酷暑だった夏の終わりの密室怪談。 [気になるエトセトラ]
下落合に日本民話の会の事務所があることは、以前の記事Click!でもご紹介しているが、同会が発行している紀要というか機関誌『聴く 語る 創る』は、日本で語り継がれてきた多種多様な民話や説話を収録・研究していて興味深い。
1993年(平成5)5月に創刊号が刊行された同誌だが、最初に「トイレの花子さん」や「赤いはんてん」、「厠神(トイレの神様)」などの登場しているのがおもしろい。人がどうしてもひとりにならざるをえない密室の怪談として、ロシアのバーニャ(ロシア式サウナ風呂小屋)と日本のトイレに伝わる怪談の比較論を展開する、民俗学的なアプローチによる論文なのだが、その具体的な相違点や共通点を考察したものだ。
ロシアのオバケが、「妖精」あるいは「妖怪」の部類に分類されそうなのに対し、日本のオバケは「厠神(トイレの神様)」を除いて「幽霊」「心霊」に近しい存在として語られている。たとえば、ロシアのバーニャに出現するオバケとしてバンニクあるいはバエンニクというのが存在するが、その多くが老人のような姿をして出現している。また、バーニャの中から声だけ聞こえるときは、男女を問わない会話のざわめきとして聞こえたりもする。おしなべて、「妖精」あるいは「妖怪」のイタズラとされているようだが、ときに人の生命を奪い生皮をはいだりする、残酷で怖い側面もあったりする。
ロシアのバーニャ(サウナ小屋)は、家屋に付属する施設ではなく、自宅から離れた場所(川や湖の岸辺や森の中)に設置される丸太小屋だが、昔の日本の農家に多かった母家から離れた庭先のトイレの位置よりも、はるかに遠い場所に建てられていた。たとえば、代表的なバンニク怪談には次のようなものがある。同誌に掲載の、渡辺節子『<密室の怪>日本のトイレとロシアのバーニャー』から引用してみよう。
▼
これは私の女友達にあったことだよ。年寄りたちはあの娘に一人でバーニャへ洗いにいくもんじゃないよ、って言ってたの。それなのにあの娘ったら、うっかりしたんだか、バカにしてたのかしらね、一人でバーニャへなんか洗いにいって、それもいっとう最後によ。/入って、頭を洗ってて、水をとろうとかがんだら、なんと腰掛台の下に小さい爺さんが座ってるんだって! 頭が大きくて、ひげが緑色なの! あの娘の方を見ているものだから、きゃーってとび出したのよ!
▲
この怪談は、1976年(昭和51)にチタ州ネルチンスクで採取されたものだが、バンニクが姿を見せるのはめずらしいことらしい。若い娘が入ってきたので、つい現れてしまったのだろうか。通常の怪談だと、誰もいないはずの真っ暗なバーニャの中から会話や呼びかける声が聞こえたり、白樺などの枝葉で身体をパシャパシャたたく音が聞こえてきたりと、人に怪しい気配を感じさせて脅かすことが多いようだ。
また、屋外にポツンと建つ人家からかなり離れたバーニャ(サウナ小屋)には、バンニクだけでなく森の精霊(レーシー)や悪魔などの魔物(妖怪)が入りこんで居すわりやすいといわれており、特に人間が活動する時間帯ではない夜間には、多くの地方でバーニャに入ってはならないと戒められている。また、そのいい伝えを無視して深夜にバーニャへ足を踏み入れたりすると、ひどい目に遭うとされている。
これは、若者が肝試しに深夜のバーニャへ出かけバンニクに殺されたケースだ。
▼
「夜、バーニャに行って炉の煉瓦をとってきてみせる」っていうわけ。で、/「とってこれっこないさ」/「なんでさぁ?」/そういって夜、出かけていったんだよ。でもね、煉瓦に手を出したとたん、魔モノがとび出してきて、/「ここで何やってるんだ? なんだ!?」/「煉瓦をもってかなきゃいけないんだ」/バンニクがその人をしめ殺してしまったのさ。戻ってこないわけ。さんざっぱら待ってたんだよ。きてみたら、しめ殺されてころがってたんだよ。(1979年/ネルチンスク)
▲
絞め殺すだけでなく、人間の生皮をはいで石の上に拡げて乾燥させる、地域によってはより恐怖度の高い残虐なバンニクもいたらしい。また、やはり人家から離れたオビン(穀物の乾燥小屋)に棲みつくオビンニクという精霊もいるが、こちらは妖怪や妖精というよりも怪獣に近い存在で、やはりバンニクと同じようなイタズラや悪さをするらしい。
