SSブログ

中井駅を避ける地下生活の小林多喜二。 [気になる下落合]

上落合732現状.jpg
 ようやく上落合732番地に見つけた安い借家だったが、大江賢次Click!は相変わらず貧しかったので、ときどき葛ヶ谷115番地(のち西落合1丁目115番地)に新居を建てた片岡鉄兵・光枝夫妻Click!のもとへ、食事をご馳走になりに出かけていた。それでも、さすがに独立してからは気がとがめたのか、中井駅前の食堂で昼と夜は済ませることが多かった。
 だが、どうしても懐がさびしくなると、片岡邸へ出かけていっては朝食のお相伴にあずかっていたようだ。上落合732番地から、葛ヶ谷115番地の片岡邸へ向かうには、上落合郵便局から北上して中ノ道(下ノ道=新井薬師道)Click!を横切ると、蘭塔坂(二ノ坂)Click!を上って新青梅街道へと出るのが最短距離になる。
 いまだ葛ヶ谷駐在所に付属した「わけあり住宅」に住んでいたころ、ある日、いつものように朝のパンとコーヒーにありつこうと、新青梅街道をわたり60mほど離れた斜向かいの片岡邸へ出かけている。片岡邸へ着き、上がって食堂に入ると、大江賢次はいきなり拳銃を突きつけられた。拳銃をかまえていたのは、地下にもぐった共産党の田中清玄Click!で、片岡鉄兵Click!があわてて田中を止めている。
 そのときの極度に緊張した様子を、1974年(昭和49)に牧野出版から限定500部で刊行された大江賢次『故旧回想』から引用してみよう。
  
 ある朝日課のコーヒーとパンをたべに行き、食堂のテーブルを囲む数人の未知の人と、なによりドギモを抜かれたのは、コーヒーとパンの代りにピストルが一丁、黒光りして迎えたことである。/「大江君はレポーターで、信用していい青年だ」と、片岡さんは手短かに紹介した。/「よろしく頼むぜ」/角刈りに鼠色の色眼鏡をかけた、商人ふうに変装した男が握手した。あとでわかったが、壊滅にひんした党の再建委員長の田中清玄だった。みんなのうち、蔵原惟人Click!は前からの顔見知りで、彼の訳したファゼーエフの「壊滅」は、私の「シベリヤ」への導火線になったが、その席に小林多喜二がいたかどうか記憶にない。ピストルにどきりとした私は、平素は三枚も平げるパンを一枚だけで、早々にひきあげた。おそらく党再建の協議に、片岡邸を利用したものであろう。
  
 このあと、あまりにも知られた作家の片岡鉄兵邸だったせいか、特高Click!の目を逃れるために、葛ヶ谷駐在所の裏にある葛ヶ谷43番地(のち西落合1丁目37番地)の大江賢次宅でも、ときどき会議が開かれるようになった。集会を開いていたのは、東京帝大の学生たちを中心にプロフィンテルン(の日本支部=日本労働組合全国協議会=全協)に参加するメンバーたちで、高見順Click!や秋田実、荒木巍らが参加していた。
 面白いのは、プロフィンテルンの秘密集会が葛ヶ谷駐在所のすぐ裏で開かれていたことだ。もともと、駐在所の巡査が家族とともに暮らす、あるいは交代で休憩や仮眠をとるために建てられた駐在所付属の住宅だったはずだが、同駐在所に勤務していた巡査がこの家で自殺して以来、まったく使われなくなって空き家となっていた。そこへ、家賃の安さに目をつけた大江賢次が借りていたわけだが、警察関係者はこの家を気味悪がって忌避し、祟りを怖れて誰も近づかなかったらしい。駐在所の隣りで左翼の秘密集会が開かれていたおかしなケースは、おそらく落合地域だけではないだろうか。
 集会に関係のない大江賢次は、自宅にもかかわらず家を追いだされ、西へ700mほど歩いたところにある哲学堂公園Click!へ散歩に出かけている。井上円了Click!が死去して間もなく、遺族が東京府へ敷地を丸ごと寄贈し公園として整備されていた。大江賢次は哲学堂のバッケに連なる森林がお気に入りで、「妙正寺川への斜面はうっそうと木が繁り、じつに田舎者の私は理想の憩い場所だった」と書いている。
葛ヶ谷駐在所跡1938.jpg
故旧回想1974.jpg 故旧回想奥付.jpg
 葛ヶ谷43番地の駐在所住宅の出来事か、あるいは上落合732番地の借家のほうか、大江賢次の文章は時系列が頻繁に前後してハッキリせず、どちらかは不明なのだが、話の中に最寄り駅として中井駅が登場しているので、おそらく上落合時代のエピソードだと思われる。葛ヶ谷43番地の家なら、最寄り駅は武蔵野鉄道Click!東長崎駅Click!になるはずだ。葛ヶ谷43番地から東長崎駅まで、最短の道のりで歩くと900mちょっと、同地番から中井駅へ出るには1kmはゆうに超える。
 ある夜更け、大江賢次の家の戸をコツコツたたく音がした。戸を開けると、片岡鉄兵が立っており、うしろに見知らぬ青白い顔をした優男がいた。片岡が、「きみと改造の創作で一しょの小林君、今夜泊めてくれ給え。うちは満員なんでねえ」といった。男は、「小林です。よろしく」と挨拶をした。同書から、再び引用してみよう。
  
