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うなぎ屋で林芙美子に襲われる大江賢次。 [気になる下落合]

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 大江賢次Click!林芙美子Click!との出会いが面白い。改造社の作家交歓会で、たまたま大江賢次と芹沢光治良Click!との間に座った彼女に、彼はいきなり「林さんは、なんぼですか」と歳を訊いている。芹沢光治良が紳士的に応対していたのに対し、彼は女性に歳を訊いてしまい「しまった!」と思たっが、林芙美子はすかさず「明治三十七年です」と答えている。この時点で、大江賢次は彼女を1歳だけ年上だと認識している。
 ぶしつけな質問に、まっすぐハッキリと答えた度胸に大江賢次は感心しているけれど、林芙美子は1903年(明治36)の生まれであり、1歳サバ読んでいるのに彼女が死ぬまで気づかなかった。8歳年上の芹沢光治良からは、会合のあとで「ご婦人に年齢をきくのは控えるべきだ」と強く戒められているようだが、大江賢次と林芙美子はどこかでウマがあったものか、その後も交歓会の席では会話が弾んでいたようだ。
 話をするうちに、大江賢次と林芙美子の家がすぐ近くにあったことに気づき、近所だからまた会いましょうということで別れている。1974年(昭和49)に牧野出版から刊行された、大江賢次『故旧回想』(500部限定)から引用してみよう。
  
 話すうちに、西武線中井の近くと知り、私と近いのを知った。芹沢も東中野で、おたがいに近いから又逢いましょうと約束した。/あとで訪れるとなかなかの家構えで、びっくりして見回していると、/「知合の人が領事で外国へ赴任したので、借りているだけなのよ。わたしには不相応で、ほんとに困ってるの」/そのときには、そうかなあと信じたものだが、仮の住いといった家に十年以上もいたところからみて、領事うんぬんは虚構だったのかも知れぬ。その席でご主人の手塚画伯も紹介されたが、画伯の郷里長野県から、健康そのものの林檎のような頬の女中さんが、出したのはお茶ではなくてコップ酒であった。
  
 この一文で、芹沢光治良の家が「東中野」としていることから、この改造社の交歓会は1932年(昭和7)以降に開催されたことがわかる。
 芹沢光治良Click!は、1928年(昭和3)にフランス留学から帰ると、ほどなく村山知義アトリエClick!の北60mほどのところにある、上落合206番地の借家に住んでいたが、1932年(昭和7)に建築中の自邸が竣工すると東中野へ転居している。ちなみに、東中野のこの家は空襲に遭い、パリで知りあった佐伯祐三Click!のセーヌ河畔の街並みを描いた風景画(50号)と、大江賢次が鳥取への疎開前に預けていった荷物や資料類が焼失している。
 ここに登場している林芙美子の家は、五ノ坂下の西側に建っていた下落合4丁目2133番地(現・中井2丁目)の大きな西洋館(内部は和洋折衷)Click!で、林芙美子は自称「お化け屋敷」Click!と呼んでいた住宅だ。大江賢次はその後、「領事うんぬんは虚構」だと推測しているように、この屋敷にはちゃんと下落合の地主が存在していた。
 1932年(昭和7)6月ごろ、妙正寺川の整流化工事計画にひっかかったからか、尾崎翠Click!に紹介してもらった上落合850番地の借家Click!から、転居先の住宅を探しに下落合まできていた手塚緑敏Click!林芙美子Click!は、居あわせた地主の老人に「借りてくれ」と懇願され、家賃として月々50円をふっかけられている。昭和初期の50円といえば、当時のサラリーマンの平均月収が50円余なので、月25~30万円ほどの家賃になる。
 地主の老人は、『放浪記』が売れに売れている新進作家の林芙美子Click!のことを知っていて、大きくふっかけたのだろう。だが、10年以上も同館に住みつづけられた、林芙美子の経済力もたいしたものだ。大江賢次はその後、彼女の「姐御」のような器の大きさを信頼し、結婚して転居した鶴見で特高Click!に検挙されたあと、落合地域にもどって小滝橋近くに住んでいたとき、鶴見時代の家財道具を林芙美子邸の地下室に預かってもらっている。
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 上落合2丁目732番地にあった大江賢次Click!の家から、下落合4丁目2133番地の林芙美子邸へ出かけるには、最勝寺Click!に接する北側の道を西へとたどり、妙正寺川に架かる美仲橋の道筋を北上して、西武線の踏み切りをわたり五ノ坂下に出るのがもっとも早いだろう。およそ500mの道のりなので、林邸のレンガ造りの門前に5分もあればたどり着けたはずだ。ちなみに、いまだ改正道路(山手通り)Click!が存在しないので迂回する必要がなく、現在よりも効率よく住宅街の道をぬって歩けたはずだ。
 ある日、林芙美子は大江賢次を誘って、わざわざ埼玉県の浦和にある田圃の中で店開きしていたうなぎ屋に案内している。『故旧回想』より、再び引用してみよう。
  
