷川明神社。からへ、ほとんど痕跡が残っておらず地蔵尊が奉られている経塚跡、かつて急斜面に存在し現在は公園化された稲荷塚と狐塚跡、空襲で焼けなかった江古田氷川明神の階段(きざはし)と拝殿。
記事末写真:中野療養所の上空から南を向いて撮影された1941年(昭和16)の斜めフカン写真で、江古田氷川社から沼袋氷川社まで遺跡の位置関係が一目瞭然だ。
経塚稲荷塚狐塚江古田氷川明神1941.jpg

読んだ!(27)  コメント(37) 
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コメント 37

ChinchikoPapa

わたしの世代は、おそらく文庫から石坂洋次郎の作品がどんどん消えていった時期と重なりますので、原作も映画・ドラマもほとんど鑑賞してないんじゃないかと思います。親につき合って、TVで『青い山脈』は観たでしょうか。どちらかというと、親の世代に人気が高かった作家ですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>いっぷくさん
by ChinchikoPapa (2019-01-25 10:38) 

ChinchikoPapa

「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>鉄腕原子さん
by ChinchikoPapa (2019-01-25 10:38) 

ChinchikoPapa

いつも、「読んだ!」ボタンをありがとうございます。>@ミックさん
by ChinchikoPapa (2019-01-25 10:39) 

ChinchikoPapa

大分市美術館は、現代アートが専門の美術館なのでしょうか。美術館へ入る前に、なんだか周辺をウロウロしたくなりそうです。館の周囲を、現代彫刻やインスタレーションが取り囲んでいるような雰囲気ですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ryo1216さん
by ChinchikoPapa (2019-01-25 10:45) 

ChinchikoPapa

池や湧水源を宅地化や道路で埋められ、祠だけがポツンと残った龍神社や弁天社が都内にもありますが、面倒をみる方が亡くなると徐々に荒廃していきますね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kiyoさん
by ChinchikoPapa (2019-01-25 10:53) 

ChinchikoPapa

「taxi horn」という耳慣れない楽器はなんだと思いきや、プープーと鳴らす空気袋のついたクラシックカーの警笛なんですね。初めて知りました。ほんとうに、楽器屋さんで扱っているのでしょうか。w 「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>xml_xslさん
by ChinchikoPapa (2019-01-25 10:59) 

ChinchikoPapa

きょうは北関東が雪だとの予報でしたが、明日になると平野部にも雪が舞うかもしれないとのことで、いまから厚着の用意をしています。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>okina-01さん
by ChinchikoPapa (2019-01-25 11:01) 

ChinchikoPapa

高架を貨物が走る山下臨港線は、子どものころの情景でなんとなく記憶があります。確か横浜博覧会では、遊覧電車のような使われ方をしましたね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>tarouさん
by ChinchikoPapa (2019-01-25 14:42) 

Marigreen

私は、古墳には関心がないのですが、記事を読んでいて気付いたのは、下落合は西洋文明には、関連はなかったのでしょうか?
私は『アルプスの少女ハイジ』が一番好きで、子供の頃は、旧約聖書や新約聖書、ギリシャ神話と、日本の神道とか仏教には、あまり関心がなかったので、不思議に思うのです。
by Marigreen (2019-01-25 16:12) 

ChinchikoPapa

Marigreenさん、コメントをありがとうございます。
落合地域は西洋文明に関係ないどころか、明治末から東京でも有数のキリスト教系関連施設(教会や大病院、学校など)の密集地であり、大正期からはディベロッパーが目黒の洗足地域と並び、本格的な欧米型モダン住宅街の開発を企画したハイカラな土地柄です。
ちなみに、きょうの記事でご紹介しているのは落合地域(新宿区)ではなく、西隣りの野方町地域(中野区)でした。
by ChinchikoPapa (2019-01-25 17:09) 

ChinchikoPapa

親たちは白い筋を取っていましたが、わたしは気にせずそのまま食べてしまいます。みかんの皮も、干したやつ(陳皮)は昔から咳止めとして有名ですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kiyokiyoさん
by ChinchikoPapa (2019-01-25 17:16) 

kiyokiyo

ChinchikoPapaさん
こんばんは
早速、お立ち寄り頂きましてありがとうございます。
それにブログ紹介まで^^ 本当に本当に感謝いたしますm(_ _)m
今後ともよろしくお願い致します。


by kiyokiyo (2019-01-25 20:14) 

ChinchikoPapa

kiyokiyoさん、コメントをありがとうございます。
かんじんの、kiyokiyoさんのブログのご紹介を忘れていました。^^;;
さっそく登録いたしました。すみません、いつも抜けていて。(汗)
by ChinchikoPapa (2019-01-25 20:34) 

ChinchikoPapa

ラベルの手書き修正は、ちょっと珍しいですね。ふつうは、訂正シールを印刷して貼りそうですが。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>skekhtehuacsoさん
by ChinchikoPapa (2019-01-25 22:51) 

ChinchikoPapa

わたしも、来年に迫っているWindows 7のサブマシンが1台残っているので、そろそろ後継を考えなければならないです。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>コウメイさん
by ChinchikoPapa (2019-01-25 22:56) 

