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金山の刀鍛冶は石堂守久一派の工房か。 [気になるエトセトラ]

雑司ヶ谷金山1.JPG
 今年も拙サイトをご訪問いただき、ありがとうございました。きょうの記事が、今年最後のアップロードとなります。どうぞ、よいお年をお迎えください。
  
 雑司ヶ谷村の金山で鍛刀していた石堂派Click!については、その出自や系統についてこれまで何度か記事Click!を重ねてきている。ちょうど古刀期から新刀期へと移行する時期、室町末から江戸最初期にかけて、琵琶湖のほとりの近江にいた刀工集団である石堂派は、戦の世が終焉しそうなのを踏まえ、いくつかの流派が日本の各地へと散っていった。
 石堂派の江戸における主流となった初代・石堂是一(川上左近)は、いち早く江戸への移住を決意して近江をあとにしている。また、残った流派も筑前(福岡)や紀州(和歌山)、大坂(大阪)などおもに当時の都市部(城下町)へ移り住んで工房をかまえることになった。石堂派は、華やかな丁子刃(ちょうじば)を得意とする備前伝の刀工であり、京の公家たちには好まれたが、昔から鎌倉期の五郎入道正宗Click!を頂点とする豪壮かつ優美な相州伝を好む東日本の武家には好まれず、特に江戸石堂派は相州伝を学び直して、「相伝備前」と呼ばれる独自の作品群を生みだしていることにも触れた。
 その過程で、近江の石堂派が全国へと展開した流派の中には、雑司ヶ谷村の金山Click!に工房をかまえたとみられる一派は見つからず、たとえ石堂系の刀工が工房をかまえていたとしても、早々に主流の江戸石堂派の工房へ吸収されてしまったのではないかと考えた。だが、江戸で鍛刀した石堂派の中で、ひとつ見落としていた一族があった。非常に目立たず地味な存在で、三代つづいたかどうかさえ不確かな一派だが、江戸時代の初期に江戸へとやってきて、いずれかの地に工房をかまえている。
 なぜ見落としていたのかというと、近江の石堂本家から分派したのではなく、すでに室町期に分派を終えていた別の地域から、ワンクッション置いて江戸へとやってきており、すでに江戸では石堂是一が大々的に工房をかまえていたため、最後まで目立たず存在感が薄くなってしまった一派だ。現在も、この刀工に注目する愛刀家は少なく、刀剣美術界でも非常に地味でライトをあびない存在となっている。また、江戸へ出府した当初は、お家芸である備前伝を焼いていたが、それが江戸ではあまり受けずに売れないと判断してからは、備前伝の技法をベースに地味な直刃(すぐは)や、乱刃(らんば)に近い互ノ目(ぐのめ)の刃文を焼いているが、とてもその作品に注文が多かったとは思えない。
 したがって、初代の作品はそれなりに現代まで伝えられているが、2代というと作品はまれになり、3代以降はほとんど現存しない状況となっている。3代以降の作品がないのは、ただ単に発見されていない鑑定漏れか、それとも工房自体を閉じてしまい主流の江戸石堂派へ合流したか、あるいは刀工を廃業して早々に転職してしまったのかもしれない。
 その石堂派の傍流とは、初代・石堂守久を中心とする一派で、出自が美濃とも尾張ともいわれているがハッキリしない。おそらく、室町期に石堂守久の先代が尾張または美濃へ石堂の丁子刃を伝えたが、地元では作品があまり受けず(尾張や美濃では、室町期から地元の美濃伝が主流だったろう)、江戸初期の石堂守久の時代になってから江戸へ出府しているのではないか。茎(なかご)の銘は、「守久」「秦東連(しんとうれん)」などと切り、初代の作品はけっこう現代まで伝えられている。
 石堂守久について、2013年(平成25)出版の得能一男『刀工大鑑』(光芸出版)から引用してみよう。ちなみに、同書では「守久」と「東連」の2項目で掲載・解説されている。
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石堂守久4.jpg
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 守久(もりひさ) 慶安-武蔵
 「武州豊島郡江戸庄石堂秦守久」「武州住石堂秦守久」「石堂秦東連」江戸石堂。石堂八左衛門。本国美濃。のちに銘を東蓮と改める。慶安元年より承応三年までの紀年銘がある。作刀は地に映りが出て匂出来の丁子乱をやき、刃文がこずむものが多い。直刃、互の目も見る。(東連の項参照) 業物。
 東連(とうれん) 寛文-武蔵
 「東蓮」「秦東連」「武州住石堂秦東連」江戸石堂。石堂八左衛門。初銘「守久」本国美濃。初代守久同人。延宝四年より入道の二字を添う。業物。(守久の項参照)
  