 あっけに取られた私は、ただ玄関番の惰性からいんぎんにお辞儀をしたが、なに(ママ)と挨拶したか覚えがないほど、すっかり上がってしまっていた。思いがけぬ珍客である。発禁つづきの「戦旗」が、きびしい警戒網をくぐって数万部をさばいたのは、彼の「一九二八年三月十五日」と、「蟹工船」の傑作は私たちの心をゆすぶり(ママ)、一躍声価を高めていたから。ところがいざ作者に会えば、空想していた小林多喜二とおよそ人柄がちがい、こりゃ嘘じゃなかろうかとさえ疑った。こんな優形の男ではなく、読者として渇仰する本人は別人であった。/「ああ、くたびれた……すぐ眠らせてくれませんか」/私は独身時代の片山さんの、鉄製のシングルベッドを拝領していたので、さっそくそれを提供すると自分はベッド脇に、毛布にくるまって蓑虫になったから、季節があたたかであった。
  
 大江賢次もまた、小林多喜二Click!の描いた作品のイメージと実際の作者の容姿がまったく一致せず、出会ったとたん呆気にとられている。
 小林多喜二は、大江宅に入るとすぐに家じゅうを点検して、特高に踏みこまれた際の脱出口を確認している。最寄りの駅や、周辺に住んでいる作家たちの様子も大江から聞きだしているので、まさかのときに逃げこめる場所も探していたものだろうか。
小林多喜二.jpg 戦旗192812.jpg
上落合732大江賢次1938.jpg
上落合郵便局.JPG
 だが、小林多喜二Click!は上落合には以前から馴染みあったはずで、上落合186番地の村山知義アトリエClick!や、上落合460番地のナップ(全日本無産者芸術団体協議会)Click!あるいはナルプ(日本プロレタリア作家同盟)などへは、ときどき顔を見せていたはずだ。ただし、これらがすべて上落合の東部(現・上落合1丁目)にあった拠点なのに対し、大江賢次の家は上落合の中部(現・上落合2丁目)なので、多喜二には土地勘がなかったのかもしれない。
 小林多喜二が大江の家を点検する様子を、つづけて引用してみよう。
  
 彼は灯を消す前に裏口をたんねんに調べ、万一逃走の場合を吟味したらしかった。裏口の木戸は隣の大工さんと共有で、中井駅にいちばん近いむねを説明すると、右側のケヤキ林をすかして見て、/「常識はあぶない……少々まわり道でも、野方か新井薬師駅(ママ:新井薬師前駅)の方がいいな」と、つぶやいてほほえみ、さらに省電の中野と、高円寺駅までの距離をたずねた。「なんしろ、田舎もんでねえ」/灯を消すと、/「この辺に、どんな作家が住んでいるかね」/「丘の上には吉屋信子、下には林芙美子がいます」/「ふうん、女傑ばかりだなあ。…(後略)」(カッコ内引用者註)
  
