清水多嘉示の「タピ」が彝自画像のモチーフに。 [気になる下落合]
先年、中村彝Click!がパリに留学中の清水多嘉示Click!にあてて、できるだけ早急に「タピ」(タペストリー=室内装飾の模様入り織物または布地)を送るよう依頼している、1923年(大正12)秋に出された手紙をご紹介Click!した。彝が死去した直後、木星社Click!の福田久道Click!が撮影したとみられるアトリエ内の写真にとらえられた、まるで織物の模様のようなデザインのドアペインティングClick!にからめて書いた記事だ。
中村彝の清水多嘉示にあてた手紙は、おそらく1ヵ月ほどでパリのシテ・ファルギエール14番地に到着して、手紙を読んだ清水多嘉示は大急ぎで樹々が紅葉しはじめたパリの街へと飛びだし、彝の要望に沿いそうなタペストリーや布きれなどを室内装飾店で何点か購入しているのだろう。そして、間をおかずに品物を梱包し、日本行きの船便で下落合464番地の中村彝あてに送っているとみられる。なぜ、その経緯がわかるのかといえば、中村彝はパリの清水多嘉示から送られた「タピ」(織物または布地)を画面に入れて、おそらく1923年(大正12)の暮れまでに最後の自画像を仕上げているからだ。
彝の手紙の一部を、1926年(大正15)に岩波書店から出版された『藝術の無限感』収録の、清水多嘉示あての手紙から再び引用してみよう。
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さて別封の為替百円は、これで何か静物や人物画のバック等に用ゆべきタピの類で(中略)ごく安物で、比較的気持ちの悪くないものを古でいゝから仕入れて欲しいのだがどうだらう。馬越(舛太郎)君と相談して散歩のついでにでも目に止つたものをいゝ加減に買つて呉れゝばそれで結構だ。御忙しい処をほんとに御気の毒だが、なるべく早く送つてくれ。それでないと僕の寿命が長くは待ち切れさうもないから……余り吟味せずに、どんなのでもいゝからなるべく早く、ナルベク。(カッコ内引用者註)
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1923年(大正12)10月ごろから、中村彝は髑髏(頭蓋骨)をモチーフに何点かの画面を仕上げている。髑髏の周囲には、「建築物の残骸や、毀れた車輪、布片、破れ人形、ペーパー、鉄片等」(『藝術の無限感』より)を配置したもので、同年10月5日付けの洲崎義郎Click!あての手紙に制作の予告をしている。そして、10月末ごろからその髑髏を手にした、40号の『頭蓋骨を持てる自画像』の制作に着手した。だが、制作の途中で高熱が出てしまい、自画像の制作はいったん中断する。
そのときの様子が、黒澤久乃にあてた1923年(大正12)11月26日付けの手紙に書かれているので、再び『藝術の無限感』より引用してみよう。
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この秋から毎日一二時間位づゝ制作が出来る様になつて、久しぶりで充実した幸福を味へる様になつたのも束の間、この月初めから又しても発熱して折角開いた画室を再び閉めねばならなくなり、色々描いた空想も構図も又さのまゝ葬り去られねばならないのかと、毎日不快な日を送つてゐる処へ御手紙を戴いたのです。どんなにうれしく拝見したでせう。この写真はその時まで続けて居た未成の自画像(四十号)を友人の医師が撮つたものです。レンズが小さくて下の方が入らなかつたのです。
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そして、暮れも近いころに、清水多嘉示がパリから送った荷包が下落合464番地のアトリエに到着していると思われる。彝は、なにやら模様が入った、向こうが透けて見える薄めな織物(レース状の布地?)を、まるでカーテンでも吊るすかのように背景に配して、『頭蓋骨を持てる自画像』を完成させた。
パリからとどいた「タピ」を、中村彝は吊り輪をつけたり(岡崎キイClick!の仕事かもしれない)、棒に通したりして多少加工しているようだが、『頭蓋骨を持てる自画像』の画面に配置されたモチーフについて、鈴木良三Click!の証言を聞いてみよう。1977年(昭和52)に中央公論美術出版から刊行された鈴木良三『中村彝の周辺』より。
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多湖実輝から借りた髑髏をいろいろな工夫をして----煉瓦を重ねたり、粗末な台の上にのせたりしてデッサンや、パステルや、油彩で描き、バックに用いるつい立てみたいなものを河野栄広(ママ:河野輝彦)に作らせたり、清水多嘉示がフランスから送って来た布をそれにかけ、おばさんに黒いガウン様のものを縫わせたりして、「髑髏を持てる自画像」(現在では『頭蓋骨を持てる自画像』)を描き上げたりしたものだ。画風もキュービズムの傾向を加味し、グレコの昇天のリズムを取り入れたりして、静物などにも大きな変化を来した。後に批評家の中にはこれらの作品に賛辞を送る者が多くなったようにも思われる。(カッコ内引用者註)