 文中に「業物」とあるのは、1797年(寛政9)に刊行された試し斬りの山田朝右衛門吉睦(5代目)『懐宝剣尺』(柘植平助編)により、刀剣の斬れ味に等級をつけた評価本で、斬れのよい順に「最上大業物」「大業物」「良業物」「業物」などに分類されている。
 この解説では本国を「美濃」としているが「尾張」から江戸へ出府という説もあり、おそらく1640年前後の寛永年間ごろにいずれかの地域から江戸に出てきて、ほどなく鍛刀しはじめているのだろう。もうお気づきかと思うが、雑司ヶ谷村の金山にいた石堂を名のる刀工は、1828年(文政11)に昌平坂学問所地理局によって編纂された『新編武蔵風土記稿』(雄山閣版)によれば、「石堂孫左衛門」と名前が記録されている。同書より、石堂孫左衛門が登場する金山稲荷社(鐵液稲荷)Click!の解説箇所を引用してみよう。
  
 土人鐵液(カナグソ)稲荷ととなふ、往古石堂孫左衛門と云ふ刀鍛冶居住の地にて、守護神に勧請する所なり、今も社辺より鉄屑(鐵液のこと)を掘出すことまゝあり、村民持、又この社の西の方なる崕 元文の頃崩れしに大なる横穴あり、穴中二段となり上段に骸及び國光の短刀あり、今名主平治左衛門が家蔵とす、下段には骸のみありしと云、何人の古墳なるや詳ならす、(カッコ内引用者註)
  
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守久銘4.jpg
 石堂守久(石堂八左衛門)が、江戸初期に工房をかまえた場所は不明だが、「石堂八左衛門」と「石堂孫左衛門」との間に名前の関連性を感じる。江戸石堂の初代が石堂是一、本名が川上左近と武家らしい名前なのに対し、石堂守久は「八左衛門」といわれるだけで苗字が伝わっておらず、「石堂」は姓ではなく近江の地名だ。
 すなわち、本流である江戸石堂は出自が武家中心の工房であるのに対し、石堂守久の一派は農工商いずれかの身分の出身者だったのではないだろうか。そして、初代の石堂守久(八左衛門)の跡を継いだ2代目・守久、あるいは3代目・守久の本名が「孫左衛門」だった可能性がある。このあたり、石堂守久の一派が江戸中期で姿を消してしまうため(作品や資料が未発見の可能性もあるが)、またその作刀技術が初代を除き評判にならなかったせいで、詳細な記録が残りにくかった事情もありそうだ。
 1676年(延宝4)より、年をとった初代・石堂守久は入道して「東連」または「東蓮」と銘を切るようになり、おそらく家督を息子あるいは娘婿にゆずっている。この年以降に残されている「守久」銘の作品が、銘を切るタガネの手がちがう2代・守久の鍛刀ということになる。2代・守久は作刀があまり現存しておらず、3代・守久については存在していたのかさえ曖昧で、彼らについて書かれた書籍はきわめて少ないが、1975年(昭和50)に刊行された藤岡幹也『刀工全書』には、次のように記録されている。
  
