出社する幽霊社長と吸血魔が跳梁する下落合。 [気になる下落合]
そろそろ初夏なので恒例の怪談、下落合を舞台にしたオバケClick!の物語をふたつほど。
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おそらく1950年代の話だと思うが、下落合の自邸から出社したある企業の「山川」という社長が、会社で脳溢血を発症して急死した。ふだんから酒豪で知られていた社長だったが、健康維持のために秘書へジュースをもってくるよう頼んだあと、それに口をつけようとして前かがみになったとたんに倒れ、そのまま蘇生しなかった。
遺体は救急病院から下落合に運ばれ、晩に通夜が行なわれたが、その場でさまざまな「怪異」が起きたのだという。枕辺に寄り添う、社長秘書だった女性は「怪異」を目撃して倒れてしまい、夫人や詰めかけた重役たちも膝を立てて逃げ腰になった。そのときの様子を、1959年(昭和34)に大法輪閣より出版された長田幹彦『霊界五十年』から引用してみよう。
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午前の二時頃になってじっとみていると俄然彼の喉仏がぴくりと動いた。と、一しょに急に笑っているような表情になって頬がぶるぶるけいれんしだした。ぼくはぎょッとした。ニタニタと笑ったように思えたが、たしかに口をあけたのである。よくみると少し口をあけて何か吐きだそうとして頬をまげている。(中略) それがどうしたはずみにか上の入歯がだんだんぬけて落ちてきた。とたんに唇がそっとあいて、丁度噴き笑ますような恰好になったのである。
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このほか、納棺のあとに棺桶の蓋をたたく音を夫人が聞いたりしている。……う~ん、これはどう考えても死後硬直で、死者の筋繊維が収縮を起こして動いている(ように見える)だけだと思うが、親友の著者は「怪異」として記録している。
だが、ほんとうの怪異と呼べる現象は、社長の葬儀後しばらくしてからはじまった。下落合から会社へ、相変わらず社長が出社してくるのだという。よほど経営面で気がかりなことがあったものか、社長秘書だった「波川」という女性や、社員たちにまで目撃者があらわれるようになった。「松原」という社員は、退社しようとして階段を下りていると階下からふうふう荒い息を吐きながら、うつむいて上ってくる社長を何度も目撃した。しかも、社長がお気に入りだったセルの縞柄コートを着ていたという。
同じく紺縞のコートを着た社長を、秘書だった「波川」も夕方から夜にかけて何度か見かけていた。また、給仕の「小暮」という青年も、同じ姿をした社長の幽霊を見ている。同書より、著者と社員3人が同時に目撃した階段の怪談を、少し長いが引用してみよう。
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その日の夕方、丁度五時頃階段のところへいってみた。みんなにいうと、ほかの会社の人にでも聞えるとうるさいからとお互に口をつぐんで、ぼくと松原さんと波川さんとそれから小使の小暮と四人でそろそろおりていった。(中略) 「あらッ、あそこから上ってらっしゃるのは社長じゃないかしら。どうもよく似てらっしゃいますね」(中略) 「そんなばかなことはないだろう。日東陶器の専務もそっくりだからね」/そういいかけてぼくも眼をすえてみると、帽子をあみだに被ってゆっくら上ってくるのはどうみても山川君にちがいないのである。/「やッ山川君!」/と思わず声をかけたのはぼくであった。と、山川君はうえを仰いできッとなったが、急ににッと笑って、何もいわずに、左の手をあげて軽いあいさつを送った。それは彼のくせであった。(中略) 山川君はそれを聞くとふいと姿が小さくなってふっと消えた。まるで望遠レンズを遠くへしぼるような、あっけない感じであった。(中略) ぼくはこんなところでかたまって話していて、もしや人に聞かれるといけないと思ったので、みんなをつれて階下のコーヒー店へいった。幸いおそくてあたりに人がいないので、/「ねえ、小暮さん、幽霊の話はそれくらいにしないと人に聞えると大変だよ。このビルじゅうの評判になるからね。実は波川さんも松原さんもたしかにみるというんで、私も今日は検分にきたんですよ。たしかに出るね」/「そうでござんしょ。掃除婦の人にもみた女があるんですよ」/「誰だね」/「おいくって後家さんの、痩せたお嫁さんがいるでしょ。あの人ですよ」
