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NGでも進めるしかない生放送の下落合ドラマ。 [気になる下落合]

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 あけまして、おめでとうございます。本年も、どうぞよろしくお願いいたします。
  
 草創期のTV番組は、何からなにまでが生放送だった。そのうち、フィルムで撮影された番組やCMが流れはじめ、映画もTVで放送されるようになると、生放送の番組は減っていった。やがて、フィルムではなくTV専用の記憶媒体であるビデオが開発・導入されると、生放送は一部のニュースやスポーツ番組などを除き、ほとんどが消滅した。
 すべてが生放送だったTVの時代を、もちろんわたしは知らないが、それでも子どものころにはニュースやスポーツをはじめ、舞台中継、バラエティ、歌番組、CMなどで生放送がずいぶん残っていたように思う。だから、録画と生放送とのスイッチングがうまくいかなかったり、放送機材の人為的な操作ミスも多く発生し、放送が途切れて「しばらくお待ちください」という画面表示をエンエンと見せられることも少なくなかった。
 いま風にいえば「放送事故」ということになるが、昔のTV番組は現在からみれば「放送事故」だらけだった。わたしが子どものころ、よく憶えている「放送事故」は、舞台中継(新派Click!だったと思う)で書割Click!の前に置かれた大道具の灯籠(もちろん板でこしらえた平面の)が、なにかの拍子にバタンと倒れて客席の失笑をかっていた場面とか、芝居で尾上梅幸だったか松緑だったかは忘れたが、台詞を忘れて一同ダンマリ状態になってしまい客席がザワついた舞台中継などがあった。これらは、舞台の上演事故であるとともに、同時中継していたTV局の責任を問われない「放送事故」でもあったろう。
 生放送の番組CMで、確かインスタントカレーだかビスケットの宣伝だったろうか、なにかの拍子にお姉さんの手か腕が、テーブルへ山のように積まれた商品パッケージに触れてしまい、それがバラバラに崩れ落ちてしまった場面や、CM中のお姉さんの前を汚いカーキ色のジャンバーを着た、イヤホンマイクのおじさんが平然と横切ったりと、いまでは考えられないような「放送事故」が、子ども心にも面白かったのを憶えている。
 TV草創期のドラマは、それこそ客席を前に舞台で演じるのとまったく同様、撮りなおし(取り返し)のきかない出たとこ勝負で一発勝負の世界だった。だから、セリフをまちがえようが忘れようが、「NG」でテイク2→テイク3など存在しない時代なので、俳優たちは極度に緊張していたにちがいない。また、もしセリフをまちがえたりキッカケをしくじったりしても、そこで「はい、カット!」などありえないので、それをなんとか「NG」や「放送事故」にせず、台本の中へうまく溶けこませて、ドラマの展開を損ねないようにやりすごさなければならなかったろう。もっとも、わたしはすべてが生放送で放映されていた時代のドラマは、さすがに知らないけれど……。
 TVにビデオという、何度でも撮りなおしがきく記憶媒体が一般化し、編集作業があたりまえの時代になると、このような「放送事故」は激減することになるが、あらかじめ編集されたビデオ番組は安心して観ていられる反面、本来は出たとこ勝負でリアルタイムの緊張感がともなう生放送が得意だったTVというメディアの特徴が、どんどん薄れていったと感じるのはわたしだけではないだろう。しかも、同じようなことを論じるTV関係者の声も聞こえてくる。同時に、ビデオの編集段階ではさまざまな人間の意見や思惑が入りこみ、ときにはNHKのケーススタディのように、番組へ放映前に政治的な圧力さえかかるようになった。つまり、制作者ではなく第三者の“検閲”や“自主規制”が可能になったのだ。
 最近は、TVを観ることが少なくなったが、そのかわりネットの「放送」を観ることが増えた。それもリアルタイムで上演される芝居やライブコンサート、演劇(すべて新劇)、スポーツ、ウェビナー、ネットシンポジウム、各種イベントや講演会などが多い。つまり、TV用語でいえばライブの生中継番組というところだろうか。TVの「生放送」が減るぶん、それを補うようにネットのライブが増えているのが面白い。近ごろのTVは、丸ごとがメーカーや観光業界、店舗などスポンサーによるPR番組だったり、ただうるさいだけで内容のない“楽屋落ち”のバラエティ番組だったり、コスト削減のためか地元ではなく別の地方局へ丸投げの番組だったりと、まったく面白くなくて興味が湧かないのだ。
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 さて、TV草創期の「舞台中継」ならぬ「スタジオドラマ中継」の生放送(ライブドラマとでもいうのだろうか?)を、TV全盛期の1970年代になって一度だけ挑戦したとみられる番組があった。日本テレビの開局20周年を記念して制作された、下落合が舞台のグランド劇場『さよなら・今日は』Click!だ。1974年(昭和49)1月5日(土)の午後9時から放映された第14回「正月の結婚式」Click!は、ほかの回とは異なり下落合でのロケシーンは登場せず、すべてのシーンがスタジオのセットで演じられている内容だ。
