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娘の縁談を勧める母親を妻にした男の話。 [気になる下落合]

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 昔から「一人前(いちにんまえ)」、またはおもに江戸期の大工や鍛冶、木工、金工などの職人たちがつかっていた道具類(数える単位に「丁」を用いる)を、ようやく使いこなせるようになった弟子をさす言葉でいうなら「一丁前(いっちょまえ)」になるには、独立・自立(暖簾分け)や所帯をもつ(結婚して一家をかまえる)のが基準となっていたように思う。
 同じような言葉に、「オトナ」になるというのもあった。「もうオトナなんだから」とか、「大のオトナがなにやってんだ」とか、「オトナのくせに」とか、「オトナになりきれないガキみたいなことすんな」とか、「いつまでもボクClick!じゃないぞ、もうオトナなんだから」とか、たいがいは社会的にはあまり褒められない行為や出来事について指摘する際につかわれていた。この場合の「オトナ」も「一人前」と同様に、成人をすぎて経済基盤が独立した人間に対してつかわれた言葉なのだろう。
 さらに、東京のありがちな慣習をたどってみると、おせっかいで世話好きな親戚(小津安二郎Click!の作品に登場する、杉村春子Click!のような「鎌倉のオバサン」Click!的な存在)や近所の奥さん、近しい友人・知人から縁談=見合い話を持ちこまれるようになれば、一家をかまえるまでに成長した「一人前」だと、周囲から認知されているという見方もあった。
 ただし、土地柄のせいかあまりに気が早い人もいて、わたしが大学2年生のときに縁談(見合い話)をもってきた近所の年輩の奥さんは、さすがにせっかちすぎてそそっかしく家の笑い話になった。でも、戦前なら20歳すぎの独身男がいれば、おそらくあたりまえの行為であり出来事だったのだろう。こういうおせっかいで世話好きな親戚や近所の奥さん(仲人好き)が、昔はひとりやふたりは近くにいたものだ。
 わたしが「一人前」になったと感じたのは、やはり自分で稼げるようになり、家の中のマネジメントをすべて自律してこなせるようになってからだ。学生時代の半ばから親元を離れ、あえて安いアパートを借りて「独立」してはいたが、生活費や学費は多種多様なアルバイトで賄えていたものの、やはり陰に陽に親の庇護下にあったのはまちがいない。いくら親元を物理的に離れても、物質面ではともかく精神面では、やはり実家とは伸縮自在のゴムひものような繫がり(というか束縛)を感じていた。
 そういえば、子どものころに「オトナ」「一人前」に一歩近づいたなぁ……と実感した瞬間があったのを憶えている。実際にはまだまだ子どもで幼く、いまから思えば恥ずかしい感覚なのだけれど、たとえば学校でラジオ体操の「第一」ではなく「第二」のメロディで体操をするようになったときとか、初めてコーヒーを飲むのが許されたときとか、月夜はけっこう明るいと感じたとき(つまり深夜まで起きていても親に叱られなくなったとき)とか、タクシーに初めてひとりで乗ったときとか、友だちの家にひとりで泊まったり友だちと遠くまで旅行をしたりとか、初めて酒を飲んだりタバコを吸ったときとか……数えてみればいろいろな瞬間があったように思う。
 見方を変えれば、自分で責任がとれる範囲を少しずつ拡げていくことが、「オトナ」あるいは「一人前」に一歩ずつ近づいていくような感覚だったのかもしれない。逆の視点で見れば、「オトナ」や「一人前」になったはずの自分に足りないものを見つけ、次々とそれ試してみたい、チャレンジしてみたい、経験してみたいという欲求を満たしていくのが「オトナ」になるための過渡的な期間だったのではないかともいえそうだ。その欲求が満たされ、ほぼ飽和状態になったとき、自分は「オトナ」になった「一人前」になったと、思いこむことができたような気がするのだ、
 下落合1639番地の第二文化村Click!にあった邸で暮らし、わずか33歳で結核により早逝してしまった昭和初期の作家・池谷信三郎Click!の作品に、面白い短編小説『縁(えん・えにし)』がある。結婚して一家をかまえること=家庭をもつことが「一人前」であり、「オトナ」になった自分の足りない側面を埋めることだと考えられていた、また社会的にも周囲からそのように見られていた、そんな時代の社会状況を面白おかしく描いた作品だ。
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 主人公の木内良三は、坂道の多い落合地域らしい土地の借家に住んでいる。1929年(昭和4)に平凡社から出版された、『新進傑作小説全集・第二巻/池谷信三郎』から引用してみよう。ちなみに、短編『縁』の脱稿は同年1月10日となっている。
  
