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島抜けをまたかとため息つくだじま。 [気になるエトセトラ]

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 先日、佃島Click!「丸久」Click!さんへ佃煮を買いに出かけたら、舟入堀の水を抜いた面白い風景に出あった。漁舟のもやい場だった堀に土砂がたまり、より深く浚渫する工事のまっ最中だったのだろう。堀底にカルガモの親子がにぎやかに駈けまわる、めったに見られない光景だ。住吉祭の例大祭で使われる、大幟の柱と抱木を埋めておく佃小橋ぎわに囲われた堀底も、引き潮を待たずによく観察できた。
 佃島の舟入堀には、江戸最初期の普請の痕跡が残っていただろうか? 中央区の教育委員会による学術調査が入ったのかどうかは知らないが、堀割りを浚渫すると面白いものがいろいろ見つかりそうな気がする。まさか、この浚渫作業によって「丸久」の主人Click!が嘆いていたように、佃島の井戸に塩分が混じるようになったのではあるまい。地下水脈の破壊は、石川島や月島の再開発でもっと以前から進行していたのだろう。
 佃島は、もともと大川(隅田川)の河口に近い三角洲で、2丁四方の小島だった。また、佃島の北側には同様に鎧島と呼ばれた洲があったのだが、鎧島を埋め立てて佃島に隣接させ、新たに石川島と呼ばれるようになる。例の寛政年間に、加役(若年寄支配火付盗賊改方)の長谷川平蔵らが設置した、元罪人や終身懲役人、無宿者などに手職をつける世界初の犯罪者更生プログラム=「人足寄場」だ。当時、大川の河口域にあった島はこのふたつだけで、1892年(明治25)に埋め立てられた月島は、いまだ存在していない。
 わたしが物心つくころ、佃島には1964年(昭和39)竣工の佃大橋が架けられておらず、都営の佃渡し舟(蒸気船:無料)で渡ったのをかすかに憶えている。親父はいつも「天安」の佃煮が定番だったが(祖父母の代も「天安」だったのだろう)、子どもの舌に「天安」の製品はかなりしょっぱく感じたので、わたしの代からは「丸久」で買うようになった。当時、佃島の北側に接する石川島は、ところどころにクレーンが建つほとんどが倉庫街だったらしいのだが、わたしの記憶はハッキリしない。
 子どもの目に映った佃島は、まるで時代劇のセットか芝居の書割りに登場するような街並みだった印象があるので、おそらく江戸期からの建物や明治期の住宅が、いまだそのままの姿で残っていたのだろう。佃島は、1923年(大正12)の関東大震災Click!でも、1945年(昭和20)の東京大空襲Click!でも炎上せず、江戸期から明治期そのままの姿を残してきた。それは、島民が一丸となって防火や消火に努めてきたからだが、バブル経済がスタートする1980年代ごろから明治以降の建物ばかりになり、現在は明治・大正・昭和初期の住宅は数えるほどしか残っていない。
 ちなみに、1984年(昭和59)に東京都教育庁社会教育部文化課が行なった実地調査「中央区佃島地区文化財調査報告」によれば、明治期の住宅は22軒、大正期の住宅が83軒、昭和初期で戦前の建物が27軒、その他が戦後の現代住宅だった。もし、震災や戦争がなくて焼けていなければ、1980年代まで東京の他の地域にも佃島と同様の割合で、近代建築の住宅が街中のいたるところに残っていたかもしれない。
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 さて、江戸の寛政期から元罪人や終身懲役人、無宿者の更生施設=人足寄場として機能していた石川島だが、もちろん「なんでおいらが、マジな仕事しなきゃならねえんだよ」と、更生を拒否して人足寄場から逃げだす者も少なからずいた。人足寄場は、小伝馬町の牢屋敷Click!とは異なり、罪をつぐなった元罪人や無宿者なども手に職をつけるために収容していた施設なので、彼らが逃げたからといってすぐさま追手を差し向け、執拗に探索して捕縛するわけにはいかない。だが、服役中の終身懲役人が逃げた場合には牢破りとみなされ、火盗やのちには町奉行所の追及を受けることになる。
 現在では、上演される機会もまれになってしまったけれど、石川島の人足寄場を舞台にした「安政奇聞佃夜嵐(あんせいきぶん・つくだのよあらし)」という芝居がある。1892年(明治25)に古河新水(こがしんすい=12代目・守田勘弥と同人)が書き下ろした、いわゆる「菊吉時代」(人気の高かった6代目・尾上菊五郎Click!初代・中村吉右衛門Click!の大看板コンビ)の当たり狂言だ。初演は1914年(大正3)というから、佃島の住民たちも「ちょいと、江戸東京へいってくら」(佃島では築地側や日本橋側など大川の右岸へでかけることを「江戸へいく」、または明治以降は「東京へいく」と表現していた)と、浅草の市村座まで観劇に出かけていたのかもしれない。
 この芝居は、安政年間に起きた実際の牢破り事件を題材にしており、終身懲役刑で送りこまれた元・幕府御家人で主人公の青木貞次郎と神谷源蔵のふたりは、石川島の人足寄場で日々絶望的な苦役をさせられていた。青木貞次郎は、親を殺害した仇を探しだしてどうしても仇討ちがしたいと望んでいたが、それを聞いた神谷源蔵が、人足寄場からの脱出を勧めるという筋立てだ。ところが、牢破りを勧めた神谷源蔵こそが、親を殺害した張本人で憎んでも憎みきれない旧仇だった……という、現代では韓流ドラマでしかお目にかかれないようなストーリー展開だ。
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 物語はさして面白くもなく、当時は花形で大人気だった菊五郎と吉右衛門でもっていた舞台のせいか、1987年(昭和62)以降は上演される機会がなくなってしまったのだろうが、その中の1幕だけが有名でいまでも語り草になっている。それは、石川島を脱出した青木貞次郎と神谷源蔵が、大川の水に流されながら対岸めざして泳ぎわたる、それまでの歌舞伎では見られなかった水泳シーンが登場したからだ。ふたりは当然、佃の渡しがある築地側へ泳いでいったのだが、流れがあるので対岸の本湊町や舩松町ではなく、もう少し流されて十軒町や明石町のほうへ上陸しているのかもしれない。
 ふたりが大川を泳ぐシーンは、舞台全体に張られた波模様の大きな布の、横に引き裂かれたところから首だけをだし、いかにも泳いでいるような浮き沈みの演技をしてみせる。役者は、舞台に膝をついて身体の浮沈を表現するため、立って演技をするのとは勝手がちがい、かなり体力を消耗しただろう。これまでに見られない、新鮮な舞台表現を「菊吉」コンビがやって見せたので話題をさらい、以降、「安政奇聞佃夜嵐」の上演はストーリー展開などもはやどうでもよく、歌舞伎の舞台にはめずらしい斬新な水泳シーンの一幕のみ上演されるようになっていく。
 親父は、大正期以前の薬研堀近くにあった水練場Click!ではなく、昭和10年代には両国橋の本所側に設置されていた水練場Click!で泳ぎをおぼえ、実際に大川を何度か泳いでわたっているが、木村荘八Click!のように台場までの遠泳をやったかどうかは訊きそびれている。たぶん、大川や東京湾が工場排水で汚染された昭和初期には、そのような遠泳は禁止され、別の「試験」で水泳帽の赤線を増やし、進級していったのだろう。潮の干満にもよるが、引き潮のときの大川は案外流れが速く、対岸へ泳いでわたるのはかなりの体力が必要だと聞いている。青木貞次郎と神谷源蔵のふたりも、潮の満ち引きを十分に考慮に入れて人足寄場を脱出しているのだろう。
 ふたりが水に流されながら泳ぎわたったあたりは、1879年(明治12)になって海面平均値の「0m」が規定・採用され、日本のすべての標高値を決める水準原点Click!となった大川河口の間近だ。月島はいまだ影もかたちもなく、佃島の南側の水面は陸軍参謀本部(陸地測量部)Click!が7年間にわたり0m測量を繰り返していたエリアだ。0mを規定するのに7年間もかかるほど、潮の干満が激しかったことがわかる。現在、大川から東京湾にかけての潮位変化は、ゆうに2mを超えている。
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 大川の流れや太平洋の潮の干満により、江戸東京を縦横に走っていた堀割りには土砂など大量の堆積物が運ばれてくる。それを除去し、堀割りの定期メンテナンスで水深を確保しないと、舟の通行にも支障をきたすことになる。佃島の舟入堀も、この400年間にわたり何度か浚渫を繰り返してきたにちがいない。今回の工事では、同時に舟入堀のビオトープの観察施設も建設されるらしい。神田川Click!と同様に大川(隅田川)にも、サケをはじめ多種多様な生き物がもどってきている証拠で、わたしとしても嬉しいかぎりだ。そういえば、日本橋川にもサケがもどってきたという話も近ごろ聞いたばかりだ。