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幽霊になってまで出社する社長は、怖いというよりどこかうら哀しさを漂わせている。給料日を前に資金繰りが気になるのか、銀行の借入返済が心残りなのか、社債の償還と株主総会が心配なのか、いずれにせよ仕事に縛られて現われる幽霊はどこか悲しくて哀れだ。
もうひとつは、気分を変えて怪談というよりも「怪人」の物語だ。拙サイトでも何度か、名探偵・明智小五郎が活躍する江戸川乱歩Click!の作品をご紹介してきた。落合地域の南側にあった、戸山ヶ原Click!を舞台とする怪人二十面相Click!との対決や、上落合や小滝台住宅地Click!の近くに拡がる戸山ヶ原の一本松Click!を舞台にした令嬢誘拐事件Click!など、落合地域の周辺では「重大事件」が次々に起きていた。
だが、これらの犯罪はほとんどが戦前の、しかも大正末から昭和初期にかけての事件であり、敗戦後に、つまり20世紀も後半になってから、怪人二十面相が落合地域の周辺に出現したという話は聞かない。ところが、1960年代の後半に下落合にはとんでもない「怪人」が姿を現わし、町内はもちろん世間を騒がせていたのだ。この「怪人」は、自分のことを吸血コウモリの魔人と称しており、人間と同じような姿になった吸血魔は下落合の上空を飛びまわりながら、平然と人の首筋に噛みつき生き血を吸って殺害するなど、怪人二十面相などよりもよほど凶悪で怖ろしい魔人だった。
1960年代後半といえば、名探偵・明智小五郎は老人ホームで明智文代または花崎マユミの介護を受けるか、あるいはすでに鬼籍に入っていたかもしれない時代なので、この事件の捜査に乗りだすのには無理があり、吸血魔人と対決したのは同じく探偵で、中央線・中野駅近くの「上品な屋敷」に事務所をかまえる神津恭介だった。
「一世の名探偵」というショルダーで呼ばれる神津恭介は、自分のことを「名探偵」などといってしまう明智小五郎ほど自信過剰で背負(しょ)ってはいないが、かんじんなところで大ボケをかましてミスをしたり、どうやら易者に手相を見せて占ってもらってたりする頼りなさが難点だけれど、明智のように「ははははははは」と強がって無意味に笑ったりしないところが、謙虚な姿勢といえばいえるだろうか。
そんな吸血コウモリの魔人殺人鬼からとどいた怖ろしい脅迫状を、1967年(昭和42)にポプラ社から出版された高木彬光『消えた魔人』から引用してみよう。
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「下落合六〇五番地の幽霊屋敷といえば、たしかにここですね。この家へ、あすの夜十二時に持ってこいというのです」/「この家へあすの十二時に……」(中略) その脅迫状というのを見せてもらった恭介は、だまって二、三度うなずきました。/『三月三十一日午前〇時、下落合六〇五番地、通称幽霊屋敷という建物へ、例の聖書を持参せよ。さもなくば、汝の命は、この野ねずみのように、生血を吸いとられて失われるであろう。吸血魔』/その筆のあとは、たしかに恭介にも見おぼえのある、吸血魔のものにちがいありません。ああして河野利三郎のところに送られた脅迫状と、おなじ人物が書いたことには、うたがうよちもないのです。
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『消えた魔人』では、下落合の街並みが大正期から昭和初期にかけての古い屋敷が建ち並ぶ、まるで不気味で怪しい幽霊屋敷だらけのようなイメージで描かれており、多摩川河畔の蝙蝠屋敷と下落合の幽霊屋敷に出現した人の生き血をすする吸血魔は、空中を飛びまわりながら殺人を重ねていくという、もう前代未聞の事件になっていくのだ。この洋館が建ち並ぶ戦前からの屋敷街のイメージは、ほぼ同時代に描かれていた楳図かずおの「へび女」Click!の舞台に通じるものがあるだろうか。
