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「怪談興行」や「グロ週間」もある公楽キネマ。(上) [気になる下落合]

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 上落合521番地で営業していた映画館「公楽キネマ」Click!では、どのような映画が上映されていたのだろうか。以前、長崎町のバス通りにオープンしていた洛西館Click!(のち目白松竹館)の上映作品を、同館で発行していたパンフレットClick!とともにご紹介していた。同館では、松竹蒲田や松竹大船で撮影された作品を上映していたが、公楽キネマは東京宝塚映画(現・東宝)系の作品を上映している。
 手もとには、公楽キネマで発行されていた1933年(昭和8)の下半期パンフレットが14部ほどあるが、当時は無声映画が主流なので、もちろんスクリーンには字幕が入り、気のきいた劇場ならピアノかヴァイオリンの画面に合わせた生演奏や、蓄音機によるレコードの伴奏などがつき、あるいは古い映画館ならいまだ所属の活動弁士がいたかもしれない。
 当時、公楽キネマへ通った上落合住民の方の証言が残っている。1983年(昭和58)に、上落合郷土史研究会が出版した『上落合昔ばなし』から引用してみよう。
  
 当時、小滝橋から早稲田通りの坂の途中位までを「まち」と呼んで居りました。現在の落合建材やさん辺が切り通しになって居り、北側は小高く森となって居りました。大正の末頃から人家も増えて、今の落合建材やさんのあたりに公楽キネマと言う活動館がありました。一階は土足のままで、二階は下駄をぬいで座布団を敷いて、無声映画を見入っていました。
  
 小滝橋から、丘の斜面を掘削して通した早稲田通りは、西へ向かうにつれダラダラと上り坂になっていたのは、現在でもその面影を見ることができる。ただし、切り通しの両側の崖地は取り払われ、いまでは通りと同じ面に商店などが連なっている。
 公楽キネマは、そんな傾斜のゆるやかな坂道の途中、小滝橋から340mほどのところにあり、外壁をペンキで真っ白に塗られた2階建ての大きな建物だった。1階は、通常の映画館のように座席が並んでいたが、2階席は畳敷きに座布団が並べられた、まるで当時の寄席のような造りだったのがわかる。ここで上映されていたのは、ほとんどが無声映画時代の時代劇作品で、現代劇は非常に少ない。
 通常は1日3本立ての上映で、1週間のサイクルをめどに次の作品へかけかえられていた。3本立てのうち、1本が現代劇というペースだったが、3本とも時代劇Click!という週もめずらしくなかった。それほど、当時は時代劇作品の人気が高かったように思えるが、ひょっとすると特高Click!による検閲Click!が、時代劇よりも現代劇のほうがかなり厳しく、よけいに配給までの時間がかかったのかもしれない。
 各映画館への配給サイクルを考慮すると、時代劇のほうが現代劇よりも検閲リードタイムが短くて、興行的には現代劇よりも効率がよく収益も多かった可能性がある。現代劇の作品で万が一、特高から修正指示があれば映像編集や字幕修正をもう一度やり直さなければならず、そのリスクを避けて時代劇ばかりを撮っていたものだろうか。
 公楽キネマでは、7月13日から19日にかけて「お盆興行」と銘うち、人気作品の3本立て上映を行なったり、「怪談興行」あるいは「グロ週間」と名づけて怪談映画を上映したりしている。1933年(昭和8)6月29日から、同年11月5日まで上映された53本の作品を把握できたが、そのうち同時代の現代劇はわずか10作品にすぎず、残りの43本は明治期を描いたものまで含めて時代劇となっている。
 それにしても、当時の映画会社は膨大な量の映画作品を、系列の上映館に短期間のサイクルで配給していたのがわかる。毎週3本立ての興行を、1年間つづけても作品がほとんどダブらなかったということは、昭和初期にいわれた1本の映画制作は最短で1週間の大量生産だったというのも、あながち誇張ではなさそうなボリュームだ。
 制作期間が短ければ、出演する俳優も当然スタジオにそのまま“貼りつき”となり、タイトルが異なるのに出演者が同じという作品もめずらしくなかった。公楽キネマで上映された53本の作品のうち、わたしが知っている俳優は嵐寛寿郎Click!と月形龍之介、片岡千恵蔵Click!、それに入江たか子Click!ぐらいしかいないが、これら俳優たちも戦後の「多羅尾伴内」(片岡千恵蔵)ではないけれど、作品ごとに「七つの顔」を使い分けるのはたいへんだったろう。
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 さて、今回は公楽キネマで上映された作品のうち、1933年(昭和8)6月29日から8月30日までの作品を見ていこう。6月29日から7月5日までは、『決戦荒神山』『摩天楼の顔役』『安政大獄』の3本立てだ。この中で、『摩天楼の顔役』が現代劇だが、その梗概を1933年(昭和8)に発行されたパンフレット「公楽キネマ」6月29日号から引用してみよう。
  