◆写真上:水が抜かれた舟入堀で、手前にカルガモの親子が8羽ほどエサを漁っている。
◆写真中上は、佃小橋から眺めた水抜きの舟入堀で右手の囲いが大幟柱や抱木の埋設地。は、住吉社裏から西を向いた舟入堀。堀の右岸には石川島の人足寄場役所や見張番所、女長屋などが並んでいた。は、佃大橋がない1960年前後に撮影された佃の渡し。対岸の右手には聖路加病院が写り、遠景には東京タワーが見える。
◆写真中下は、「安政奇聞佃夜嵐」のブロマイドで6代目・尾上菊五郎の青木貞次郎(左)と神谷源蔵の初代・中村吉右衛門(右)。は、大川の水門上から水抜きの舟入堀を眺めたところで右岸が佃島で左岸が石川島。
◆写真下は、1953年(昭和28)撮影の舟入堀。正面の石川島にある倉庫あたりが、人足寄場の長屋や稲荷のあったところ。は、上写真と同じ方向で撮影した普段の舟入堀。は、牢破りしたふたりが泳いでわたった佃大橋のある築地側の川面。
おまけ
1861年(文久元)制作の、尾張屋清七版の切絵図「京橋南築地鉄砲洲絵図」に描かれた佃島と石川島。切絵図が制作された数年前に、石川島からの島抜け事件が起きている。
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読んだ!(18)  コメント(25) 
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読んだ! 18

