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雑音や音楽で読書がはかどる喫茶店。 [気になるエトセトラ]

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 初めて喫茶店に入ったのは、いつごろのことだろうか? もの心つくころから数えれば、膨大な軒数になるのだろう。デパートの喫茶部はもちろん、親に連れられて入った日本橋や銀座あたりの喫茶店もあったのだろうが、おぼろげな資生堂パーラーClick!を除けばほとんど憶えていない。むしろ、デパートの食堂Click!のほうが印象的だった。
 高校時代は、学校帰りに制服のまま喫茶店へ入り、悪友がいたりするとタバコをくゆらしたりしていた。当時は、いまとちがって鷹揚なもので、喫茶店のマスターもコーヒーClick!を運んできたときに「こらっ、ダメだぞ」ぐらいの注意はするが、たいていは「オトナ」のすることに興味がある年齢なのがわかっているので、「しょうがねえなぁ」ぐらいで見逃してくれた。いのまように、いつまでも親がかりが抜けないまま、杓子定規に子どもを一定のワクや規格へ無理やりはめこもうとするような時代ではなかったのだ。
 主要駅の駅前や公園には、ベトナム戦争に忌避感や嫌悪感を抱いた米国のヒッピーをマネて、和製ヒッピーがシンナーのビニール袋かなにかをふくらませているような時代だった。また、日本じゅうをさすらうフーテンが出現し、あちこちの路上や橋下、公園のベンチなどで寝泊まりしていた。彼らはホームレスとはまた異なり、国内外を問わずあちこちを彷徨する、多くは管理を嫌う“現実逃避”の鋭敏な若者たちだったろう。
 いや、別にヒッピーやフーテンでなくても、若い子たちの間では「どこか遠くへいきたい」「知らない街へいってみたい」と、からめとられた日常生活から脱出する低コストな国内旅行が大ブームとなり、特に多くの若い子たちが方角でいえば寂寥感のある「北国」Click!をめざしては、“さすらい”のマネゴトをしに出かけていった。そんな、落ち着かず尻のすわらない漂泊時代(あくまでもマネゴトなのだが)の中にあってみれば、高校生がたかがタバコを吸ったぐらいで目くじらを立てなくともいいだろうと、喫茶店のマスターが「しょうがねえなぁ」で済ませてくれたのもわかるような気がする。クルマのハンドルと同じで、“遊び”や余裕のない人間あるいは社会は、どこかで大きな“事故”を起こす。
 余談だが、最近、人が寝っ転がるのを拒絶するベンチを、公園や街のあちこちでよく見かける。いまやヒッピーやフーテンはいないので、おもにホームレスなどの路上生活者や泥酔者をベンチで寝させないようにするデザインなのだろうが、どこかとても非人間的な臭いがする。ベンチに、ほぼひとりがけの間隔でアームや仕切りを設置して、ひとりずつ座る以外に姿勢がとれないような設計になっている。
 少し前までは、街中や公園のベンチで飲みすぎか徹夜マージャンなのか、寝不足のサラリーマンが横になったり、子どもたちが寝そべってマンガを読んだりしていたのだが、いまではそれも許容されない時代なのだろうか。店舗前の私有ベンチならともかく、公共の場所に置かれたそのような寝そべり拒絶ベンチを見かけると、ベンチぐらいどのような使い方をしてもいいじゃん、それほどのささいな自由も奪われていくのかと、昨今の窮屈で狭量な社会環境に嫌気がさす。また、そのような管理に馴れてしまい、「おかしい」「なんか変だぜ」と感じない人間が増えているのにも愕然とする。
 さて、そうそう、喫茶店の話だった。学生時代になると、がぜん喫茶店の利用率は大幅にアップする。議論にしろ読書にしろ、講義サボリにしろ、あるいは“彼女”にしろ、とにかく喫茶店がなければはじまらないのだ。それを考えると、いまの学生たちはどこへシケこんでいるのだろうと不思議になるが、いつか子どもたちに訊いたら大学が用意したラウンジや喫茶室、学食兼喫茶店のようなところを利用しており、キャンパスからはほとんど出なくてもすべて用が足りるような環境らしい。なるほど、大学が管理運営する「安全」な「喫茶店」なのか。これでは、学生街の喫茶店はつぶれるばかりだったろう。
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 わたしの場合は、ひとりだとJAZZ喫茶Click!が多かったが、友だちと一緒のときはそうもいかず、ふつうの喫茶店を利用していた。いまでは思い出せないほどの、他愛ない議論や無駄話、世間話、恋愛話などをしていたように思うが、相手が“彼女”だとけっこういろいろ憶えているものだ。JAZZ喫茶では、おもに本を読んでいた憶えがあるのだが、それがなんの本だったかまでは憶えていない。あのとき、コーヒーClick!をすすりながらあの本を読んでいた……というような情景は、あとからの都合のいい追憶であって、実際は大型スピーカーから流れるサウンドにボーッと耳を傾けていただけだったのかもしれない。
 わたしより、ひとまわり以上も年上の大空望という人は、街の喫茶店で読書三昧をしていたようで、当時のわたしなどとても足もとにも及ばないような量の本をたくさん読んで、そして記憶している。彼は、わたしと同じ東日本橋が故郷の人なのだが、通っていた喫茶店も日本橋を中心としたエリアに多いようだ。文藝春秋企画出版部から刊行された、大空望『東京下町 あの日・あのとき』(2015年)から少し引用してみよう。
  