 小林多喜二は、裏口の木戸から逃れて近くの中井駅へ向かっても、逃走したときに備え特高が網を張って待ちかまえていると判断したのだろう。余談だが、小林多喜二もまた新井薬師前駅のことを「新井薬師駅」Click!と呼んでいるのが面白い。現在でもそうだが、当時から「前」を省いてそう呼ぶのが一般的だったらしい様子がうかがえる。
 ちなみに、小林多喜二が地下へ潜行するようになったころ、吉屋信子Click!は変わらず下落合2108番地(現・中井2丁目)の丘上に門間千代Click!と暮らしていたが、林芙美子Click!は『放浪記』がヒットしたおかげで妙正寺川沿いの上落合850番地の旧・尾崎翠邸Click!から、夫で画家の手塚緑敏Click!とともに下落合2133番地(同前)の五ノ坂下にあった、大きな西洋館Click!(自称「お化け屋敷」Click!)へと転居していた。
大江賢次晩年.jpg 片岡鉄兵原泉子.jpg
村山知義壺井繁治.jpg 壺井栄村山籌子.jpg
上落合路地.JPG
 そのあと、ふたりは作品や文学の話などせずに、「筆おろし」の体験談や女の話をしながら眠っている。翌朝、大江賢次が目をさますと、すでに小林多喜二の姿はどこにもなかった。1933年(昭和8)2月、多喜二が築地署で虐殺Click!されたとき、大江賢次は特高に検挙され川崎署に拘留中だったため、杉並の自宅で行われた通夜や葬儀には出席できなかった。

◆写真上:上落合732番地(現・上落合2丁目)の、大江賢次邸跡(右手)の現状。
◆写真中上は、1938年(昭和13)作成の「火保図」にみる駐在所と付属住宅の跡。西落合1丁目37番地に地番は変わっているが、やはり「わけあり」のため駐在所も付属の住宅も解体されているようで空き地になっている。ひょっとすると、街道の拡幅工事のために東側の36番地へ移設されているのかもしれない。は、1974年(昭和49)に出版された大江賢次『故旧回想』(牧野出版)の表紙()と301部目の奥付()。
◆写真中下:上は、小林多喜二()と『一九二八年三月十五日』が連載されていた1928年(昭和3)発行の「戦旗」12月号()。は、1938年(昭和13)の「火保図」にみる上落合732番地の借家群。は、同邸から東へ20m余のところにある上落合郵便局。
◆写真下上左は、晩年の大江賢次。上右は、片岡鉄兵(右)と原泉(左)。中左は、村山知義(左)と壺井繁治(右)に宮本百合子(下)。中右は、壺井栄(左)と村山籌子(右)に奥は左から江口渙、中野重治、渡辺順三。は、昭和初期の面影が残る上落合の路地。大江宅をあとにした小林多喜二は、このような路地を縫ってはいずれかの駅へと向かったのだろう。

読んだ!(22)  コメント(24) 
共通テーマ:地域

読んだ! 22

コメント 24

ChinchikoPapa

一国だけで経済が成立し、国際関係の「信用」を考えず貨幣価値の変動も考慮に入れず、従来どおり日本の国債を引き受けてくれる国に変動がなければという前提ならば、それでいいんですけどね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ふるたによしひささん
by ChinchikoPapa (2021-11-02 11:18) 

ChinchikoPapa

「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>鉄腕原子さん
by ChinchikoPapa (2021-11-02 11:18) 

ChinchikoPapa

「読んだ!」ボタンをありがとうございます。>じーバトさん
by ChinchikoPapa (2021-11-02 11:19) 

ChinchikoPapa

祖父が書家だったにもかかわらず、わたしは字が非常にヘタですね。
「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kiyokiyoさん
by ChinchikoPapa (2021-11-02 11:21) 

ChinchikoPapa

O.コールマンというと、すぐasのいななきアルバムを想像してしまうのですが、この作品はvo曲が入ったりと1971年録音のリリースにしては意外です。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>xml_xslさん
by ChinchikoPapa (2021-11-02 11:24) 

ChinchikoPapa

「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>@ミックさん
by ChinchikoPapa (2021-11-02 11:26) 

ChinchikoPapa

もう少ししぶい浴衣が好みですが、撮影会だと映えないでしょうか。
「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kiyoさん
by ChinchikoPapa (2021-11-02 11:26) 

ChinchikoPapa

東京や神奈川の場合は、生活に不可欠な物価水準が他都市に比べて毎年平均で、東京が109前後で横浜が105前後(全国平均100)と突出していますから、最低賃金の高い同所へきても生活しやすくなるとは限らないように思います。特に居住関連の物価は、東京では毎年150前後ととび抜けた数字ですので、かえって苦しくなるケースも多いのではないでしょうか。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>サボテンさん
by ChinchikoPapa (2021-11-02 11:37) 

