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日本の船舶基盤技術と目白水槽。(上) [気になるエトセトラ]

目白水槽建造中1921.jpg
 下落合から山手線のガードClick!をくぐり抜け、学習院の下に通う雑司ヶ谷道Click!(新井薬師道)を歩いていくと、2003年(平成15)ごろまで学習院馬場Click!のある手前左手に3階建てのビルとともに、全長200mほどの細長い倉庫のような建物があった。1927年(昭和2)11月に竣工(建物や付属工場の完工は1929年)した、戦前からつづく旧・逓信省船型試験所(のち船舶試験所)の「目白水槽」だ。
 船型試験所の水槽とは、艦船が水の抵抗を抑えてできるだけ効率的に航行するために、あるいは高速な船速を確保し維持するために、船型やプロペラ(スクリュー)の形状などを研究開発する、R&Dセンターのような役割を担っていた。1931年(昭和6)現在で、日本には大型の船型試験水槽が3ヶ所しか存在せず、ひとつが1907年(明治40)竣工ともっとも古い、長崎の三菱造船所の試験水槽(全長約122m)、ふたつめが上記の学習院の下に位置する高田町(現・目白1丁目)の逓信省試験水槽(当初は全長約140m)で、3つめが1931年(昭和6)に目黒へ建設された海軍技術研究所の試験水槽(全長約246m)だ。この中で、目黒にあった海軍の試験水槽は、世界でも最大クラスの水槽だった。
 基本的には、目白の逓信省船型試験所は民間船舶の研究に、目黒の海軍技術研究所は軍艦建造の研究に利用されたが、1930年(昭和5)のロンドン海軍軍縮会議以降は、将来の戦時においては民間船を空母などの軍艦に改装することを前提に船型や船速、船内構造などに対して、さまざまな注文が海軍から民間の汽船会社や造船会社に出され、目白の逓信省船型試験所も多種多様な実験を通じて、その影響を大きく受けていただろう。拙サイトでも、上落合の吉武東里Click!が内装を手がける予定だった、日本郵船の豪華客船「橿原丸」Click!が空母「隼鷹」に改装された経緯を記事にしている。
 さて、昭和初期に建設された試験水槽について、1978年(昭和53)発行の「日本造船学会誌」に連載された、竹沢誠二『本邦試験水槽発達小史』から引用してみよう。
  
 昭和初期の本邦試験水槽界の状況について、永年東大船舶工学科の抵抗推進講座を担当されていた山本武蔵教授著の“船舶”(昭和5年発行)に次の記述がある。「最近完成した東京府下目白の逓信省船型試験所の水槽は大形の部に属し、幅33呎(フィート:約10m)、水深19呎(約6.2m)、長さは459呎(約140m)で、後日更に千呎(約300m)余まで延長し得る敷地を備えて居るという事である。海軍の艦型試験所はもと築地に在ったのであるが、関東大震災の厄に逢い、目下東京府下目黒に新たに建造中の由で、完成の上は恐らく世界で最新式かつ最大の完備したものになることであろう。」/このように昭和の初期に語呂合せのようであるが“目白”に逓信省の大水槽(現在の造船技術センター目白水槽)、次いで“目黒”に海軍の大水槽(現在の防衛庁目黒水槽)が完成し、本邦の試験水槽界は一躍一流へ伸し上がったのである。(呎単位のカッコ内引用者註)
  