 しかも、同作品のシナリオClick!と実際に放映されたドラマの内容を照らし合わせてみると、セリフやキッカケに「NG」が多く、それを繕うためにアドリブのセリフも少なくない。通常なら、「NG」の撮りなおしでテイク2となるはずが、そのままなんとかつづけて流してしまっている。ほかの回では考えられないような「NG」が、同回では頻発していることからも生放送ドラマの緊張感が漂ってくる。「NG」は俳優のセリフミスばかりでなく、放送室で操作するマイクのスイッチングミスや、演出・進行のセッティングミスなども加わり、26回つづいた同ドラマの中でも異色・異例の放送回となっている。
 出演者は、山村聰Click!浅丘ルリ子Click!、中野良子、原田大二郎、小鹿ミキ、栗田ひろみ、山口崇、緒形拳Click!、藤村俊二、山田五十鈴Click!森繁久彌Click!の11人にしぼられ、正月休みなのか原田芳雄Click!や大原麗子、林隆三、森光子Click!水野久美Click!など、その他の俳優陣は同回には登場していない。舞台なれしている森繁久彌に山田五十鈴がいて、撮影の場なれしている山村聰や浅丘ルリ子、緒形拳、山口崇がいれば、あとは何とかなるだろう……というような“読み”から、思いきって企画された生放送ドラマではなかったか。
 シナリオと照らし合わせて、具体的に「NG」の箇所をいくつか見てみよう。そもそも出演者たちは、台本どおりにセリフをしゃべってはいない。みんな好き勝手にセリフを改変して話しており、特に森繁久彌と山田五十鈴、山村聰はまったくセリフにないことまで話している。最初の「NG」は、アトリエの一部に増築した長男夫婦の部屋で、緒形拳がセリフをしゃべっているのに、途中でマイクが母家の居間に切り替わってしまうという、技術スタッフのスイッチングミスだ。シーン12で起きており、急いで元のマイクをONにもどしているが、緒形拳のセリフが数秒間ほど聞きづらくなってしまう。
 次もスイッチングミスで、緒形拳と小鹿ミキがアトリエ裏の庭でまだ演技をつづけているのに、アトリエの増築部屋にいる森繁久彌と山田五十鈴が酒を酌み交わすシーンへ突然切り替わってしまう。(正月の生放送なので、酒はホンモノが使われていたかもしれない) しかも、その場面に演技をつづける緒形の笑い声がまぎれこんでしまうので、俳優たちはすばやく移動しやすいよう近接したセットで演技をしていたことがわかる。
 このあと、森繁久彌と山村聰が座敷で会話するシーン17になるのだが、同シーンの後半は丸ごと台本には書かれていないアドリブらしく、森繁久彌の戦艦「陸奥」Click!に乗って「ハワイマレー沖海戦」に出撃したなどといういい加減なホラに対し、山村聰が「陸奥」は瀬戸内海にいてハワイにいったのは航空母艦Click!……などと、大ボケのやりとりが展開される。いまだ、戦争体験者がごく身近にいて、29年前の戦争がリアルに感じられていた時代だ。
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 つづけて、シーン22では山口崇がセリフをまちがえ、遺伝子の「優生学的」というところを「ユウソウ学的」といってしまい急いで訂正している。山口崇は医者の役なので、通常ならこのミスはありえず即座に「NG」となるはずだが、生放送では取り返しがつかないので、傍らの中野良子がすかさずセリフをかぶせてフォローしている。山口崇と中野良子は、2年前まで放映されていた平賀源内を主人公にしたNHKのドラマ『天下御免』では、林隆三とともに出演仲間だったので息があっていたのだろう。『さよなら・今日は』でも、この3者がそろうとセリフではなくアドリブっぽいやり取りが多く見られた。
 シーン27では、緒形拳がシーンを丸ごと勘ちがいしてセリフの入りをまちがえている。母家の居間で、2階から降りてきた中野良子と小鹿ミキが会話するのがシーン27だが、シーン29で話しはじめるはずだった緒形拳がセリフをしゃべりはじめてしまう。これは俳優の勘ちがいばかりでなく、シーン設定をまちがえた演出家や進行係のミスの可能性もありそうだ。緒形拳は、シーン29のつもりなので「なあ、路子~」としゃべりはじめたところに、2階から中野良子が「路子さん!」と降りてきてセリフがバッティングしてしまう。そして、ふたりの会話が終わると、なにもいわないのは明らかに不自然だと感じた緒形拳が、急いで「おおきに」と台本にはないセリフをつけ足している。
 最後はシーン33の「NG」で、山村聰がセリフの入りをまちがえている。居間に残った3人が、家族のゆくすえについてしんみりと語りあうシーンなのだが、中野良子のセリフがまだ残っているのに、山村聰が「ねえ……」と浅丘ルリ子に呼びかけてしまうミスだ。さすがに、山村聰は同じセリフを二度と繰り返さず、中野良子のセリフが終わるとわずかに間をとってから、何ごともなかったかのように次のセリフへと自然に移行している。自身が登場する最後のシーンなので、ホッとして少し気がぬけたものだろうか。
 第14回「正月の結婚式」のシナリオには、どこにCMをはさむかまで細かく規定・指示されている。CMが流れている間、俳優たちは次のシーンのセリフを再確認したり、セットの場所を急いで移動したりと、あわただしい時間をすごしていたのだろう。また、この回は朝から深夜まで正月の1日を描いているので、技術スタッフたちは照明の変更やカメラの調整、小道具や消えもの(正月料理)のセッティングなどで、ストップウォッチ片手にあたふたとスタジオを駆けまわっていたにちがいない。
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 いま、生ドラマをやろうとしても技術陣はともかく、撮りなおし自在の中で育った俳優たちの力量からして、とても無理ではないだろうか。そういう意味では、いかようにでも融通がきく芸達者な舞台俳優たちの演技が光った、記念的な昭和ドラマの代表作といえそうだ。

