富永哲夫博士による家庭衛生の常識。(8) [気になる下落合]
現在は貸家や貸室が空くと、次の入居者のために汚れ落としや見栄えをよするリフォームを行なったり、衛生管理のうえでもハウスクリーニングを実施するのがあたりまえになった。でも、昭和初期の当時は、前入居者が残していったゴミや室内の汚れを、次の入居者が清掃するのが当然のように行われている。だから、室内の衛生管理も入居予定者の大きな課題のひとつとなっていた。
戦前の人々は、借家または借地上に建てた住宅に住むのがあたりまえであり、自身でわざわざ土地まで購入して住宅を建てるという、戦後に一般化したスタイルはむしろめずらしいほうだった。当時の貸家の賃料も、また敷地の借地料も現代に比べたら相対的に安かったせいもあるのだろう。下落合でいえば、むしろ目白文化村Click!や近衛町Click!、落合府営住宅Click!、アビラ村開発Click!などディベロッパーや自治体による住宅敷地あるいは住宅販売のほうが、いまだ少数派だった時代だ。
わたしが30年ほど前に住んでいた、聖母坂のマンションは敷地が神社の所有地で、以前に締結された60年契約の借地料が数百万円とかなり安かったのを憶えている。当然、2000年以降の契約からは時代がかなり経過しているので、次回の更新時にはやや値上がりするのだろうが、それでも集合住宅なので一戸あたり何十万円かの借地料を出しあえば、再び60年は借りられる計算になる。固定資産税なども考慮すれば、この地域で土地を購入するよりも、よほどリーズナブルにちがいない。
さて、昭和初期の貸家や貸室に入居する際は、家内や室内の消毒が不可欠だった。もちろん、ノミやダニなどの害虫がいるかもしれないので駆除する必要もあったが、主目的は先住者が残していったかもしれない病原菌の消毒にあった。ことに先住者が転居したあと、すぐに入居する場合は空気感染による伝染病を予防する必要があると、富永哲夫Click!は指摘する。彼が挙げる伝染病とは、麻疹(はしかなど)や痘瘡(天然痘)、百日咳、猩紅熱、インフルエンザ(ウィルスではなく菌のケース)、そして結核だ。
これらの菌は、屋外に出れば太陽光と乾燥によりほどなく死滅するが、屋内の湿潤な塵埃にまぎれて飛散すれば、次の入居者へ感染しかねないと警告している。そして、「前住者が如何なる疾患の持主であつたか不明なる故、一応充分に清掃消毒して住み込む必要がある」と注意をうながしている。当時、大流行していた結核は、大正末の段階で年間28万人以上の罹患者(発症者)Click!を記録しており、富永哲夫は結核菌の潜伏は長期間にわたるので、新たな入居者は注意が必要だと解説している。
ただ、現代の環境から見れば、結核菌は相対的に弱い菌であり、よほどの不摂生な生活か栄養失調になりそうな偏食でもしていないかぎり、体内に取りこんでも通常は発症しないで制圧され抗体が形成される。小学校時代にイヤだったツベルクリン反応の注射だが、この検査で「陽性」と判定されBCGを打たなくて済んだ生徒たちは、もちろん結核菌の感染者(キャリア)だ。わたしは毎年「陰性」になるので、痛いBCGを避けるために、ツベルクリンを打ったところをシッペで叩き、皮膚を紅くして「陽性」を装ったことが何度かあるが、教師に見つかって怒られた憶えがある。
富永哲夫がここで推奨する、家内あるいは室内を一気に消毒・殺菌する方法は、「フオルマリン瓦斯消毒法」と呼ばれていたものだ。これは、フォルマリンを加熱してガスを発生させるか、あるいはフォルマリンに過マンガン酸カリを加えて、一気にフォルムアルデヒドガスを発生させるもので、現在なら「絶対にダメでしょ!」の方法だ。『家庭衛生の常識』Click!(帝國生命保険/1932年)から引用してみよう。
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先ず室を密閉し、内容積千立方尺(約27.8m2)につき一個づゝの割合に四斗樽又は箱を用意し、その各に「バケツ」を入れ、局方「フオルマリン」二封度(ポンド)を同量の水に希釈したものを入れる。これに二封度(ポンド)の過「マンガン」酸加里を加へるのであるが、予め樽の周囲に新聞紙などを敷きつめて薬液飛散して汚染することを防ぐ。出口は何時でも閉鎖出来るやうにして置き、過「マンガン」酸加里を加へ、直ちに室外に出でゝ出口を閉鎖するのである。かくして一夜そのまゝに放置すれば完全に消毒が行はれるのである。(中略) 出口には指揮者が立つて号令のもとに薬を投入し、直ちに室外へ出で、全人員が外に出たのを確めて出口を閉鎖すべきである。誤つて人間をその室内に閉じ込める場合には、甚だしき不幸を惹き起こすのである。(カッコ内引用者註)