 守久 武州住
  新刀 石堂秦八左衛門尉守久と打ち、後に入道して東連と改む。寛文の頃
 守久 武州住
  新刀 同二代 石堂秦守久と打つ、元禄の頃
  
 初代・石堂守久(八左衛門)は、江戸へ出府の当初は丁子乱れの備前伝を焼いていたとみられるが、あまり売れないとわかると剣形(刀の体配=姿のこと)を江戸好みに変えたり、丁子刃ではなく直刃や錵(にえ)本位の互ノ目刃に挑戦したりと、いろいろ試行錯誤をしながら作刀していた様子が、今日まで伝わる作品群に見てとれる。
 また、石堂の備前伝は匂(にお)い出来が基本なのにもかかわらず、しばらくすると覇気のある相州伝のような錵出来にもチャレンジしており、明らかに相州伝のもつ豪壮な美を意識し、追究しているのがわかる。初代・石堂守久が作刀した時代は、その出来が相州正宗にも劣らないと大評判になった長曾祢興里入道虎徹Click!と同時代であり、それも備前伝の石堂守久にとっては非常に不幸で、彼には不利な江戸のマーケット状況だったのだろう。
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雑司ヶ谷金山2.JPG
 3代目以降、石堂守久一派はどこへ消えたのだろうか。江戸石堂の本流である石堂是一の工房に合流したか、農具や生活用具を鍛える「野鍛冶」へ転向したか、あるいはまったくの職業がえをしているのかもしれない。雑司ヶ谷村の金山から、数代はつづいたであろう工房をたたんで去っていった石堂孫左衛門とは、石堂守久(秦東連)一派の後代ではないだろうか。そして、なぜ工房の建設に雑司ヶ谷村の金山を選んだのかは、刀身への土置き(焼き入れ前の工程)に適する良質な粘土が、タタラ(神奈流し)跡の崖地に露出していたのではないか。刀鍛冶をめぐる、もうひとつの重要なテーマは機会があれば、またいつか、別の物語……。

◆写真上:石堂派の工房があった、雑司ヶ谷金山にある丘のバッケ(崖地)Click!
◆写真中上:初代・守久による、匂い本位の華やかで典型的な丁子刃を焼く備前伝作品。このような貴族趣味的な刃文は、江戸をはじめ東日本では流行らなかった。
◆写真中下:茎(なかご)に刻まれた、初代・石堂守久(八左衛門/秦東連)の銘。いちばん下の作品では、めずらしく逆丁子(さかさちょうじ)の刃文を焼いている。
◆写真下は、初代・守久による丁子刃ではなくのたれ気味の直刃(すぐは)作品。は、まるで相州伝のような荒錵(あらにえ)のついた錵本位の互ノ目を焼く初代・守久の作品。おそらく努力を重ねて、備前伝からの脱却を試みていたのだろう。は、金山の山麓。
おまけ
 1974年(昭和49)制作のTVドラマ(ユニオン映画)で、都電荒川線の鬼子母神前電停近くにあった喫茶店の向かいに、鍛冶屋が営業しているのを見つけた。おそらく、包丁やハサミの刃物かヤスリなどを製造していた街中の鍛冶店で、江戸期の用語でいえば「野鍛冶」ということになるが、雑司ヶ谷金山の石堂との関連があるのかないのかが気になるところだ。
雑司ヶ谷電停鍛冶屋1975.jpg

読んだ!(17)  コメント(21) 
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読んだ! 17

コメント 21

ChinchikoPapa

表題曲はpfとpercの響きが、サバンナを越えて聴こえてきそうな曲想です。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>xml_xslさん
by ChinchikoPapa (2021-12-29 17:58) 

ChinchikoPapa

うだるような真夏の通天閣下にある喫茶店で、アイスコーヒーを注文したら「冷コやて」というオーダー通しが聞こえ、「おお、大阪にいるんだ」と実感した憶えがあります。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>tomi_tomiさん
by ChinchikoPapa (2021-12-29 18:00) 

ChinchikoPapa

よいお年をお迎えください。
「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>NO14Ruggermanさん
by ChinchikoPapa (2021-12-29 18:01) 

ChinchikoPapa

「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ふるたによしひささん
by ChinchikoPapa (2021-12-29 18:01) 