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文中にも註釈を入れたが、今日では『髑髏を持てる自画像』はタブローを描く以前に残された、同作のスケッチにふられたタイトルであり、40号キャンバスのタブローは『頭蓋骨を持てる自画像』として差別化されている。また、酒井億尋Click!の紹介で新潟県の佐渡からやってきた、画家志望の大工・河野輝彦Click!のことを、鈴木良三はなぜか「河野栄広」と誤記している。
鈴木良三によれば、『頭蓋骨を持てる自画像』に描かれたモチーフの手配あるいは制作には、少なくとも4人の人物が協力していたのがわかる。この記事のテーマである、清水多嘉示がパリで購入した濃い青色の「タピ」は、彝の背後へカーテンを吊るすようにセッティングされた。タペストリーにしては、向こうが透けて見えるほどの薄さなので、おそらくレースカーテンのような材質のものを採用しているのだろう。その手前には、大工が本職だった河野輝彦によって、アーチ状の木工細工が設置されている。
中村彝が肩にかけている、まるでインバネスClick!の上半分のような縫い物は岡崎キイの針仕事だ。また、彝が手にしている頭蓋骨は、理科(植物学)の教師だった多湖實輝がモチーフ用として彝に貸しだしたものだ。画面右端のテーブルの上には、彝が日々愛飲していた『カルピスの包み紙のある静物』Click!でもおなじみの、大正後期に販売されていたカルピスClick!の容器が花瓶のように置かれている。彝は、制作に用いる小道具類やモチーフをけっこうマメにこしらえているが、この時期は発熱がつづいて、自分で思うように小道具を制作できなかったのだろう。
1923年(大正12)11月5日の時点で「未成の自画像(四十号)」だった『頭蓋骨を持てる自画像』、2003年(平成15)に出版された『中村彝の全貌』展図録の年譜によれば「八分通り仕上げた」同作は、おそらく暮れも押し詰まった時期に完成しているのだろう。
◆写真上:中村彝『頭蓋骨を持てる自画像』の上部で、清水多嘉示がパリから送った布地が吊るされた部分。清水は、大急ぎで購入して返送しているのだろう。
◆写真中上:上は、1923年(大正12)に連作された中村彝『髑髏のある静物』。下は、中村彝から清水多嘉示あてた1923年(大正12)12月22日パリ消印の封筒。
◆写真中下:上左は、1923年(大正12)秋に描かれた中村彝のスケッチ『髑髏を持てる自画像』。上右は、同年の暮れに完成したとみられる中村彝『頭蓋骨を持てる自画像』。下は、『頭蓋骨を持てる自画像』に使われた小道具類の構成。
◆写真下:上は、銀座伊東屋の原稿用紙に書かれた中村彝から清水多嘉示あての手紙。下左は、1919年(大正8)に清水多嘉示が撮影したアトリエの庭に立つ彝。下右は、パリのシテ・ファルギエール14番地のアトリエで制作する清水多嘉示。
★掲載されている清水多嘉示関連の写真・資料は、保存・監修/青山敏子様によります。
「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>鉄腕原子さん
by ChinchikoPapa (2019-06-03 17:44)
いつも、「読んだ!」ボタンをありがとうございます。>@ミックさん
by ChinchikoPapa (2019-06-03 17:46)
綿棒マツの盆栽らしき展示には、思わず笑ってしまいました。黒い綿棒を使えば、クロマツになりますね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ryo1216さん
by ChinchikoPapa (2019-06-03 17:49)
『Body and Soul』が秀逸ですね。不安定さのある、どこかユーモラスな音色が楽しいです。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>xml_xslさん
by ChinchikoPapa (2019-06-03 17:53)
さまざまな職業がある中で、サラリーマンが「気楽な稼業」だった時代の映画ですね。現代ですと、いちばん辛い職業のひとつになるでしょうか。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>いっぷくさん
by ChinchikoPapa (2019-06-03 17:57)
わたしの世代ですと、小学校低学年が机ごとひっくり返したくなる脱脂粉乳で、高学年にようやく壜牛乳が登場しました。三角パックでは子どものころ、牛乳ではなくジュースを飲んだ印象があります。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kiyokiyoさん
by ChinchikoPapa (2019-06-03 17:59)
「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ありささん
by ChinchikoPapa (2019-06-03 18:00)
「読んだ!」ボタンをありがとうございます。>はじドラさん
by ChinchikoPapa (2019-06-03 18:01)
あんな事件があると、子どもたちの見守りは切実な課題ですね。