 朗らかな男、街のスリ三吉は今日も又クラドツク探偵ならぬ刑事杉さんに追つかけられてゐた。と云ふのは盛り場の人込みで鐵五郎の親分久五郎の懐からたんまり久し振りにかせいだ三吉が、空財布をすてたのが運悪く杉さんの頬ペタに当つたからだ。杉さんに追はれた三吉、ある曲藝團の小屋へ逃げこみ見せ物を滅茶苦茶にして揚句の果はその小屋のスターミドリの楽屋へ逃げ込む。そこに久五郎がミドリを口説きにきてゐるのとぶつかり久五郎の乾分と喧嘩をはじめる。
  
 ……と、もうドタバタ喜劇の典型だが、別に現代劇でなく時代劇でも通用しそうなシナリオだ。西両国を流していた胡麻のハエが、たまたま投げた空財布が十手もちの顔に当たり、近くの見世物小屋へと逃げこんでひと騒動……と焼きなおしも簡単だ。ひょっとすると、過去の時代劇からのシナリオ流用かもしれない。
 つづいて、7月6日から12日までが、『鞍馬獅子』『助太刀辻講釈』『涙の天使』の3本立てで、タイトルからもわかるように『涙の天使』が現代劇だ。この時期の鞍馬天狗は、阿部九州男や月形龍之介が演じていて嵐寛寿郎の持ち役にはなっていない。
 つづいて、「お盆興行」とうたわれた7月13日から19日までは、公楽キネマにとっては書き入れどきだったろう。東京の企業や商店では、お盆で休業するところも少なくなく、従業員や店員たちが休暇を与えられて、「映画でも見ようか」と思い立つ1週間だった。『隠密傀儡師』『右門捕物帖』『嘆きの夜曲』の3本立てで、『嘆きの夜曲』はある夫婦をめぐる愛憎ドロドロの現代劇だ。
 7月20日から27日までは、「夏休み特集」として『嬌艶龍虎の渦』『よ組の金五郎』『鉄路の縁』の3本立てだが、せっかく夏休みに入った子どもたちは、親に「連れてってよ~」とねだっても、「ダメです!」とにべもなかったろう。妖艶な目つきで男を見る原駒子の『嬌艶龍虎の渦』や、かたぎの夫婦に横恋慕する芸者の『よ組の金五郎』、踏み切り自殺した若妻の子を育てる『鉄路の縁』など、3本ともトンデモ内容だったからだ。
 ここで7月28日から8月2日までの6日間、公楽キネマは夏休みをとって閉館していたようだ。現在のように、館内にはクーラーがきいているわけでもなく、特に映写室などはうだるような暑さで、従業員の消耗も著しかったにちがいない。
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 8月3日から6日にかけては、『神楽稲妻峠』『踊子行状記』『人生案内』の3本立てだ。この中で、大岡怪童が主演する『人生案内』が現代劇(この作品に関しては梗概が書かれていないので内容は不明)だが、ほかは相変わらずの武家と町人との間での横恋慕話に、艶っぽいお姐さんが活躍するストーリーで、「ねえ、連れてってよ~」という子どもに、親は「どうしてもダメです!」といいつづけてたろう。
 この期間は4日間とサイクルが短く、次の8月7日から9日まではわずか3日間の3本立て上映だ。公楽キネマでは、明らかに「藪入り」Click!(旧盆休み)を意識しており、別の地方(=旧正月や旧暦の盆を採用している地域)から東京へやってきて働いている人々、企業や店舗の従業員たちへ休暇が出るのを見こしたプログラムの入れ替えだったろう。
 休暇は数日しかないので、故郷に帰るには時間があまりなく、「映画でも見よか?」、「『踊子行状記』はもう見たがな」、「いま、かけかえで『女彌次喜多』やってるで」、「ほな、いこか」……というような具合に、この時期、東京の映画館はどこも大入満員の盛況だった。8月7日から9日までは、『女彌次喜多』『春秋長脇差』『西南戦争』の3本立てだった。このぐらいの内容だったら、子どもたちも連れていってもらえたかもしれないが、満席で座れずに立ち見だった可能性が高い。
 つづいて、8月10日から16日までの1週間も、公楽キネマは従業員を休ませる藪入り休業だったらしい。映画館は、平日も休・祝日も正月も関係なく営業しつづけ、むしろ休日のほうが収益が多いので、従業員たちはめったに休めなかっただろう。ときどき上映スケジュールが空いているのは、映画館のまとまった休暇か、あるいは作品の配給手配がうまくつかないかのどちらかだ。
 8月17日から23日までは、『鳴子八天狗(前篇)』『琵琶歌』『都一番風流男』の3本立てだった。この中で『琵琶歌』が現代劇だが、同年に発行された「公楽キネマ」8月17日号から、その梗概を引用してみよう。
  