コメント 25

ChinchikoPapa

「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>鉄腕原子さん
by ChinchikoPapa (2019-11-19 11:55) 

ChinchikoPapa

好きな教師の家庭訪問は、ワクワクしながら待ちましたけれど、キライな教師のそれは面(つら)を合わせるのさえイヤさに遊びに出かけました。いまでも憶えてますが、小6の担任が大キライだったので、暗くなるまで家へ帰らなかったのを憶えています。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>サボテンさん
by ChinchikoPapa (2019-11-19 11:58) 

ChinchikoPapa

「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>@ミックさん
by ChinchikoPapa (2019-11-19 11:58) 

ChinchikoPapa

「動く歩道」ができたときは、ものめずらしくて「動く歩道」の上を歩いていましたけれど、最近は通路を歩くようになってしまいました。晴海の国際展示場にも「動く歩道」がたくさんあるのですが、展示会などに出かけると通路を歩く人のほうが多くなってますね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kiyoさん
by ChinchikoPapa (2019-11-19 12:02) 

ChinchikoPapa

L.シフリンの当アルバムは、ついflの音色につられて購入しました。最近、H.ロウズとかfl-Jazzもいいなぁ……と聴きなおしています。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>xml_xslさん
by ChinchikoPapa (2019-11-19 12:13) 

ChinchikoPapa

「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ありささん
by ChinchikoPapa (2019-11-19 12:13) 

ChinchikoPapa

春先など、花粉症で鼻が詰まると、朝起きたときにはすっかり「ドライマウス」状態になっています。それを防ぐには、点鼻薬をシュッとやればいいのですが、これも習慣化すると薬物依存になりまずいそうですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kiyokiyoさん
by ChinchikoPapa (2019-11-19 12:17) 

ChinchikoPapa

そういえば最近、早稲田界隈の古書店めぐりをしていません。古書もネットで注文できるので、つい楽をしてしまいますが、ネットでは見つからない本がけっこう古書店に眠っているんですよね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ryo1216さん
by ChinchikoPapa (2019-11-19 12:21) 

skekhtehuacso

面白い現場に遭遇なさいましたね。
私も見てみたかった。

最後の地図でわかるとおり、佃島は佃小橋の前後の一角だけだったのですね。
佃小橋を東から西へ渡って2区画目の道は、今は拡げられておりますね。
これは戦時中の建物疎開で無理矢理拡げられたのだって、地元のおじいさんに教えてもらったことがありました。
by skekhtehuacso (2019-11-19 21:50) 

ChinchikoPapa

skekhtehuacsoさん、コメントと「読んだ!」ボタンをありがとうございます。
舩松町側の南北道も、昔に比べるとずいぶん拡げられましたね。こちらは戦時中の防火帯敷設ではなく、戦後の消防法による住宅のセットバックによるものです。でも、きれいな現代住宅が建つたびに道幅が拡がるのとは逆に、せっかく空襲をくぐり抜けた昔の江戸東京の風情が消えていくのが、なんとも残念で複雑な気持ちになります。
by ChinchikoPapa (2019-11-19 22:34) 

kiyokiyo

ChinchikoPapaさん
お早うございます!
いつもコメントありがとうございます^^
寒くなりましたね~
安政六年創業の「丸久」さんの佃煮ですか、伝統ある本物の味ですね!
僕も祖母の影響で佃煮が好きなんです!小さい頃は箸をつけたこともなかったのですが^^
大人になると味覚が変わるのでしょうね。
浚渫工事は大切なんですよね。
都市部だけではなく、「川」本来の機能を最大限活用するためにも必要なことだと思います。
河川に造られているスーパー堤防よりも、先ず浚渫工事に目を向ける方が良いのでは、そんなことを感じています。
by kiyokiyo (2019-11-20 05:28) 

