落合消費組合と早稲田の松栄食堂。 [気になる下落合]
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以前、落合消費組合の活動について、柳瀬正夢Click!の妻である松岡朝子Click!の証言を記事にしていた。今回は、落合消費組合の設立とほぼ同時に入会した松本武市・エイ夫妻の娘、松本清子(結婚後は小沢清子)の回想をご紹介したい。
落合消費組合は1929年(昭和4)に結成されたが、それまでは西郊消費組合に所属していた落合地域のグループだった。その後、1932年(昭和7)2月になると、再び西郊消費組合および武蔵野消費組合とともに合併することが決められ、のちに新たな城西消費組合が設立されている。したがって、落合地域の落合消費組合はわずか4年間しか存在しなかったことになり、その後は城西消費組合の落合グループとして活動することになった。
松本清子の両親は、愛媛県から大阪に転居したあと大衆食堂を経営していた。ところが、父親の松本武市が病気になり一時的に愛媛へ帰郷したあと、改めて1927年(昭和2)に今度は東京へとやってきている。息子が東京帝大に進み、吉野作造Click!らの新人会Click!に属していたことも、東京への転居をうながしたのだろう。
だが、1929年(昭和4)の4.16事件で兄が特高Click!に検挙されてしまい、松本家では弁護士の勧めもあり一家をあげて、1928年(昭和3)に結成された解放運動犠牲者救援会に参加するようになった。おそらく、当時の松本家の自宅は落合地域にあったと思われ、落合消費組合に加盟すると神近市子Click!や井汲花子、荻郁子らと同じ班になっている。荻郁子については、松岡朝子も印象深い人物として証言しているが、高田馬場駅近くで「のんべえ」という飲み屋を経営していた、なにごとにも動じない姉御肌の女性だったようだ。
しばらくして、松本一家は戸塚3丁目に転居し、小学6年生になっていた松本清子は戸塚第三小学校Click!へ転校している。「シチズン時計の工場(現シチズンボウル)の所から通りを渡って右に行ったところ」と証言しているので、戸塚3丁目593番地に住んでいた佐多稲子(窪川稲子)宅Click!よりも高田馬場駅寄りで、戸塚4丁目866番地にあった藤川栄子アトリエClick!の早稲田通りをはさんだ斜向かいを、少し入ったあたりではないだろうか。
女学校を卒業した松本清子は、救援会への依頼から1932年(昭和7)5月1日に行われたメーデーの、デモ参加者に冷たい水を配ろうとして芝の増上寺で検束されている。彼女は1日で釈放されたが、同年4月からはじまっていた東京市電の早稲田車庫(現在の都バス早稲田車庫=東京都交通局早稲田自動車営業所と同敷地)における、不親切かつ高くてマズい東京市が運営する職員食堂の、ボイコット運動に関わることになる。
市電早稲田車庫には消費組合の「職場班」があり、ボイコット運動を進めるために落合消費組合へ炊き出しの支援依頼がきたのだ。落合消費組合はそれに応え、五目ご飯などの炊き出しを行なっている。炊き出しが美味しかったのか、早稲田車庫につめる職員たちから、安くてうまい食堂が早稲田車庫の近くにできないかという声が数多く寄せられた。
彼女の両親はその昔、大阪で食堂を経営していた経験があったので、父親はすでに60歳になっていたが、もう一度やってみようかと腰をあげたらしい。当時の様子を、1997年(平成9)に新宿区地域女性史編纂委員会から発行された『新宿に生きた女性たちⅣ』所収の、小沢清子「松本エイ・武市と落合消費組合」から引用してみよう。
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実は、幼い子を抱えて車庫を首になった方がいて組合の人たちと話し合いの結果、その方を雇うことになりました。資金は両親が全部出したようです。/車庫の近くの店を、住まいをちょっと離れたところに借りました。店では温めぐらいしかできないので近くの自分の家で煮炊きをしてみんなで運びました。/始発から始めてほしいと言われたのですが、それはとても無理なので昼御飯を中心にしました。でも、のべつ幕無しに電車が入ってきて時間帯が一定でないうえに短時間で食べなくてはいけない。注文から出すまで時間がかかってはいけない。ほんとうにてんてこ舞いでした。/大きな岡持ちをもって電車道を横切り、店と車庫との往復。私は体は小さいけれどとても元気だったからできたんですね。キャッチフレーズ「一〇銭で満腹の松栄食堂」は安くておいしいと大人気で、近くの労働者や早稲田の学生さんも利用して大盛況でした。/独立採算でしたが、食券制で月給日には組合が集計をしてくれお金は確実に入りました。両親は自分たちはお金は要らないからと、妻子を抱えて車庫を首になった方を中心にお給料を払いました。お手伝いの女性たちにも支払うと私も小遣い程度で、結局、両親はただ働き同然でした。
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文中の「電車道」とは、今日の都電荒川線の終点・早稲田電停のある、都バス車庫前の十三間通り(新目白通り)Click!のことだ。このあと、両親と彼女は松栄食堂を2年ほどつづけたが、調理と経営ができる若い世代が育ってきたので、店舗の出資金を回収しないまま両親は「引退」してしまった。