 かの女はあねご気取りで、酒をじゃんじゃん振舞い、こちらはいい気になって飲食していると、いきなり私のあぐらの上に乗り、キスをして仰向けざまに誘いながら、/「ね、わかるでしょ」/もちろん本意をすぐ覚ったが、善良なご主人の手前もあり、この手で戯れつつ観察して、モデルにされてはたまらんから、冗談ごかしに拒んだ。しきりにかき口説きながら、しつこく手ずから勇壮を励ましたが、どうにもならず……ふと、/「わたしは、そんなにくさいの」/べつに匂いなどにこだわるわけでなく、良人に対して申しわけないし、今後のつきあいを慮って婉曲に避けたが、もし情にほだされて淵にはまってしまったら、どんな返し波に運命が変ったものか。いま思い出しても、背筋がムズがゆく寒くなる。(中略) そのころ、妙正寺川をはさんで右岸の上落合は左翼作家、左岸は芸術派の尾崎一雄、太宰治、檀一雄などが住んでいた。左翼は弾圧をくらい、上落合はちりぢりとなり、多くは豊多摩刑務所に呻吟していた。
  
 大江賢次は、林芙美子のワナを賢明にもうまく避けているが、そのままワナにはまっていたらどんな意趣返しをされたか知れたものではなかっただろう。ただ、彼を口説いているとき、林芙美子は誘惑した著名な作家たちの名前を挙げつらっているが、これも彼女の妄想によるウソだったかもしれず、彼は「ワナの餌だったか知るよしもない」と記している。
 さて、「右岸」の上落合はプロレタリア文学の作家たちが数多く暮していたので書かれているとおりだが、「左岸」=下落合の尾崎一雄Click!は上落合2丁目829番地(現・上落合3丁目)の“なめくじ横丁”Click!から転居してきたばかりで、下落合5丁目2069番地(現・中井1丁目)の“もぐら横丁”Click!に住んでおり、檀一雄Click!は上落合2丁目829番地の“なめくじ横丁”から離れていないので、当時も「右岸」のままだったはずだ。
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 また、太宰治Click!の住居は上落合にはなく、檀一雄の家にしじゅう入りびたっていたのを住んでいたと勘ちがいしたか、あるいは下落合3丁目1924番地(現・中落合1丁目)の寺斉橋Click!北詰めにあった、萩原稲子Click!喫茶店「ワゴン」Click!でたびたび顔をあわせるので、下落合の住民だと思いこんでいたのかもしれない。
 うなぎ屋の一件以来、大江賢次は彼女の性格をすでにいくらか知っていたので、当然意趣返しを警戒していたが、当初からお互いウマが合うように感じていたせいか、林芙美子は以前とまったく変わらず彼に接していた。
 他の作家とは異なり、大江賢次が気どらない性格で、しかも小作人のせがれに生まれて貧乏だったため、高等教育を受けることができなかった境遇も、彼女に親しみを抱かせた点なのかもしれない。大江賢次のことを、どこか「弟」のように気を許していた気配があり、彼もうなぎ屋の一件からほどなくそのことに気づいている。
 そのうち、林芙美子は彼に本音をチラチラ漏らすようになった。いろいろな悪評が文壇に拡がった際も、気心が知れた大江賢次にはすっぱな口調でポロッとこぼしている。
  