 良三は家へ帰る郊外の坂路を歩いて行つた。暗い細い坂路に沿つた黒塀の中から、木槿の匂ひが夜の空気にとけてゐた。微醺を帯びた頭に風が心地よく吹いて行つた。
  
 木内良三が勤める会社は、今年で創立20周年を迎える中堅の「アルミニユーム工場」だった。彼は創業時からの社員であり、勤続20年の表彰で賞与金をもらったばかりだった。社内での地位も若い大卒には抜かれたが、専門学校卒の最高位である課長のポストは目前となり、給与もあがって多少なりとも貯金もできた。でも、若いころから仕事一筋にすごしてきたせいで、彼は45歳になってもいまだ独身だった。
 せっかく少なからぬ賞与はもらえても、それをともに喜んでくれる妻や家庭が彼にはなかった。「人通りの途絶えた郊外の坂路を歩いて行くうちに、又何んとも云へぬ淋しさがこみ上げてくる」ような生活で、自分に足りないのは「妻」であり「家庭」だと痛感していた。若いころは、「一人前」になるのは一家をかまえることと縁談を持ちこむ人もいたが、いまはそれも絶えて久しい。また、彼には東京に身内がひとりもいなかった。
 そこで、木内良三は一念発起し、結婚して妻を迎え家庭が持てるように、近所のより大きな貸家を借りることにした。家賃は高額で50円もしたが、玄関先には立派な門がまえのある家で、1階が8畳・6畳に4畳半、2階が6畳という間取りで瀟洒な庭もついていた。いまでいうと、3LDKの庭つき一戸建て住宅といったところだろうか。当時は、持ち家ではなく借家があたりまえの時代なので、現代に比べれば賃料も相対的に安く、物価指数換算でいうと当時の家賃50円/月は、いまの30,000円ほどに相当する。
 彼は高砂社、すなわち今日の結婚相談所または仲人会のような組織を訪ねようかとも思うが、「良縁御世話致します。年齢、職業、性質、いろいろ無数に候補者がございます」と、まるで呉服店(デパート)Click!の大売出しのようなコピーを見てやめることにし、新聞に求婚広告を載せることにした。いまではまったく見かけないが、新聞には求人広告とともに「求ム花嫁・花婿」といった求婚広告が、あたりまえのように掲載される時代だった。
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 彼は慎重に言葉を選びながら時間をかけてまとめると、以下のような文案をつくった。
  
 求妻(つまをもとむ)、当方四十代、当方中年の紳士、実業家、財数萬円、年収三千円、温厚篤実、親切無類、初婚、年齢を問はず、支度望まず、人物本位、成るべく初婚、日曜在宅、姓名在社。(自宅住所) 木内良三
  
 「年収三千円」は、現在の200万円ほどになる。非常に少ない額のようだが、当時の家賃でも明らかなように生活必需品(固定経費)の物価がかなり安い時代なので、いまの感覚だと年収500万前後といった感触だろうか。ちなみに、「財数萬円」となっているが、当時の1万円を物価指数(1927年)で換算すると636万円ほどになる。ただし、1929年(昭和4)現在といえば、金融恐慌から世界恐慌の真っただ中であり、インフレで「財」はかなり目減りしていたのではないだろうか。
 この求婚広告を近くの新聞店へ持ちこむと、数日後の朝刊に掲載された。すると、木内良三の新しい家に続々と手紙が舞いこみはじめた。ほとんどが、結婚相談所や仲人会の広告だったが、その中に3通ほど個人からの手紙が混じっていた。1通目は顔写真を送れという、玄人っぽい「小町ちよ子」と名のるちょっといかがわしい内容、2通目はやたら事務的で理屈っぽい文面の女性「山村その」からの手紙、3通目が娘と結婚してほしいという母親「鈴木ふく」からの手紙だった。
 次の日曜日、やはり怪しげな手紙を寄こした「小町ちよ子」は訪ねてこなかったが、事務的でそっけない手紙の「山村その」はやってきて、男女同権のまるで演説会のような議題を一方的にしゃべり散らして帰り、やがて派出婦が「鈴木ふく」の来訪を告げにきた。鈴木ふくは、夫に早く死に別れたため係累がほとんどなく、もうすぐ20歳になるひとり娘を早く結婚させ楽をさせたいと、常日ごろから考えている母親だった。
 ところが、娘の年齢があまりに若すぎるので45歳の木内良三が逡巡し、どうせ妻にするなら鈴木ふくのような清楚で落ち着いた同年輩の女性がいいと思いはじめ、ふたりは生活上のことをいろいろ話しているうちにいつしかお互いの相性がいいことに気づき、「あの、私と結婚しては頂けませんでございませうか。」「よく言つて下さいました。実は、私も……」と、ふたりは思わず意気投合してしまう。
 鈴木未亡人は、思わぬ展開に木内良三の家を上気しながら辞すと、久しぶりにウキウキと明るい弾む気持ちを抱えながら、娘へどのように話そうかと自宅への道を急いだ。帰宅すると、娘がモジモジとなにかいいたそうにしているので訊ねると、思いきったように実は「私、或る方にね、結婚を申しこまられているのよ。」と打ち明けた。鈴木ふくは微苦笑しながら、「実はお母さんもね……」と話しを切りだす前に、お茶を一気に飲み干した。
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 プロットが端正で、よくまとまった気持ちのいい短編だが、あくまでも「結婚」「夫婦」「家庭」といった形式や概念が、「一人前」になることの環境条件だった時代の小説だ。いまの若い子たちが読んだら、なにもそんなに無理して結婚しなくても……と、おそらくすぐにはピンとこないかもしれない。もっとも、「一人前」や「オトナ」になるという概念以前の課題として、男ひとり女ひとりで暮らすことが非常に生きにくい肩身の狭い時代だったこと、特に女性の場合は経済的な理由で働くことが例外的で、奇異な存在として見られがちな時代だったことも、若い読者たちには背景として伝えなければわからないだろうか。