「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>hirometaiさん
by ChinchikoPapa (2019-06-03 19:39)
70年代に「教育棄民」という言葉が生れてますが(高杉晋吾の造語だったでしょうか)、その範囲がどんどん広がっているのが、この40年間の教育状況のように見えます。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ハマコウさん
by ChinchikoPapa (2019-06-03 19:44)
ハッチョウトンボは、うちの近辺では見たことがないです。ふつうのトンボ類はいろいろ見ますが、この小さいやつは記憶にないですね。飛翔していたら、おそらく鮮やかな色で気づくと思うのですが……。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kazgさん
by ChinchikoPapa (2019-06-03 19:48)
「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>はっこうさん
by ChinchikoPapa (2019-06-03 21:32)
榛名山というと、すぐに夢二工房が思い浮かぶんですが、夢二の名を冠した酒も群馬県にはありそうですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>skekhtehuacsoさん
by ChinchikoPapa (2019-06-03 21:52)
クジャクは、長時間ながめていても飽きない鳥ですね。変える姿勢らよって、羽毛がいろいろな色合いに見えるからでしょうか。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>soramoyouさん
by ChinchikoPapa (2019-06-04 00:30)
サンドウィッチは簡単な料理に見えて、実は非常に奥が深いですね。美味しいサンドには、なかなか出あえません。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>マルコメさん
by ChinchikoPapa (2019-06-04 00:33)
骸骨が出てくる不気味な絵なのにプロが描くと美しいですね。
親が「芸術は所詮遊びだ」という教育方針で育てたので絵も見せてくれず音楽も聞かせてもらえなかったから、プロの画家の描いたものだけでなく素人の絵でも感動します。
親は「社会の役に立つ人間になれ」と豪語していたので姉などは「演劇」「ピアノ」「声楽」等の才能があったのに、父の跡を継いで「司法試験をやれ」と圧迫されて結局受からず中途半端な人間になってしまいました。私も同様です。
絵や音楽をやっていると今でも「罪悪感」がします。
by Marigreen (2019-06-04 10:35)
Marigreenさん、コメントをありがとうございます。
芸術は、まちがいなく「遊び」なのですが、想像力と創造力を無限に解放し拡げてくれる大人の遊びですね。人間の役に立つのは、別に「学術」の分野とは限りません。
子どもを、めいっぱい(外で)遊ばせるのは非常に大切だと思っていて、そこで形成される人間関係の機微や判断力、洞察力、問題意識、バランス感覚はかけがえのないものだと思いますので、「遊んでないで(学校の)勉強をしろ」は、家では禁句にしていました。つまらない文部省の学習より、遊びの中から得るもののほうが、心の引き出しをたくさん増やすことができて、将来を大きく左右するベースになると思います。
by ChinchikoPapa (2019-06-04 13:17)
わたしも学生時代に、新宿のJAZZ喫茶で濃厚なラブシーンを見せられた経験があります。いい歳をしたヲジサンと若い子だったのですが、入る店を完全にまちがえてるカップルで店内でも浮いてましたね。“場”や状況をわきまえない恥っつぁらしたちですが、薄暗いので「同伴喫茶」(死語)とまちがえたものでしょうか。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ぼんぼちぼちぼちさん
by ChinchikoPapa (2019-06-04 21:58)
東北地方がらみのコンサートということで、津軽三味線のイメージで写真を拝見しましたら、太棹ではなく細竿でしたね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>NO14Ruggermanさん
by ChinchikoPapa (2019-06-05 12:35)
日産はCMへの露出度を上げ、展示会では新車を打ち上げていますけれど、どこか地に足がついていない感覚のまま漂流しているように感じるのは、わたしだけでしょうか。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>siroyagi2さん
by ChinchikoPapa (2019-06-05 12:39)
こちらにも、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ネオ・アッキーさん