 「なんとでも云わせておくがいいさ、ふん、どうせわたしはわたしなんだもの」と、煙草をスッとのんですぐプッと吐き、二、三の女流作家の名をあげて、「あんな乙に澄ました、レディなんかとちがう。わたしは宿なし犬のジプシーそだちなんだからね」
  
 この「二、三の女流作家の名」とは、もちろん同じ下落合に住んでいた吉屋信子Click!(下落合4丁目2108番地)と矢田津世子Click!(下落合4丁目1982番地)、そしてときどき吉屋信子邸Click!を訪れていた宇野千代Click!のことではないかと想像がつく。吉屋信子Click!矢田津世子Click!はお互い親しく往来し、林芙美子は吉屋邸でよく宇野千代Click!と遭遇している。3人とも、当時のマスコミや文芸誌ではよく取りあげられる人気作家であり、林芙美子にとってはまぶしく感じられる存在だったのだろう。
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大江賢次「絶唱」(講談社文庫版)1981.jpg 映画「絶唱」1975東宝.jpg
 林芙美子は、下落合4丁目2096番地に転居してから、吉屋信子の生活を真似てハイヤーを呼ぶときも丘下の道(中ノ道Click!)ではなく、丘の上へ呼んでわざわざ坂道(四ノ坂の階段)を上がっていったし、矢田津世子はことごとく気に入らなかったのか、彼女が結核で倒れるまでイヤガラセを繰り返している。恩人である長谷川時雨Click!に、うしろ足で砂をしっかけるようなマネをしたのも、マスコミにチヤホヤされる当時の同性作家たちに我慢ができなかったからだろう。大江賢次が「意趣返し」と表現する、林芙美子の底が知れない暗闇をたどっていると、とても成長した大人とは思えない精神的な稚拙さが透けて見えてくる。

◆写真上:下落合4丁目2133番地(現・中井2丁目)の五ノ坂下にあった、林芙美子・手塚緑敏夫妻邸の門。母家は、中ノ道から少し奥まった斜面に建っていた。
◆写真中上は、同邸のファサードと玄関に向かうエントランスで立って出迎えているのは林芙美子。は、1938年(昭和13)の「火保図」にみる同邸。「火保図」の調査員はここでもいい加減で、「手塚」の表札を「牛塚」と誤採取している。は、上落合2丁目732番地の大江賢次邸から下落合の林芙美子邸へと向かう道筋。
◆写真中下は、林芙美子・手塚緑敏邸の応接間。新聞や出版社の記者・編集者の訪問を見こんで、かなり広くまた何部屋かあったようだ。は、林芙美子の書斎。
◆写真下は、1941年(昭和16)に四ノ坂下にある下落合4丁目2096番地(現・中井2丁目)に竣工した林芙美子邸(現・林芙美子記念館Click!)。は、大江賢次が気に入っていたらしい夫・手塚緑敏Click!が使用していた同邸付属のアトリエ採光窓。は、1981年(昭和56)に講談社文庫として出版された大江賢次『絶唱』()と、わたしの世代ではこのバージョンが記憶に残る1975年(昭和50)制作の東宝映画『絶唱』()。

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ChinchikoPapa

魚屋さんがなくなって、スーパーの切り身しかないのが寂しいですね。魚屋のおじさんに、よく活きのいいイナダやスズキをおろしてもらいました。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kiyoさん
by ChinchikoPapa (2021-11-08 14:30) 

ChinchikoPapa

「読んだ!」ボタンをありがとうございます。>鉄腕原子さん
by ChinchikoPapa (2021-11-08 14:31) 

ChinchikoPapa

「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>@ミックさん
by ChinchikoPapa (2021-11-08 14:31) 