◆写真上:よく結婚式の花嫁花婿の姿を見かける、目白山(椿山)は椿山荘Click!の滝。
◆写真中上は、流行らなくなった文金島田Click!のかつら。は、1929年(昭和4)出版の『新進傑作小説全集・第二巻/池谷信三郎』の表紙()と著者()。
◆写真中下は、近所にある下落合の目白教会Click!でときどき見かける結婚式。は、1939年(昭和14)10月9日の東京日日新聞に掲載された求婚広告。は、人力車に乗って登場する花嫁花婿をよく見かける浅草三社権現Click!境内の結婚式場。
◆写真下は、やはり花嫁花婿の姿をよく見かける雪の神田明神Click!の楼門。は、1942年(昭和17)1月21日の東京朝日新聞に掲載された東京府の花嫁募集広告。こんな広告に乗せられ、中国大陸に渡った女性たちは敗戦時にとんでもない辛酸をなめることになる。は、わたしが見合いするとしたら事前の必需品になりそうな飲み薬「バカナオール」。

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pinkich

いつも楽しみに拝見しております。小津監督のお話があったので、最近中井貴一さんが語った父佐田啓二さんの交通事故の真相の話などを思い出しました。運命だからと多くを語らなかった母親は立派な方だったんだなと。佐田啓二さんのwikiの情報には、佐伯祐三作品が好きで洗濯屋の絵を自宅に飾っていたとか。意外なところで佐伯祐三の名が出てきてびっくりでした。
by pinkich (2022-12-23 22:40) 

アヨアン・イゴカー

結婚相手を募集する新聞広告があったとは、面白いですね。
また、小説の筋も、ほのぼのしていていて好いですね。
政治家にも経済人にも、バカナオールは、飲ませたい輩が沢山いますが、もう製造中止なのでしょうね^^;
by アヨアン・イゴカー (2022-12-24 23:46) 

ChinchikoPapa

pinkichさん、コメントをありがとうございます。
小津作品といいますと、すぐに居間や客間などに架けられた東郷青児の女性像が浮かびますが、もう少し注意して画面を観察したら、佐伯祐三のようなパリの街角風景の作品も見つかるかもしれないですね。そういう映画観賞のしかたも、面白いと思います。
わたしが印象に残っているのは、大阪が舞台の山本薩夫・監督『白い巨塔』(1966年)で、絵画好きな医学部長へ財前五郎が高価な絵を贈るのですが、いかにも佐伯祐三のパリ風景15号のような画面でした。確か30万だか60万の値段でしたので、荻須高徳かもしれませんが。ww
by ChinchikoPapa (2022-12-25 10:17) 

ChinchikoPapa

アヨアン・イゴカーさん、コメントをありがとうございます。
当時は、個人情報保護などの概念もないに等しく、新聞広告に平気で住所や氏名を載せて結婚相手を探せていた時代なのでしょうね。現代なら、すぐにも犯罪に利用されそうですが。
「バカナオール」は、試しに一度飲んでみたいものです。w ひそかにネット通販とかで、手に入らないでしょうか。
by ChinchikoPapa (2022-12-25 10:23) 

kamakurakazuo

通りすがりのものです。バスガールのストライキ記事から入りましたが、「落合学」さんのたいへんな情報量と面白さに、魅入られました。この記事で泣くほど笑ったのは「バカナオール」です。下賎なことですみません。しかし今の薬だって、後から見れば同じかもしれません。
by kamakurakazuo (2022-12-28 09:28) 

ChinchikoPapa

kamakurakazuoさん、コメントをありがとうございます。
わたしも、「バカナオール」を見つけたときは、しばらく笑いが止まりませんでした。同薬には飲み薬のほか、塗り薬もあるようですので、戦前のパロディ広告なのかもしれませんね。w 今後とも、よろしくお願いいたします。
by ChinchikoPapa (2022-12-28 10:08) 

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