by ChinchikoPapa (2019-06-06 17:11)
この自画像は、宗教的なものを感じます。構図や表現がエル・グレコに、また、筆の運びや色彩もセザンヌに似ていると思ったのですが、
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画風もキュービズムの傾向を加味し、グレコの昇天のリズムを取り入れたりして
と言う解説があり、やはり、と。
死を意識していて、宗教的になることがあったのかなと思いました。
by アヨアン・イゴカー (2019-06-08 13:27)
アヨアン・イゴカーさん、コメントと「読んだ!」ボタンをありがとうございます。
おっしゃるとおり、あまりにもグレコ風の画面ですね。ただ、エル・グレコは、絵の具をしっかりのせて重厚に描いているのに対し、中村彝は体力が限界だったのか薄塗りです。そこに、グレコにはない儚さみたいなものが感じられ、悟りきったような諦念の眼差しとともに、彝ファンには響く所以でしょうか。
by ChinchikoPapa (2019-06-08 15:04)
こちらにも、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kiyoさん
by ChinchikoPapa (2019-06-16 21:40)
初めまして。とても詳しい解説ありがとうございました。個人的に「頭蓋骨を持てる自画像」は中村彝の作品の中でも特に好きな作品なので興味深かったです。見れば見るほど、いい目をしていますね。カルピスの容器に活けられた花は他の作品でも見かけたことのあるような気がしますが何の花なのでしょうか…。気になるところです。
by ぺい (2020-07-05 21:39)
ぺいさん、コメントをありがとうございます。
カルピスの空き瓶に花が活けられているのは、『カルピスの包み紙のある静物』(1923年)ですね。新聞紙を使って、西側の壁にうがたれた「壁龕」を左右逆転で描いた画面です。
https://chinchiko.blog.ss-blog.jp/2007-09-02
『カルピスの…』の花は、コスモスのようにもガーベラのように見えますが、なんの花でしょうね。赤にピンクと、かなり鮮やかな花弁ですが、庭先で育てていた花を切って活けたものかもしれません。
by ChinchikoPapa (2020-07-05 22:12)
近代日本洋画を学んでいる水谷です。先日は二瓶徳松、佐伯祐三についてご教示いただきありがとうございました。
さて、これもかねてより情報を頂戴している中村彜と清水多嘉示に関わる件です。中村彜の研究者、茨城県近代美術館の学芸員吉田衣里さんから、渡仏前の清水多嘉示が1922年2月、諏訪高女で主宰した「中原悌二郎・中村彜作品展」について照会がありました。上記URLホームページをご覧ください。カテゴリーTOPICS2021年5月掲載の【近代日本洋画こぼれ話】清水多嘉示その1渡仏前の生写真、の冒頭写真、清水の後ろの2枚の絵です。私は、清水が制作途上の自作を展示したものと理解していましたが、吉田さんによれば、中村彜作品の模写ではないか、特に「泉」はポーラ美術館所蔵の「泉のほとり」とそっくりだとのこと。早速調べてみたらまさに瓜二つでした。制作年1920年とあり時系列的にもぴったりです。他の同展会場写真や清水が撮った彜のアトリエ前のスナップなど現物を見たいとのことでした。
私がHPにUPした展覧会に関する写真や情報は、武蔵野美術大学黒川弘毅さん、本ブロブに度々登場する八ヶ岳美術館井上由理さんも充分持ち合わせていないようです。吉田さんには、落合道人さんと本ブログにつき紹介しました。本件に関し何か情報、ご見解などございましたらよろしくご教示ください。
by 水谷嘉弘 (2023-04-21 13:27)
水谷嘉弘さん、コメントをありがとうございます。
ええと、URLが見あたらなくて書かれているページがわからないのですが……。「板倉鼎・須美子の画業を伝える会」のトップページから、どこかへジャンプできるのでしょうか。
by ChinchikoPapa (2023-04-21 21:49)
水谷嘉弘さん、「清水多嘉示」「渡仏前の生写真」のキーワードでページを見つけました。
くだんの絵は、今村繁三や院展の展覧会場でルノワールの画面を観たあと、吉田様のおっしゃるとおり、中村彝が制作した『泉のほとり』を模写したものですね。確か洲崎義郎あての手紙か何かで判明したものだと記憶しています。
いま、手もとには武蔵野美術大学彫刻学科が刊行した「清水多嘉示/資料Ⅰ」(2009年)しかないので確認が取れませんが、清水多嘉示の現存する作品画像は「清水多嘉示/資料Ⅱ」に網羅されているはずです。彼の「下落合風景」を探して、全画像を仔細に拝見したのですが、残念ながらルノワール調の作品は記憶に残っていません。風景画ではないので、ついスルーしてしまった可能性もありますので、「清水多嘉示/資料Ⅱ」をご覧になれば、なにか新しい発見があるかもしれないですね。現存していれば、カラー画像で掲載されているはずです。
by ChinchikoPapa (2023-04-21 22:09)