 相州の静かな小さい一漁村に住む漁師荒井三蔵の妹里野は同じこの漁村に宏壮な別荘をもつ資産家武田貞次に愛されてゐた。兄の三蔵は里野と貞次との結婚問題に対して身分を思へばきもすゝまなかつたが貞次の熱意と里野のいじらしい心に事なかれと祈つて彼等二人の結婚を許した。が、結婚した里野には貞次の母の迫害があつた。里野は愛する夫貞次の必ず迎ひに行くと云ふその言葉を信じ姑の云ふがまゝに実家へと帰つた。
  
 こちらは、大磯Click!鎌倉Click!あたりの別荘地Click!での嫁姑のドロドロ物語のようだが、「夏休みも終わっちゃうから、映画に連れてってよ~」という子どもに、やはり親は「絶対にダメです!」と拒絶したのではないか。同作は当時の風景が写っている可能性が高く、映像を観てみたい。ちなみに、『鳴子八天狗(前篇)』のあと、後篇がいつまでたっても上映されず、「あの結末は、ど~なってんだよう? つづきが気になって、夜もおちおち眠れねえや」と、公楽キネマへクレームを入れた観客がいたかもしれない。
 次の8月24日から27日の4日間は、嵐寛寿郎の主演で『百萬両秘聞大會』のめずらしく1本立て上映だ。ただし「大会」と名づけているように、『百萬両秘聞』は前・中・後篇に分かれており上映時間が長く、実質的には3本立て興行と同じ構成になっていた。
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 8月最後の週には、ようやく子どもでも見られそうな「怪談興行」と銘うつ上映がスタートしている。8月28日から30日のわずか3日間だけの興行で、『牡丹燈籠』『怪談げらげら草紙』『怪談両國花火供養』の3本立てだった。両親といっしょに、ようやく公楽キネマへ連れていってもらった子どもたちは、映画館を出るとき「もう夏休みも終わりか~」と、まだ終わりそうもない宿題と新学期のことを思って、ため息をついたかもしれない。
                               <つづく>

◆写真上:上落合530番地の火の見櫓から撮影された、上落合1丁目521番地の公楽キネマ。背後に見える大きめな森は、1962年(昭和37)まであった月見岡八幡社の旧境内。
◆写真中上は、1933年(昭和8)に発行された「公楽キネマ」6月29日号()と8月17日号()。は、7月20日号の上映作品を紹介するパンフレット見開き。は、同年7月6日~12日で上映された阿部九州男が主演の『鞍馬獅子』。
◆写真中下は、7月13日~19日でされた羅門光三郎と原駒子の『隠密傀儡師』。は、7月20日~27日で上映された羅門光三郎と原駒子の『嬌艶龍虎の渦』。は、8月17日~23日で上映された羅門光三郎と原駒子の『鳴子八天狗(前篇)』。出演俳優の多くが重なっているため、あとでストーリーがゴッチャになっただろう。
◆写真下は、1933年(昭和8)6月29日~8月30日の公楽キネマ上映リスト。途中で、夏休みと藪入りがはさまっている。は、8月28日~30日の怪談3本立て上映。上落合の子どもたちは、映画館前をウロウロしながら看板やスチールを眺めていたにちがいない。

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Marigreen

パソコンの先生はPapaさんの記事を内容の面より、パソコンの技術の面から見て「凄いですねえ」と感嘆していました。
by Marigreen (2022-03-07 16:56) 

ChinchikoPapa

Marigreenさん、コメントをありがとうございます。
技術面といっても、単にフォームへテキストと画像を貼りつけているだけで、HTMLをコーディングしているわけではないので、ぜんぜん凄くはないと思うのですが、ブログシステムのどこに感心されたのでしょうね。
by ChinchikoPapa (2022-03-07 18:16) 

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