 当時、世界各国は造船技術の研究開発にしのぎを削っており、巨大な試験水槽は米国やイギリス、ドイツ、フランス、イタリア、ロシア、オーストリア、オランダ、ノルウェーなどで競うように建造されていた。これらの国々は、19世紀からつづく海洋国であり、また強力な海軍力を保有していた国々であったことにも留意したい。
 逓信省船型試験所目白水槽の建造が企画されたのは、1920年(大正9)とかなり早い。翌1921年(大正10)に逓信省から予算が計上され、帝国議会の承認をえて4年間にわたる建設工事計画がスタートした。建設予定地が学習院の敷地内だったため、同年には学習院の目白崖線斜面を東西に長く2,846坪ほど買収している。
目白水槽船舶試験所開設1929.jpg
目白水槽1936.jpg
目白水槽浅喫水線試験装置仮底取付工事1938.jpg
 水槽設備や機器を、ドイツとオーストリアに発注して建設準備が進められたが、1923年(大正12)9月の関東大震災Click!で建設工事がとん挫し、計画の遂行が不可能になった。建設予算がすべて震災の復興費にまわされたため、目白水槽の完成は3年遅れて1927年(昭和2)の晩秋までずれこんでいる。
 逓信省の目白水槽は、巨大な試験施設にもかかわらず当初は技師が2名に技手が1名、技工が2名、その他の守衛や小使いが4名の、計11名しか勤務していなかった。だが、太平洋戦争がはじまった翌日の1941年(昭和16)12月9日には、逓信大臣直轄の渉外部局の試験所となり、実質は海軍の管轄下に入って所員も179名に急増している。同時に、水槽の長さが60mほど延長され、全長200mの巨大な試験水槽を備えるにいたった。
 設備は100%外国製で(当時の日本には試験水槽を建設する技術もノウハウもなかった)、曳引車がマシーネン・ウント・ワーゴンバウ・ファブリック社製、レールがカーネギー社製、電源装置がシーメンス・シュケルト社製、抵抗動力計・自航試験用推進器動力計・推進器単独試験用動力計がオットー・エリー・ガンゼル社製、模型船削成機がフルカン社製と、導入された全設備・全機器の構成は欧米製で、目白水槽の設計・指導はF.ゲーバースという、オーストリアからの雇われ技師が担当していた。
 このような状況で、ワシントン軍縮会議や二度のロンドン軍縮会議をへて無条約時代に入ると、よく「欧米列強」の海軍力を相手に建艦競争などできたものだと呆れてしまうほど、日本には艦船の基礎研究に関する設備や技術の蓄積基盤がまったくなかったのだ。明治末から、「欧米に追いつけ追いこせ」が官民を問わずスローガンのように叫ばれていたが、欧米の成果物(製品)を模倣する手法には長けていたものの、基礎研究や基礎技術の分野における脆弱性は、1945年(昭和20)の敗戦まで基本的には変わらなかった。
目白水槽1948.jpg
目白水槽正門1955頃.jpg
目白水槽第1試験水槽(戦後).jpg
 1927年(昭和2)に建造され、1941年(昭和16)に200mの大型に改装された水槽は、のちに目白水槽の「第1試験水槽」と呼ばれることになる。それは、しばらくすると「第2試験水槽」と呼ばれる高速水槽が建設されているからだが、その経緯を同誌の『本邦試験水槽発達小史』から、再び引用してみよう。
  
 昭和7年より政府による助成船はすべて水槽試験を実施する事を強制されたため、目白の試験業務は急増した。さらに昭和12年度から優秀船建造助成制度が発足し、水槽試験業務は繁忙を極めた。このような情勢にともない、設立以来の懸案であった拡充計画を優秀船建造助成施設の一部として実現できる事になった。その結果、在来水槽の60m延長(前述)、第二試験水槽(新高速水槽)、空洞水槽の建設が行われた。
  