松本家では、なにごとも母親である松本エイが意思決定をしていたようで、状況の先読みができる頭のいい女性だったようだ。愛媛から大阪へでるのも、また再び東京へでるのも、早稲田車庫の前で松栄食堂を開店するのも、資金の工面や負債の返済などのやり繰りも母親の仕切りだった。父親の松本鹿市は、方針が決まると業務に徹して励む人物だったらしい。娘の眼から見ると、ふたりはいいコンビネーションだったようだ。
松栄食堂を若い人たちにまかせた松本一家は、今度は旅館を経営しはじめている。松本家は5人兄弟姉妹だったが、兄ふたりは東京帝大で左翼運動をしていたために投獄され、姉ふたりはすでに結婚して親元を離れていた。だから、遅生まれの末娘を抱えた60すぎの両親は、引退するわけにはいかなかったのだ。
1932年(昭和7)現在の、落合消費組合についてのレポートが、内務省の特高資料Click!に残されている。同年2月28日の正午から、中野で開かれた「城西消費組合創立総会」の事前配布資料だ。その中から、落合消費組合の項目を引用してみよう。
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それから落合で特に注意せねばならぬ事は、早稲田の車庫の従業員によつて、職場班(その従業員を中心とした班)がつくられたが、その後此の班が少しも成長して居らぬ事である(。)その原因の主なるものは、此の班をつくつた人々に多少党派的な欠点があつた事と、前に述べた組合への官憲の弾圧がわざわいとなつたのであるが、我々の消費組合運動の中に、改党運動や労働組合運動の争ひを持ち込んで、消費組合運動を混乱せしめそれを阻害する事は大きな間違ひであるから此の点大いに注意せねばならぬ。尚落合も此の早稲田を除く他は西郊、武蔵野と同様無産知識階級が主であるが、此処の人々は組合創立の初めから、全体としてやゝ極左的な傾きがあつて、之れは最近自分で大いに清算したとは云へ、今後の班活動の上では一層誤りのないように注意されねばならぬ。(カッコ内引用者註)
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城西消費組合の総会前に配られたこの資料は、読んでいると違和感をおぼえる。せっかく3つの消費組合が合同し、より大きな組織になろうとしているのに、活動方針に縛られた総括の姿勢がきわめて“内向き”で杓子定規なのだ。「理屈のこね合いは禁物である」と書きながら、世界情勢や日本社会の状況を大上段に触れつつ、消費組合の事業に関しては狭隘な視界の「理屈」で、ものごとの成否を決めているような感触をおぼえる。
報告書では落合消費組合が批判されているが、東京市電の早稲田車庫で会員の松本夫妻と「職場班」が共同で起ち上げた松栄食堂とその仲間たちは、消費組合の販路拡大のフックになりこそすれ、「極左的」とレッテル張りされるような活動ではないだろう。松栄食堂のような店舗経営を積極的に支援し、労働組合運動の「混乱」(一組と二組の対立?)などを超えて、東京近郊にあった市電車庫などへチェーン店のように出店し、その仕入れいっさいを消費組合の商品でまかなうことで、むしろ事業拡大の可能性を秘めた絶好の商機であり、経営安定の近道だったように思える。
消費組合は、販路を拡げるという事業方針の大前提にもかかわらず、実情はまるで“仲間うち”のサークル活動のような感覚でしかなかったように見える。世界情勢から語る大風呂敷をひろげた「理念」が先に立って、事業を拡大する具体的な構想も計画性も実践力もない、凡庸な経営者の繰り言を聞いているようだ。当時は、官憲(おもに特高警察)からの介入・弾圧を警戒しなければならなかった状況とはいえ、これでは組合組織の内向きな維持・管理が先に立ち、事業を拡大するプロアクティブな要素がなにもないように思えるのだが。
事実、この総会前に配られた資料は特高資料(特高による検閲の書きこみや発禁印が生々しい)として存在しているのであり、当局から目をつけられるリスクは、早稲田車庫の職場班を含む落合消費組合も、のちに合併された城西消費組合も同じだったろう。……と、こんなことを書くと、当時は「ブルジョア的街頭カンパニア主義」とでもいわれて批判されたのだろうか。それとも総括レポートの文脈から推察すれば、「極左冒険主義」とでもいわれかねないのだろうか。事業を常に安定させ、企画から運営・継続、検証、発展(いわゆる螺旋形の基礎的なPDCAサイクル)させるためには、ごくごく基本的な経営視点だと思うのだが。
◆写真上:現在は都電荒川線の終点となっている、旧・東京市電の早稲田電停。
◆写真中上:上は、落合消費組合の会員になって活動した1939年(昭和14)撮影の柳瀬正夢・松岡朝子夫妻。中は、濱田煕Click!が描く昭和10年代の記憶画Click!にみるシチズン時計工場とその周辺の街並み。下は、同工場の跡地に建つ「シチズンボウル」の現状。
◆写真中下:上・中は、1936年(昭和11)と1948年(昭和23)の空中写真にみる市電(都電)の早稲田車庫とその周辺。下は、1932年(昭和7)2月28日の総会前に配布された「城西消費組合創立総会」資料に掲載の「落合消費組合」に関する総括項目。