 私が一人店に入ったのは、人形町地下鉄出口横にあった「人形」という店である。私はそこで井伏の『鯉』を読んだ。大きなものに従う魚の習性を捉えたものだ。この年はこのようなものだったが、翌年から俄然はまり出す。/まず両国緑町、相撲用品店二階にあった「阿亀堂」、ここは一方が一面硝子張りになっているので街路を見下ろす形となる。街路樹は楓だから秋ともなれば赤く色づく。言ってみればA・シガ―の『街路』の詩人の夢想を思わせる風景である。駅の北側には昔野菜を扱う市場があったから正に『ヴァニティ・フェア(虚栄の市)』と言って良かろう。ここで私はニーチェの『ツァラトゥストラ』と小松左京の『果しなき流れの果てに』(ママ:『果しなき流れの果に』)を読んだ。清澄通りの「コロニア」で『旧約聖書』、京葉道に戻って緑町の「ピース」ではサドの『悪徳の栄え』とドストエフスキーの『白痴』を、更に「コロニア」前の「嶋根」では芥川の『三つの窓』『河童』『蜃気楼』『枯野抄』、漱石の『猫』、ゴーゴリの『タラスブリバ』『ディカーニカ近郷夜話』『死せる魂』等を読んだ。(カッコ内引用者註)
  
 この方はすごい人で、学生時代にそれぞれ喫茶店で読んだ本を、店別でみんな記憶しているらしい。喫茶店で本を読んでいて、なにか印象的なエピソードでもあれば、あるいはJAZZ喫茶で好きなアルバムをリクエストして、それをBGMに心地よい読書をしていれば、なんとなく読んでいた本の印象が薄っすらと浮かんだりするけれど、ふつうの喫茶店でよんでいた学生時代の本を何十年もたってから思いだそうにも、わたしの場合はどだい無理だ。
 それでも印象に残っているのは、学生時代にアルバイトから早めにアパートへ帰れた日、目白通り沿いにあった喫茶店でコーヒーを飲みながら、古本屋で手に入れた野間宏Click!『青年の環』Click!(河出書房新社版)の第3巻ないしは第4巻を読んでいて、強烈にのどが渇きアイスコーヒーを追加注文した憶えがあることぐらいだろうか。
 同長編小説は、焼けつくような真夏の大阪を舞台に、100人をゆうに超える登場人物たちが物語を往来(いわゆる「全体小説」)し、特に陰謀をめぐらす「田口」の企図が、主人公の視点からはなかなか見えてこない……というような、読み手にジリジリとした焦燥感を抱かせるような展開なので、読み進めていくうちにのどが冷たいものを欲するようになるようだ。ちなみに、この喫茶店はすでになく、どのような店名だったかも憶えていない。
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 店名は憶えているけれど、読んだ本はすっかり忘れているのが、横浜の野毛にあったJAZZ喫茶「ちぐさ」Click!「ダウンビート」Click!だ。特にダウンビートはイスの座り心地がよく、読書を長時間つづけてもお尻が痛くなった記憶がない。「ちぐさ」は、確かスピーカーも近めな木のイスで、長い間座って本を読んでいると尾骶骨あたりが痛くなって疲れたが、「ダウンビート」ではそんなことはなかった。確か、誰かの小説かエッセイを読んでいたと思うのだが、時間がたちすぎて作者の名前や書名は出てこない。
 JAZZ喫茶の大きな音量の中で、あるいは喫茶店のお客たちがざわめく中でも、不思議と読書には集中できた。なぜか、静かなシーンとした空間での読書よりも、けっこう大きめな音楽ないしは「雑音」があったほうが、集中力が増してページ数を稼げていたような気がする。前掲の大空望も、『東京下町 あの日・あのとき』の中で同じようなことを書いている。同書より、つづけて引用してみよう。
  