ChinchikoPapa

歯のクリーニングをしていただいていた、いきつけのJAZZがよく流れている歯医者さんが閉院するそうで、ちょっとガッカリしています。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kiyokiyoさん
by ChinchikoPapa (2021-11-08 14:32) 

ChinchikoPapa

天安門に「香港人民弾圧絶対反対!」のスローガンを書いた、横断幕を掲げたくなります。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>tomi_tomiさん
by ChinchikoPapa (2021-11-08 14:37) 

ChinchikoPapa

今年は夏が短かったせいか、果物も甘みが薄いだろうと思っていたのですが、ご近所からいただいた落合柿はかなり甘みがありました。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>じーバトさん
by ChinchikoPapa (2021-11-08 14:39) 

ChinchikoPapa

60年代半ばのP.ブレイに、こんな演奏があったんですね。B.エバンスに、「ちょっとフリーがかって弾いてみて」とお願いすると、こんな演奏だたのかな……というような想像が湧きました。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>xml_xslさん
by ChinchikoPapa (2021-11-08 14:43) 

ChinchikoPapa

東京国際フォーラムの1Fに、千代田城天守の復元模型が飾ってあったのですが、まだ置かれているでしょうか。模型ではなく、早く実物を再建してほしいものです。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ryo1216さん
by ChinchikoPapa (2021-11-08 14:48) 

ChinchikoPapa

10月に各地で菊祭りが行われていましたが、今年は見損なってしまいました。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>tarouさん
by ChinchikoPapa (2021-11-08 18:42) 

ChinchikoPapa

そろそろ気温が低くなってきたせいか、うちのネコは毎日、風呂場のフタの上で寝ています。日向ぼっこをしながら「いつか、狩ってやる」と、殺気立って鳥たちを眺めるのも好きなようです。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>skekhtehuacsoさん
by ChinchikoPapa (2021-11-09 10:47) 

ChinchikoPapa

河竹黙阿弥などに多い芝居の七五調の台詞は、そのリズム感とともに一度覚えると忘れないですね。風呂に入っているときなど、台詞をいいながら湯船につかると気持ちがいいです。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>サボテンさん
by ChinchikoPapa (2021-11-09 10:50) 

ChinchikoPapa

その昔書いた文章に、つい手を入れたくなりますが、不精なわたしはキリがないのでほったらかしです。次の新しい映像作品、楽しみにしています。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>アヨアン・イゴカーさん
by ChinchikoPapa (2021-11-09 10:53) 

ChinchikoPapa

泳いでる魚は、浅瀬や堤防などに多くいるイシモチでしょうか。単なる海辺に造成された公園ではなく、海の生物を観察できる臨海公園がいいですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kazgさん
by ChinchikoPapa (2021-11-09 11:06) 

ChinchikoPapa

ご訪問と「読んだ!」ボタンを、ありがとうございました。>NO14Ruggermanさん
by ChinchikoPapa (2021-11-09 17:40) 

ChinchikoPapa

今年の5月に結婚式へ出席したのですが、ノンアルコールの「ワイン」に「ビール」で、料理はおいしかったもののやはり少々味気なかったです。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>fumikoさん
by ChinchikoPapa (2021-11-10 09:57) 

ChinchikoPapa

ご訪問と「読んだ!」ボタンを、ありがとうございました。>ふるたによしひささん
by ChinchikoPapa (2021-11-10 09:59) 

ChinchikoPapa

昨日は大雨でしたが、きょうは一転して快晴です。空の青さに深みがあり、秋たけなわの感じがしますね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>okina-01さん
by ChinchikoPapa (2021-11-10 12:00) 

ChinchikoPapa

ご訪問と「読んだ!」ボタンを、ありがとうございました。>U3さん
by ChinchikoPapa (2021-11-10 21:35) 

ChinchikoPapa

こちらにも、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ネオ・アッキーさん
by ChinchikoPapa (2021-11-11 16:28) 

ChinchikoPapa

以前の記事にまで、わざわざ「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>yamさん
by ChinchikoPapa (2021-11-14 15:46) 

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