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フォルムアルデヒドのガスを発生させているときだけでなく、その後、部屋で暮らすようになる住民にとっても、残留ガスによって喘息や鼻炎、皮膚炎、呼吸器疾患、粘膜炎症、その他アレルギー症などの「甚だしき不幸」が起きそうで、まず今日ではありえない消毒法だろう。翌朝、家の戸口をいっせいに開放して、室内の残留ガスを外へ逃がすのだが、もしフォルマリン臭が気になるなら、アンモニア水を薄めて撒布すれば臭いは消えるとしている。だが、これもまた敏感な人なら皮膚や粘膜に炎症を起こす要因になりそうで、今日では「とんでもない」といわれそうだ。
家屋の中でも、特に不衛生になりやすいのが便所だ。特に便所の場合は、市街地を除いてほとんどが汲取り式だったため、ハエの発生源となっていた。ハエはコレラや赤痢、パラチフス、腸チフスなどを媒介するので成虫になる前、すなわちウジの段階で退治すべきだとしている。東京市衛生試験所が当時調査したものだろうか、赤痢患者が入院している病室に飛翔していたハエを捕まえたところ、約43%のハエで赤痢菌が見つかっている。
便所の掃除は、今日と比べてもあまり違和感がない。同冊子より、引用してみよう。
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瀬戸物製の便器は希塩酸をつけた縄束(たわし)にて摩擦し、その上に充分水をかけて流すのである。汚染したものが乾燥すれば、除き難くなるものであるから、怠けずに清拭するがよい。/便所の消毒は普通の場合は必ずしも必要ではないが、伝染性の疾患が発生した場合又は夏季の悪疫流行時などには必要である。殊に日本式汲取り便所に於て必要欠くべからざるものである。/便所の板戸、引手、踏板、便器、或はその周囲などは、「クレゾール」石鹸液が最もよい。一-二%の溶液として洗ふのである。其他昇汞の五千倍溶液、石炭酸水二%溶液なども用ひられる。(カッコ内引用者註)
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現在でも、さまざまな製品名をつけて売られているトイレ用洗剤は、塩素系のものを中心に昭和初期の当時とあまり変わらないだろう。ただし、便器の周囲にはプラスチック製の精密機器が増えたため、便器用の洗剤とは別に便器の周辺機器用のアルコール系洗剤や、同様のウェットタオルなどが販売されている。
東京市衛生試験所では、疫病を媒介するハエを撲滅するために、製薬会社とタイアップしウジの状態で退治する石油系乳剤を販売している。汲取り式の便槽や、下水の側溝などに撒いておくのだが、各地域の保健所が販売窓口となっていた。
もうひとつ、住宅には病気の発生源となる部屋がある。富永哲夫が、「病は台所より」と書いているキッチンの衛生管理だ。だが、冷凍冷蔵庫Click!がどこの家庭でも普及している現在、昭和初期の衛生管理はほとんど意味をなさなくなった。戦前の住宅に設置される台所は、たいがい太陽が当たらず室温が上昇しにくい、北側へ設計するのが常識だった。もちろん、食品の腐敗を懸念しての配慮だが、食品の保存管理を自由に設定できる現代では、台所は任意の方角に設置可能だ。
また、富永哲夫は防湿を考慮してタイル貼りの仕様が望ましいととているが、現代ではステンレスや特殊セラミック、合成樹脂など素材技術の進歩により、目地が汚れやすくカビが付着しやすいタイル貼りの台所は、逆にめずらしくなりつつある。そして、台所は火を使うので熱気がこもりやすく、一酸化炭素などが大量に滞留する怖れがあるため、換気に十分配慮する必要があると書いている。これもまた、性能のいい換気扇Click!の登場で、戦後にはほとんど解消された課題だ。同冊子より、つづけて引用してみよう。