しかも、わかりにくい迷路のようになった下落合の道筋を背景に、警視庁から派遣された大勢の武装警官隊が空飛ぶ吸血魔を追いまわし、とうとう逃げ場のない怪しげな袋小路に追いつめて、拳銃をバンバン撃(ぶ)っ放しているにもかかわらず、魔人が霧のように消滅して逮捕できずに逃げられてしまうという、ぜんたい1960年代後半の下落合はどうなっていたのか、まともなちゃんとした街として機能していたのかよ、大丈夫か?……などと、心配になってしまうほどの不気味さを漂わせているのだ。
吸血魔のアジトである幽霊屋敷にされてしまった大きな洋館、「毎晩幽霊が出たり死人が出たりする」らしい大屋敷、下落合(2丁目)605番地(現・下落合4丁目)は目白通りから子安地蔵通りClick!を入ってすぐ右手(西側)の一画、ほんの一時的に前田寛治Click!の借家があったとみられる火の見櫓の向かい側の屋敷であり、かつて牧野虎雄Click!や片多徳郎Click!、曾宮一念Click!などのアトリエが建ち並んでいた北東側のエリアにあたる。
この番地に、大きな西洋館などあったかな?……と調べてみると、確かに戦前には大きな敷地に洋館と見られる野萩徳太郎邸(1938年/大正末は野萩浜次郎邸)が建っていた。ただし、野萩邸は下落合605番地ではなく西隣りの敷地で606番地だ。「なんで宅が、幽霊屋敷なんですの!?」という野萩家のお怒りの声が聞こえてきそうだが、同邸は戦災で全焼しており、高木彬光は戦前に見られた下落合の街並みを、1960年代に思いだしながら再現して書いたものか、あるいはまったく出まかせの想像だろうか。
ちょっとネタバレになるけれど、この事件の首謀者であり「満洲」Click!のハルビンClick!で結成された蝙蝠団のメンバーたちがおもしろい。下落合にいた「蝙蝠の銀次」をはじめ、「ルパンの五郎」「ピストルの政」「男爵新吉」、紅一点の「まぼろしのお花」と5人組の犯罪組織だが、どこか芝居の『青砥稿花紅彩画(あおとぞうし・はなのにしきえ)』Click!に似ているとともに、モンキー・パンチによる『ルパン三世』Click!を思い浮かべてしまう方も少なくないのではないか。拳銃の名人である「ピストルの政」や、高級車を鮮やかに乗りまわす「まぼろしのお花」など、次元大介や峰不二子のイメージと重なりそうだ。
モンキー・パンチは、ポプラ社から出版されたばかりの『消えた魔人』をどこかで読んでやしないだろうか。くしくも、高木彬光の『消えた魔人』は1967年(昭和42)の7月に刊行され、『ルパン三世』は同年の翌8月に、まるで示しあわせたかのように発表されている。
◆写真上:子安地蔵通り沿いにあたる、下落合605番地界隈の現状(右手)。
◆写真中上:上・中は、幽霊の社長が出社してくるのは戦災をまぬがれたこんなビルだろうか。下左は、1959年(昭和34)出版の長田幹彦『霊界五十年』(大法輪閣)。下右は、1952年(昭和27)出版の長田幹彦『幽霊インタービュー』(出版東京)。
◆写真中下:上・中は、下落合を跳梁する吸血魔で挿画・岩井泰三。下は、1967年(昭和42)出版の高木彬光『消えた魔人』(ポプラ社/左)と著者(右)。
◆写真下:上は、下落合の路地へ追いつめた吸血魔を銃撃する武装警官隊。中は、1936年(昭和11)に撮影された空中写真にみる下落合605番地とその周辺の街角。下は、1960年代の下落合はこのような大正建築(1965年撮影)があちこちに残る街並みだったろう。
★おまけ
高木彬光が想定する吸血魔のアジトは、こんな雰囲気の西洋館だろうか。野萩邸と同様に、「なんで宅が、吸血魔のアジトなんざんしょ!?」とさっそく叱られそうだ。
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