◆写真下:上は、「城西消費組合創立総会」資料の表紙。総会が行われた翌日早々に、内務省の特高警察による発禁処分のハンコが押され、その理由に該当するページを指摘した記載が見える。下は、城西消費組合の事務所敷地で行われた“よいとまけ”Click!。
フィキサチーフはコンテや木炭、鉛筆によるデッサンならいいのですが、色を使うと表面の微妙な光の反射からでしょうか、変色して見えるところがイヤですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>tomi_tomiさん
by ChinchikoPapa (2020-10-05 11:38)
「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>鉄腕原子さん
by ChinchikoPapa (2020-10-05 11:38)
人に馴れている白鳥は、近寄ってきてエサを食べるのですが、けっこう大きいので怯えて泣いてしまう子どももいますね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ryo1216さん
by ChinchikoPapa (2020-10-05 11:41)
「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>@ミックさん
by ChinchikoPapa (2020-10-05 11:41)
確かに出だしから武満徹もどきで、60年代の現代音楽を想起してしまいます。一部、ギル・サウンドのようなオーケストレーションもあり、けっこうこのアルバムは好きですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>xml_xslさん
by ChinchikoPapa (2020-10-05 11:53)
フロリダの柑橘類のように、無理に米国から大量輸入しようとして、輸送中に傷まないよう農薬や保存料漬けにならないよう祈ります。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kiyokiyoさん
by ChinchikoPapa (2020-10-05 12:00)
わたしは一昨日の夜、青い着物を着てすべるように接近してくるロングヘアの幽霊に追いかけられ、自分の叫び声で目がさめました。やはり、口で息をしていたせいか、のどがカラカラになっていました。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>skekhtehuacsoさん
by ChinchikoPapa (2020-10-05 22:16)
その昔、灯油缶とかドラム缶の下に穴を開けて、焚き火をしている光景をよく見ましたけれど、いまでも燃料店やガソリンスタンドでは空き缶を売ってくれるんですかね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ぼんぼちぼちぼちさん
by ChinchikoPapa (2020-10-05 22:19)
特別扱いを嫌がる方は、けっこういらっしゃいますね。危ういときだけ自然に手を貸すのが理想なのでしょうが、やはり気をつかってしまいます。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ピストンさん
by ChinchikoPapa (2020-10-05 23:15)
「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ありささん
by ChinchikoPapa (2020-10-06 00:00)
わたしがその昔、ラックで苦労したのはLPの整理でした。仕切りが少ない木の棚だと、重さでたわんでしまうのですね。それで二度もダメにして、やむなく金属の棚に変えた憶えがあります。もう、30年ほど前の話でしょうか。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>NO14Ruggermanさん
by ChinchikoPapa (2020-10-06 17:59)
将来の仕事に向いている学部といわれても、よほど目的意識のしっかりした高校生じゃないと迷いますね。わたしは大学に1年余計にいて、まったく別の学部の講義に出ていました。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>サボテンさん
by ChinchikoPapa (2020-10-06 22:53)
ご訪問と「読んだ!」ボタンを、ありがとうございました。>mwainfoさん
by ChinchikoPapa (2020-10-07 12:20)
こちらもヒガンバナが満開ですが、一昨日の快晴日にはいまだにアブラゼミが鳴いていました。どうやら温かさに惑わされ、遅れてきたセミがいるようです。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kazgさん
by ChinchikoPapa (2020-10-07 19:25)