 「優秀船建造助成制度」とは、もちろん国が大型で高速な商船の建造を支援する仕組みのことで、背後にはもちろん海軍の意向や思惑が強く反映されていたのはいうまでもない。第二次ロンドン軍縮会議が決裂し、日本が同会議から脱退して無条約時代を迎えると、国から同建造助成制度の適用を受けて建造された民間船のうち、公試運転の成績が優秀な船舶は軍用船として改装されることになる。
 たとえば、1940年(昭和15)の東京オリンピック(中止)をめざして建造が計画されたといわれる、日本郵船の大型高速豪華客船「橿原丸」と「出雲丸」は空母「隼鷹」と「飛鷹」に改装され、同じく日本郵船の貨客船「春日丸」「八幡丸」「新田丸」が空母「大鷹」「雲鷹」「冲鷹」に、大阪商船の貨客船「あるぜんちな丸」が空母「海鷹」に、石原汽船の油槽船「しまね丸」が護衛空母に改装されている。これらの船舶は、建造時に優秀船建造助成制度を利用していたため、日米戦がリアルに感じられるようになった時期、あるいは太平洋戦争中に海軍から徴用され軍用艦に改装された。
 文中にある目白水槽の第2試験水槽は、航空機用の試験にも利用できる高速水槽的な性格を備えた設備で、全長は第1試験水槽を上まわる207mの長大なものだった。船舶試験場なのに航空機の試験も実施するのは、飛行艇や水上機の開発のためだ。また、水面上の空間を活用した風洞実験なども行われたようだ。第2試験水槽は、設計を当時の船舶試験所内の技師が担当し、設備や機器類もすべて国内で生産されたものを使用しているので、ようやく純国産の試験水槽が誕生したことになる。
目白水槽第1試験水槽1960(改装後).jpg
目白水槽1966.jpg
目白水槽第1・第2水槽2003.jpg
 逓信省船型試験所(船舶試験所)の目白水槽は、目白駅Click!や高田町の工業地域が近かったにも関わらず、二度の山手空襲Click!でも被爆せずに1945年(昭和20)の敗戦を迎え、戦後まで残った唯一稼働が可能な試験水槽となった。戦前から戦後にかけての空中写真を観察しても、目白崖線にへばりつくように建てられた施設は、無傷で戦災を奇跡的にまぬがれているのがわかる。そして、戦後に急成長をとげる日本の造船業界の大きな原動力となった。
                                <つづく>

◆写真上:1921年(大正10)撮影の船型試験所水槽工事の様子。右手が学習院バッケ(崖地)Click!で、背景に開発直前の下落合は近衛町Click!の森がとらえられている。このあと起きた関東大震災の影響で、建設工事は数年間にわたって中断される。
◆写真中上は、1929年(昭和4)に竣工した逓信省船型試験所あらため逓信省船舶試験所の建物。中ほどに見える、細長い目白水槽の右手(北側)が学習院敷地の崖で、左手遠方には山手線をはさんで近衛町の丘が見え、丘上には大きな西洋館がひとつ見てとれる。位置的に観察すると、下落合414番地の丘上から斜面にかけて建つ島津良蔵邸Click!だろうか。は、1936年(昭和11)の空中写真にみる船舶試験所と目白水槽の全景。は、1938年(昭和13)撮影の浅喫水船舶試験を行う仮底設置工事で背景はやはり下落合の近衛町。
◆写真中下は、戦後の1948年(昭和23)の空中写真にみる無傷で戦後を迎えた目白水槽。は、戦前と変わらない風情だった運輸省の運輸技術研究所(旧・逓信省船舶研究所)の正門。は、敗戦後ほどなく撮影された目白水槽の第1試験水槽。
◆写真下は、1960年(昭和35)に改装された第1試験水槽。は、1966年(昭和41)の空中写真にみる(財)日本造船技術センターになったころの目白水槽全景。は、2003年(平成15)の廃止直前に撮影された目白水槽の第1試験水槽(左)と第2試験水槽(右)。

読んだ!(17)  コメント(18) 

読んだ! 17

コメント 18

ChinchikoPapa

最近、東京オリパラの影響からか空港への進入航路が変わり、航空便が減っているにもかかわらず街の上空がうるさくなっています。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>tomi_tomiさん
by ChinchikoPapa (2021-03-22 10:28) 

ChinchikoPapa

南のほうへ旅行すると、アブラムシ(ゴキブリ)の大きさにビックリします。なんだか、新聞紙やスリッパで叩いても、なかなか死ななそうですね。(汗) 「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kiyokiyoさん
by ChinchikoPapa (2021-03-22 10:30) 

ChinchikoPapa

dsやpercのリズムが、なんとなく気になるアルバムですね。引かれるサウンドではないので、手もとにはありませんが。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>xml_xslさん
by ChinchikoPapa (2021-03-22 10:33) 

ChinchikoPapa

「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>鉄腕原子さん
by ChinchikoPapa (2021-03-22 10:34) 