ChinchikoPapa

大巧寺から東側の滑川にかけては、芝居『青砥稿花紅彩画』の舞台ですね。もちろん、滑川を隅田川に見立てた筋立てですが。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>tarouさん
by ChinchikoPapa (2021-12-29 18:06) 

ChinchikoPapa

「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>鉄腕原子さん
by ChinchikoPapa (2021-12-29 18:08) 

ChinchikoPapa

なかなか仕事が納まらず、きょうもクライアントからのメールがつづいています。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kiyokiyoさん
by ChinchikoPapa (2021-12-29 18:09) 

ChinchikoPapa

「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>@ミックさん
by ChinchikoPapa (2021-12-29 20:54) 

ChinchikoPapa

きょうは落ち葉掃きをしたのですが、裏で野放図に伸びていたアロエの葉を、ずいぶん摘まんでしまいました。ちょっと、もったいなかったですね。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ぼんぼちぼちぼちさん
by ChinchikoPapa (2021-12-29 20:57) 

tomi_tomi

今年1年 訪問・nice!有難うございました。来年も良いお年をお迎えください!
by tomi_tomi (2021-12-30 13:46) 

ChinchikoPapa

tomi_tomiさん、コメントをありがとうございます。
こちらこそ、いつも「読んだ!」ボタンをありがとうございます。来年もバイク周遊によるレポート、楽しみにしています。ご健勝でおすごしください。
by ChinchikoPapa (2021-12-30 19:58) 

ChinchikoPapa

ケニアでは、暑さに弱い警察犬のかわりに「警察チーター」が活躍しているようですが、匂いを追跡するのは苦手でしょうね。根がネコなので、警備用の脅しネコといった役割でしょうか。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>サボテンさん
by ChinchikoPapa (2021-12-30 20:01) 

ChinchikoPapa

ちょうど国産のヘッドホンが壊れかけていて、今度はゼンハイザーかAKGの製品を買おうかと思っているところです。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>じーバトさん
by ChinchikoPapa (2021-12-30 20:04) 

ChinchikoPapa

きのうが仕事納めのつもりだったのですが、メールが途絶えないのはリモート業務が浸透したせいでしょうか。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>hirometaiさん
by ChinchikoPapa (2021-12-30 20:05) 

ChinchikoPapa

来年こそ、あちこち旅行に出られるようになるといいですね。よいお年をお迎えください。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>ネオ・アッキーさん
by ChinchikoPapa (2021-12-30 20:07) 

ChinchikoPapa

本年もご訪問いただき、ありがとうございました。来年も、よろしくお願いいたします。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>fumikoさん
by ChinchikoPapa (2021-12-31 11:25) 

kiyokiyo

ChinchikoPapaさん
こんにちは
お仕事、年末までお忙しかったんですね、お疲れ様でした。
今年も毎回コメントを頂きまして、ありがとうございます。
来年も新型コロナが暴れ回るのでしょうが、お互いに感染をしないように気を付けましょう!^^
来年もよろしくお願いいたします。



by kiyokiyo (2021-12-31 15:40) 

ChinchikoPapa

kiyokiyoさん、コメントをありがとうございます。
リモートワークが一般化してから、曜日や時間の感覚がみなさん薄れたのか、土日祝日&年末年始に関係なく仕事をしてる方がいらっしゃるようですね。^^;
なんだか、大正期のパンデミックとほぼ同じような経緯をたどりそうで、来年も少なからず心配ですが、こちらこそ来年もよろしくお願いいたします。
by ChinchikoPapa (2021-12-31 20:55) 

ChinchikoPapa

サングラスに反射する高徳院の大仏は、ステキですね。よいお年をお迎えください。「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>(。・_・。)2kさん
by ChinchikoPapa (2021-12-31 23:32) 

ChinchikoPapa

こちらにも、「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kiyoさん
by ChinchikoPapa (2022-01-01 15:40) 

ChinchikoPapa

暮れの記事にまで、ごていねいに「読んだ!」ボタンをありがとうございました。>kazgさん
by ChinchikoPapa (2022-01-04 13:14) 

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