ChinchikoPapa

光に透かすと、花弁のグラデーションがよくわかりますね。
「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ryo1216さん
by ChinchikoPapa (2021-11-02 16:54) 

ChinchikoPapa

近所では、カラスウリが鮮やかな橙色の実をつけています。
「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>hirometaiさん
by ChinchikoPapa (2021-11-02 19:23) 

ChinchikoPapa

入院の経験はないのですが、病院のウワサはいろいろ聞きますね。
「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>にのまえさん
by ChinchikoPapa (2021-11-02 19:25) 

ChinchikoPapa

少し前まで、近所の庭から秋バラの香りが漂ってきました。
「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>tarouさん
by ChinchikoPapa (2021-11-02 21:21) 

ChinchikoPapa

きのう、うちでもネギ玉子焼きを作って食べました。鰹節や海苔を刻んで入れても美味しいですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>skekhtehuacsoさん
by ChinchikoPapa (2021-11-02 21:26) 

ChinchikoPapa

わたしも、いまだに10月初めぐらいの服を着ています。郵便局がステキですね。グリーンスローモビリティは、なんだか真っ赤に塗装されたやつを近くで見た憶えがあります。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>響さん
by ChinchikoPapa (2021-11-03 15:00) 

ぼんぼちぼちぼち

小林多喜二の惨殺された写真をネットで見たことがありやすが
ほんとに酷い殺され方をしたのが良く解りやした。
もう、絶句、怒り、憤り、、、お気の毒の限りでやす。
by ぼんぼちぼちぼち (2021-11-03 15:09) 

ChinchikoPapa

ぼんぼちぼちぼちさん、コメントと「読んだ!」ボタンをありがとうございます。
小林多喜二のようなケースが昔話ではなく、政府の方針に反対する「思想犯」を拷問、あるいは暗殺するような国々が、いまだに存在することにも怒りをおぼえますね。
by ChinchikoPapa (2021-11-03 15:25) 

ChinchikoPapa

中国ドラマはほとんど観たことがないので、出演している俳優はほとんど知らないですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>tomi_tomiさん
by ChinchikoPapa (2021-11-04 10:17) 

ChinchikoPapa

昔は「野々宮神社」と書かれていたのですが(社自身もそう表記していましたが)、いつの間にか「野宮神社」に変わっているんですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ネオ・アッキーさん
by ChinchikoPapa (2021-11-04 10:20) 

ChinchikoPapa

山葵や三つ葉が日本固有の野菜であることを、つい最近知りました。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>NO14Ruggermanさん
by ChinchikoPapa (2021-11-04 10:23) 

ChinchikoPapa

わたしは40歳前後で子どもから水疱瘡が感染し、ひどい目に遭ったことがあります。大人になってから罹患する子どもの病気は、症状が重篤でとても辛いですね。もっとも、子どもから水疱瘡がうつったと話したら、仕事仲間や友人知人たちから笑われてしまいましたが。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>芝浦鉄親父さん
by ChinchikoPapa (2021-11-04 18:28) 

ChinchikoPapa

神田川で頻繁にカルガモを見かけますが、そろそろ北から飛来した個体なのか、いつもサボッて北帰行しない1年じゅう定住のカモか、見分けがつきません。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kazgさん
by ChinchikoPapa (2021-11-06 15:56) 

ChinchikoPapa

こちらにも、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>U3さん
by ChinchikoPapa (2021-11-06 16:21) 

アヨアン・イゴカー

小林多喜二が大江の家の出口やら確認する状況は、想像するだけでもぞっとします。当時、こういうことは日本だけでなく、ドイツなどでも同じことがあったのだろうと思いますが、生きづらい時代だったのだと、つくづく感じます。
by アヨアン・イゴカー (2021-11-08 23:46) 

ChinchikoPapa

アヨアン・イゴカーさん、コメントと「読んだ!」ボタンをありがとうございます。
ケヤキの屋敷林をすかして見ながら、およそ220mほど北側にある中井駅方面をうかがう小林多喜二の姿は、非常にリアルで緊迫感が漂います。ドイツでのナチスに対する抵抗運動もそうでしょうが、現代中国やミャンマーなどでは現在進行形なのでしょうね。
by ChinchikoPapa (2021-11-09 10:59) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。