 読書するフィールドとしての茶店は奥が深い。まず静か過ぎない。必ず人の話し声や音楽が響く。これが無音より活字に集中できる因子となるのだ。たいがいの本は図書館からの借り物だ。だったら閲覧室で読めば宣ろうと言うだろうが図書館は静か過ぎて逆に活字に集中できない。時には頁から視線を離して窓の外の人通りを見送ったりする余裕がないと読んでいて面白くない。また喉が渇けばコーヒーやお茶が欲しくもなろう。さて緑町はこれくらいにして次は人形町だ。商品取引所近くの「快生軒」は大正の昔から続く老舗で年代を利かせた味のコーヒーが旨い。
  
 少し前に、アトリエClick!に集まったマヴォイスト仲間の雑音の中で、村山知義Click!がものすごいスピードで読書をしていたという住谷磐根Click!の証言をご紹介したが、同じように雑音があるからこそ集中力が増して、かえって読書がはかどるような気もするのだ。
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 大空望の文中に登場している、日本橋人形町の「快生軒」Click!(1919年創業)は、104周年を迎える喫茶店の老舗だが、おそらく曽祖父母の世代から家族で立ち寄っていた店なのだろう。少し前まで、このご時世に逆らって「全席喫煙」可を押しとおしていたのだが、さすがに新型コロナウィルス感染症禍のさなかの2020年には、「全席禁煙」に変わってしまった。今回のパンデミックがひとまず終息したら、再び「全席喫煙」可にもどるだろうか。

◆写真上:こういう空間には、たいてい東郷青児の絵が架かりクラシックが流れている。
◆写真中上は、街で見かけた寝そべりをあらかじめ拒絶するベンチ。は、少なからずおしゃべりなどの雑音があったほうが読書に集中できる喫茶店。
◆写真中下:喫茶店でも、あんまりオシャレすぎるところはどこか落ち着かない。
◆写真下は、文藝春秋企画出版部から刊行された大空望『東京下町 あの日・あのとき』(2015年/)と、同『昭和あのころ』(2017年/)。は、わたしもたまに出かける日本橋人形町の「快生軒」だが、2020年から「全席喫煙」をやめたのがどこかさびしい。

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ぼんぼちぼちぼち

あっしも、喫茶店マニアと自称できるくらいに、中1の頃から、あちこちの喫茶店を楽しんできやした。
今記事にあげてくださった喫茶店の中では、新生「ちぐさ」に、行ったことがありやす。
やはり、喫煙可だと嬉しいでやすね!
by ぼんぼちぼちぼち (2023-01-14 15:09) 

ChinchikoPapa

ぼんぼちぼちぼちさん、コメントをありがとうございます。
おばあちゃんがひとりでやってる、ほぼカウンターだけの喫茶店から、お茶の水にあった「役員室」まで、多種多様な喫茶店を楽しんできましたが、最近のチェーン化した喫茶店はどこも同じでつまらないです。
わたしが通っていた「ちぐさ」は、吉田おじいちゃんが健在の時代ですが、もちろん全席が喫煙可だったため、手作りのディスコグラフィー・バインダーが黄ばんでいたのを憶えています。
by ChinchikoPapa (2023-01-14 15:20) 

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