Marigreenn

記事は盛り沢山なので、どこに焦点を合わせていいか?分かりません。
まずは佃煮のことですが、私は佃煮が嫌いなので、人から盆暮れに大量の佃煮を送ってこられると有難迷惑でガッカリします。まあ夫は佃煮が大好きなので、夫が食べるからいいようなものの。
文中の芝居とは、歌舞伎のことですか?
by Marigreenn (2019-11-20 07:06) 

ChinchikoPapa

いつも、ご訪問と「読んだ!」ボタンをありがとうございます。>NO14Ruggermanさん
by ChinchikoPapa (2019-11-20 11:09) 

ChinchikoPapa

柚子も柿も、センリョウもマンリョウも色づいてますね。街中は、秋一色です。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>hirometaiさん
by ChinchikoPapa (2019-11-20 11:13) 

ChinchikoPapa

kiyokiyoさん、コメントをありがとうございます。
わたしも佃煮には目がなくて、家にはいつも何かの佃煮が置いてあります。このところ。昆布と椎茸+山椒の佃煮が多いでしょうか。子どものころは、遊びに出たいのに昼食がまだ……というようなときには、よく佃煮茶漬けにして急いでかっこみ、外へ飛びだしていきました。
堀割りや河川の浚渫は、堆積泥(砂)の除去というだけでなく、生き物の生育にもとても大切ですね。内陸部の河川だと、富栄養化を防ぐために藻草の除去も加わります。
来年は、佃島の舟入堀に設置されたビオトープから、どんな生き物が観察できるのか楽しみです。
by ChinchikoPapa (2019-11-20 11:23) 

ChinchikoPapa

Marigreennさん、コメントをありがとうございます。
はい、こちらで「芝居(しばい/しばや)」というと、イコール歌舞伎のことです。
by ChinchikoPapa (2019-11-20 11:26) 

ChinchikoPapa

ユッカランを見ると、子ども時代を懐かしく思いだします。1960年代から70年代にかけ、緑を植えた住宅街のロータリーには、あちこちにユッカランが植えられていました。そのクリーム色の花々を透かして見る太陽も懐かしいのですが、先がとがって痛い葉を引き抜き、サーベル代わりにして痛い遊びをしてました。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kazgさん
by ChinchikoPapa (2019-11-20 15:58) 

ChinchikoPapa

子どもたちが小さいころ「ミニ四駆」ブームがあって、よくレーシングカーのプラモを作らされました。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>芝浦鉄親父さん
by ChinchikoPapa (2019-11-20 16:00) 

ChinchikoPapa

うちは高齢者はいないのですが、家族の仕事が忙しい期間は宅食サービスを利用してたことがあります。あれは毎日夕食の献立の心配をしないで済み、便利なことこの上ないのですが、やはり1年近く食べつづけると飽きてきますね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ピストンさん
by ChinchikoPapa (2019-11-20 17:02) 

Marigreen

この記事には無関係ですが、交通事故を起こして痛感したのは、警察官が偉そうにしていて、未だに官尊民卑だということです。
世論の公務員に対する目が厳しくなったので、随分官吏はへりくだるようになったと聞いていて、確かに登記官なんかは謙虚になって、私が抹消登記に行った際は丁寧で親切になっていました。
が、警察官はお上の御威光を笠にきて脅すので私は恐怖のあまり意にそまぬ調書にサインしてしまいました。
国会の答弁を見ていたら、首相を初めとして国会議員の答弁の時、後ろから官吏が答弁の内容を書いた紙を回しているのが見える。まだまだ管理主導の国だと思いました。
by Marigreen (2019-11-21 06:35) 

ChinchikoPapa

Marigreenさん、コメントをありがとうございます。
「官民主導」はいまにはじまったことではありませんが、業務の現場をこなす警察官をはじめ公務員は、「人」の性格や考え方にもよるのではないかと思います。
by ChinchikoPapa (2019-11-21 09:33) 

ChinchikoPapa

「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>かんたんお小遣いかせぎさん
by ChinchikoPapa (2019-11-21 15:14) 

ChinchikoPapa

こちらにも、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ネオ・アッキーさん
by ChinchikoPapa (2019-11-22 15:11) 

ChinchikoPapa

小学生の高学年のころだったか、『安ベエの海』という連続ドラマのヒロイン役だった木内みどりが、強く印象に残っています。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>いっぷくさん
by ChinchikoPapa (2019-11-22 17:45) 

ChinchikoPapa

こちらにも、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>fumikoさん
by ChinchikoPapa (2019-11-23 23:49) 

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