◆写真上:新宿の歌舞伎町Click!あたりから、1975年(昭和50)に撮影された西新宿一帯の風景。同ドラマが放映されていた1974年(昭和49)ごろ、下落合から遠望する淀橋浄水場Click!の跡地には、西新宿の高層ビルがいまだ4本しか建設されていなかった。
◆写真中上は、2002年(平成14)5月に森繁久彌が早大演劇博物館Click!へ寄贈した、『さよなら・今日は』第14回「正月の結婚式」の台本表紙()と寄贈印()。は、第14回の配役。は、シーン12のマイクミスがあった緒形拳のセリフ。
◆写真中下は、時間の関係からかカットされたシーンにかぶせ、緒形拳と小鹿ミキの会話でマイクの切り替えミスがあったシーン16。は、山口崇が「優生学」をつい「ユウソウ学」といってしまったシーン22。は、緒形拳がシーン29のセリフをいいはじめてしまい、なんとかアドリブで切りぬけた通常ではありえないシーン27。
◆写真下は、山村聰がセリフのキッカケをまちがえたシーン33の箇所。は、いちばん長尺の場面である居間での結婚式のシーン25で森繁久彌がアドリブで歌う場面のシナリオ。脚本では「陽気な歌」と指示しているが、森繁が歌いだしたのは「じゃりんこ(子ども)の歌」の『雨降りお月さん』(作詞・野口雨情/作曲・中山晋平)で、一同は“森繁節”で少ししんみりしてしまう。なお、台本への書きこみはすべて森繁久彌の手によるもの。は、同ドラマのロケーションがよく行われた御留山Click!(現・おとめ山公園)の西に接する相馬坂Click!と、1973年(昭和48)10月6日に放映された相馬坂での初回冒頭シーン。

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アヨアン・イゴカー

この記事を見てみますと、生放送は、やはりいろいろな失敗があって面白いですね。間違いのない台詞や演技を録画して配信するのに慣れていますが、果たして本当にそれがよいのか、とふと思いました。
台本の画像を見て、自分が劇団時代に持っていた、沢山書き込みをした舞台転換用の台本をすべて劇団に残して来たのが、残念に思われます。
by アヨアン・イゴカー (2023-01-11 11:09) 

ChinchikoPapa

アヨアン・イゴカーさん、コメントをありがとうございます。
なんだか、あらかじめ譜面が規定された構成美を追求するクラシック音楽と、コードやモードときにはそれさえ存在しない全編アドリブのJAZZとのちがいのようなものを感じる、生放送ドラマの楽しさでした。
セリフ通りでなく、セリフを適当にアレンジしたりアドリブで演技したりすると、俳優たちの会話がどんどんリアリティを増していき、人物の実在感が際だつのが面白いですね。特に、森繁久彌と山田五十鈴は、セリフなんだか実際の会話なのか不明なほどのリアルさを感じました。
by ChinchikoPapa (2023-01-11 11:46) 

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