ChinchikoPapa

明日の寒気が、かなり気がかりです。なんとか、雪が降らずにいてくれると嬉しいのですが。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kazgさん
by ChinchikoPapa (2019-01-25 23:53) 

kiyokiyo

ChinchikoPapaさん
こんにちは
僕のブログまでご紹介頂けるんです?^^
ありがとうございます!
僕もChinchikoPapaさんのブログを紹介させて頂きますね^^
by kiyokiyo (2019-01-26 15:42) 

ChinchikoPapa

kiyokiyoさん、重ねてコメントをありがとうございます。
どうぞ、これからもよろしくお願いいたします。<(_ _)>
by ChinchikoPapa (2019-01-26 16:01) 

ChinchikoPapa

谷中のネコは海外でも人気が高いのか、ネコカフェには外国人の団体さんがいたりしますね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>八犬伝さん
by ChinchikoPapa (2019-01-26 16:04) 

ChinchikoPapa

ご訪問と「読んだ!」ボタンを、ありがとうございます。>hirometaiさん
by ChinchikoPapa (2019-01-27 12:05) 

ChinchikoPapa

ハクサイとベーコンの炒め物は聞きますが、ダイコンとベーコンは珍しいですね。ちょっと、食べてみたいです。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>takaさん
by ChinchikoPapa (2019-01-27 12:06) 

ChinchikoPapa

昔は樹木そのものや木の実、落ち葉などでよく遊んだものですが、いまの子は遊び方自体を知らないんでしょうね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>simousayama-unamiさん
by ChinchikoPapa (2019-01-27 12:09) 

ChinchikoPapa

この冬いちばんの寒さで、すっかり風邪を引いてしまったようです。きのう今日は、寝てよう日になっています。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>白髭老人さん
by ChinchikoPapa (2019-01-27 12:11) 

ChinchikoPapa

「小豆島ふるさと村」も「映画村」と同様に、わたしが同島をまわったころにはなかったです。おそらく、ずいぶん風景も変わってるんでしょうね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>dendenmushiさん
by ChinchikoPapa (2019-01-27 12:19) 

ChinchikoPapa

さすがに、大河の天竜川の河口は広いですね。
「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>yamさん
by ChinchikoPapa (2019-01-27 12:23) 

ChinchikoPapa

ご訪問と「読んだ!」ボタンを、ありがとうございました。>smothalaさん
by ChinchikoPapa (2019-01-27 12:26) 

ChinchikoPapa

いつも、「読んだ!」ボタンをありがとうございます。>ネオ・アッキーさん
by ChinchikoPapa (2019-01-27 12:28) 

セカオク

トピックと関係ない「近衛」ネタで恐縮です。

外国人に近衛文麿を理解してもらおうといろいろネットリソースを当たっていたところ、以下の映像に出くわしました。
https://youtu.be/5whrll-0hNw?t=54
で見られる近衛邸は下落合でしょうか?それとも麹町、荻外でしょうか?古文献を多読されてるChinchikoPapa さんにとってエクステリアのアピアランスにお心当たりがあるかどうかと思い質問しました。

急ぎませんのでよろしくお願いします。
by セカオク (2019-01-27 18:05) 

ChinchikoPapa

セカオクさん、コメントをありがとうございます。
夜間撮影で周囲が暗いため、どこの近衛邸だかわからないですね。近衛文麿の首相時代だとすると、麹町の邸かもしれません。ただし、麹町邸は陳情団や訪問客が多いため、しょっちゅう下落合か荻窪に「避難」していたようですが……。

by ChinchikoPapa (2019-01-28 10:26) 

ChinchikoPapa

寒い夜は、家族みんなで鍋を囲むに限りますね。
「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>SORIさん
by ChinchikoPapa (2019-01-28 10:29) 

ChinchikoPapa

『お母さの声がするよ』は、やさしいメロディーですぐに口ずさめそうですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>アヨアン・イゴカーさん
by ChinchikoPapa (2019-01-28 10:32) 

ChinchikoPapa

「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ありささん
by ChinchikoPapa (2019-01-28 10:32) 

ChinchikoPapa

こちらにも、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>NO14Ruggermanさん
by ChinchikoPapa (2019-01-28 16:49) 

ChinchikoPapa

寒ツバキでしょうか、満開ですね。
「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>soramoyouさん
by ChinchikoPapa (2019-01-29 09:50) 

ChinchikoPapa

カモ肉とザクロのパスタは、味が想像できません。緑の季節も雪景色も、ほんとうに絵葉書のように美しいですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>fumikoさん
by ChinchikoPapa (2019-01-31 10:16) 

セカオク

ありがとうございました
by セカオク (2019-02-01 07:10) 

ChinchikoPapa

セカオクさん、コメントをありがとうございます。
昼間に撮影された下落合の近衛邸での様子は、以前にニュース映画で見たことがあるのですが、どうもエントランスの雰囲気がちがうようです。また、「荻外荘」の近衛通隆様はお邪魔したことがあるのですが、その風情とも異なる気がします。
by ChinchikoPapa (2019-02-01 11:37) 

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