アヨアン・イゴカー

このような大きな施設が海辺ではなく、内陸にあったのですね。それも目白のものは2003年まで。とても興味深く拝読しました。
>欧米の成果物(製品)を模倣する手法には長けていたものの、基礎研究や基礎技術の分野における脆弱性は、1945年(昭和20)の敗戦まで基本的には変わらなかった。
この模倣ばかりで、基礎研究が脆弱であることは、発明家だった祖父も欧米人に言われたことがあり、認めつつも、反発していました。基礎的研究、独創的な研究の必要性、重要性を力説していました。

by アヨアン・イゴカー (2021-03-22 10:40) 

ChinchikoPapa

アヨアン・イゴカーさん、コメントと「読んだ!」ボタンをありがとうございます。
基礎・基盤となる研究開発がなく、成果物としての製品だけを模倣しても、その脆弱性は抜けず課題をすばやく解決する技術・能力・ノウハウも育たないですね。身近な例でいいますと、コンピュータの基礎研究がまったくないのに、ブランドでなんとか売れるからと家電メーカーが発売したPCから、いつまでたっても脆弱性が抜けず、信頼性が獲得できない現象に近似しています。
戦時中、中島飛行機の国立エンジン工場に勤労動員された地元の古老が、日本製の旋盤はすぐに故障してしまうので、主に米国製とドイツ製の旋盤で作業していたという皮肉な証言とも、どこかで深くつながる課題だと思います。
by ChinchikoPapa (2021-03-22 11:46) 

ChinchikoPapa

「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>@ミックさん
by ChinchikoPapa (2021-03-22 11:47) 

ChinchikoPapa

子どものころは少年サンデーを読んでいましたので、「あしたのジョー」はリアルタイムで読んでいません。日めくりの「まいにちジョー」には、思わず噴き出してしまいました。w 「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ryo1216さん
by ChinchikoPapa (2021-03-22 16:57) 

ChinchikoPapa

スズランによく似た花は、こちらでもよく見かけるのですが「スノーウフレーク」というのですね。和名は「スズランズイセン」だそうで、憶えやすい名称です。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>hirometaiさん
by ChinchikoPapa (2021-03-22 20:04) 

ChinchikoPapa

五色の旗は、チベット仏教の儀式用でしょうか。書かれている通り、にわかには信じられないような美しい風景です。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>大善士さん
by ChinchikoPapa (2021-03-22 20:07) 

ChinchikoPapa

江戸の明和年間の洒落本に、突拍子もないことを言い出した相手に、ビックリした人物が「うそつくねぃ!」と応えていますので、「驚いた」=「うそだ」はけっこう史的な根が深いんじゃないかと思います。わたしの母親や伯母も、驚くと「うっそー!」といっていましたので、戦前ないし戦中の女学校でもつかわれていたフレーズのような気もします。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ぼんぼちぼちぼちさん
by ChinchikoPapa (2021-03-23 18:07) 

ChinchikoPapa

わが家でも、「ポルターガイスト」現象はよく起きます。ここに置いたはずのモノが、知らないうちにあちらへ移動している……というような困った現象をそう呼んでいるのですが、整理好きな家族が定期的に移動させるせいで、いつまでたってもポルターガイスト現象がやみません。w 「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ふるたによしひささん
by ChinchikoPapa (2021-03-23 18:11) 

ChinchikoPapa

黄檗宗の寺院は、万福寺もそうですが意匠や造りが他の宗派とは異なり面白くて、けっこう好きですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kiyoさん
by ChinchikoPapa (2021-03-24 09:42) 

ChinchikoPapa

「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ありささん
by ChinchikoPapa (2021-03-24 10:23) 

ChinchikoPapa

妖怪の「アマビエさま」って、こんなカワイイ顔してましたっけ。w なんだか、出羽桜のラベルは河童の女の子みたいですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>skekhtehuacsoさん
by ChinchikoPapa (2021-03-24 23:15) 

ChinchikoPapa

こちらにも、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>NO14Ruggermanさん
by ChinchikoPapa (2021-03-26 09:46) 

ChinchikoPapa

こちらにも、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kazgさん
by ChinchikoPapa (2021-03-26 09:55) 

ChinchikoPapa

少し前の記事にまで、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>fumikoさん
by ChinchikoPapa (2021-04-01 11:40) 

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