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台所は食物の調理をいる処である為、木炭や薪或は瓦斯を盛に使用する。従つて炭酸瓦斯が多量に発生し、稀には一酸化炭素も出ることがある。尚炊事の為めに温度が高くなり、蒸気が盛に発生して湿潤になり易い。従つて台所は特に空気の流通を計らなければならぬ。/一般に台所を開放すれば、火焔が動揺して「煮たき」の能率を減ずるものであるから、閉ざされ勝である。然る時は空気を汚染するのみならず、食物の腐敗を甚しく早める等の不利益も伴ふものであるから、通風換気の点に最も意を払ふ必要がある。戸棚も出来得る限り通気を充分にするがよい。
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当時の電気換気扇は高価だったため、富永哲夫は図版入りで「熱突」(熱やガスを逃がすための排管)の設置を推奨している。こちらでは、大正期に建てられた住宅の便所に設置する「臭突」Click!を何度かご紹介しているが、台所にもまった同じような「熱突」がある家も多かったのだろう。自然の風力を利用してベンチレーターが回転し、台所から出る熱を外へと逃がす仕組みだ。
最後に、食品に関しては家庭ですでに調理したもの、あるいは野菜など洗って清浄にしたものと、店から買ってきたばかりの食品とを、一緒の戸棚の中に入れてはダメだと書いている。上記の文中に通気性のよい「戸棚」を推奨しているのは、中に残った料理や食品類が入っているからで、店舗には衛生管理された食品が並び、家庭にはキッチンに必ず冷蔵庫がある現代の環境からは想像できない留意点だろう。食器類の定期的な煮沸消毒やアルコール消毒、天日干しなどを行なっている家庭も、もはや存在しないのではないかと思う。
<了>
◆写真上:昭和初期の家屋が並ぶ、戦災から焼け残った本郷地域の一画。
◆写真中上:上は、畳を敷けばいかにも貸間らしい昭和初期の住宅。中は、昭和初期の面影を残した階段のある路地。下は、下宿屋らしいたたずまいの家屋。
◆写真中下:上は、衛生面から推奨されている陽当たりがいい日本間。中は、昭和初期の市街地に建てられたコンパクトなモダン住宅。下は、荻窪にある昭和初期に建てられた現役の「西郊ロッヂング」アパートメント(国登録有形文化財)。
◆写真下:上は、台所の熱やガスを逃がす「臭突」によく似た「熱突」。中は、大正期から昭和初期の雰囲気が残る台所。下は、帝國生命保険が提供する当時の健康増進サービス一覧。今日の保険会社が提供するサービスと、あまり変わらないのがわかる。
素晴らしいブログですね!
「左卜全」について、「noteの「名言との対話」で参考にさせていただきました。ありがとうございます。
https://note.com/hisatune/n/n7aa2164a00a5
by 久恒啓一 (2022-02-21 11:13)
久恒啓一さん、わざわざコメントをありがとうございます。
左卜全は、かなり面白い人物ですね。黒沢映画では農民や、出自がよくわからないとぼけた風来坊の役柄のイメージがありますが、彼には真摯な剣客としての側面や刀剣趣味がありますので、機会があればもう一度「ズビズバー」と取り上げたい気がしています。w
by ChinchikoPapa (2022-02-21 12:30)
あ!西郊ロッヂング!西荻窪に住んでるので、この建物の前はしばしば散歩してやした。
by ぼんぼちぼちぼち (2022-02-21 12:36)
ぼんぼちぼちぼちさん、コメントをありがとうございます。
道路を歩いていると、思わず見とれてしまう意匠の建築ですね。こういう風景を見ると、なんとなくホッとして近くの「ミニヨン」に寄り、昔のレコードを聴きながらコーヒーを飲みたくなります。w
by ChinchikoPapa (2022-02-21 13:12)
今、パソコンの個人講習を受けているので、「友達で凄いブログを書く人がいるんです。是非見て下さい」と先生にPapaさんのブログを推奨しておきました。「拝見させて頂きます」と返信がきていました。まだお若い先生ですが、趣味にバンドをやっていたりして、魅力的な個性の持ち主です。余計なことをして済みませんが、このブログをもっと色んな人に見て欲しいのです。ご免なさい。
by Marigreen (2022-02-28 17:25)
Marigreenさん、コメントをありがとうございます。
ご推薦いただき、恐縮です。講師の方には、ご笑覧くださいとお伝えください。
ところで先日の「自然みかん」、抜群に美味しかったですね。ごちそうさまでした。
by ChinchikoPapa (2022-02-28 17:29)