おもしろいのは日本のトイレと同じように、ロシアでも小屋の方位(方角)を気にしている点だろう。バーニャ(サウナ)の設置場所や方角が悪いと、家族にさまざまな障害(病気)が現れて不幸になるといい伝えられている。日本でも、トイレの位置を北東側(鬼門)あるいは南西側(裏鬼門)に設置すると、家庭内にさまざまな災厄をもたらすといわれてきたのと同じような伝承だ。また、妖怪や精霊の邪魔になるところに小屋を建てると「霊障」にみまわれるというのも、霊が通過する「霊道」をさえぎると霊が滞留してよくないという、日本の怪談ではよく登場するシチュエーションだ。
さて、日本の代表的な密室であるトイレには「厠神」が宿るとされているが、その姿はバーニャのバンニクほど鮮明ではない。ありがちな怪異現象として、汲みとり式のトイレから手が出てきて尻を撫でたりするが、これは「厠神」ではなく河童やタヌキ、化け猫の仕業だったりする。毛深い手なので、妖怪的な“毛物”の仕業にされているようだが、この毛むくじゃらの手こそ「厠神」のものだとする出雲地方の伝承もある。
だが、日本で語られるほとんどのトイレ怪談は人間の幽霊・心霊によってもたらされるものであり、そこが精霊・妖精のイメージが強いロシアのバンニクやオビンニクとの大きな差異だという。人間の霊による代表的なトイレ怪談ケースを、同論文から引用してみよう。
▼
「あかずの便所」 学校、寮、旅館等集団の生活の場に釘づけになったトイレが一つあり、その理由をきく。大体は自殺や事故がらみの死亡事件のあと、幽霊騒ぎがあり、そこを使わないように閉めきった、というもの。つまり「怪の正体」ははっきりしていて、ナニモノかではなくあくまでも人間、その霊作用であり、事件の現場がトイレであったためにそこにいついた地縛霊であって、他の幽霊話と同じ、といえる。
▲
このよくある幽霊話と、センサーと洗浄器付きの全自動水洗トイレになってからも、下から手や顔がでてくる妖怪譚とは、昔から語り継がれてきた日本の伝統的な怪談パターンだが、近年はそれらとは明らかに傾向が異なる3種類の怪談が語られているという。
そのひとつが、「上からのぞく」怪談だ。小学生が夜、忘れ物をとりに学校へいくと、暗い体育館や廊下でワゴン(または車椅子)を押す看護婦や老婆の幽霊に出遭う。霊から「見たな~」といわれ、トイレのいちばん奥の個室に飛びこんで鍵をかけると、幽霊がキリキリキリとワゴン(車椅子)の音をさせながらトイレに入ってくる。
手前の個室からドアを開け、順番に「いな~い」といってはバタンとドアを閉め、徐々に奥の個室へと迫ってくる。ついに小学生が隠れたいちばん奥の個室の前までやっくるが、急にシーンと静かになって気配が消えてしまう。いつまでも物音がしないので、ようやく幽霊があきらめて消えてくれたかと思いフッと上を見ると、追いかけてきた霊が天井近くから、生気のない顔でジッと小学生を見下ろしていた……という結末だ。
さらに、前世紀末から語られている残り2パターンの新怪談とは次のような展開だ。
▼
<トイレの>中に入っている時、「赤いハンテン着せましょうか」と声があり(手が下からなのにくらべ、大概は天井から)、応じるとナイフ等がとんできてささり、とびちった血で赤いハンテンを着たようになる。バリエーションは種々あるが、この「ナニモノ」かは今だ<ママ:未だ>かって姿を見せたことがない。(中略) <花子さん>だけは新たにトイレの中にいついた怪、といえるかもしれない。北海道から沖縄まで全国の小学校の女子トイレ、三番目あたりに住み、一定のルールにのっとった呼びかけに対し、返事をする。「遊びましょ」というと「何して遊ぶ」とかいう。姿をみせることもあって、六才とか、一三才とかの女の子、遊び方は「首しめごっこ」と首をしめてきたり「殺しあい」と幾分かは恐い。(中略) が、花子の話は絶対的に子供の世界、それも小学校までにしかない。(< >内引用者註)
▲
この「トイレの花子さん」は、20世紀末から今世紀にかけ活動範囲が大きく拡がっているという。彼女は、トイレで自殺した何年何組の子とかトイレで殺された子という、妖怪ではなく人間の幽霊・心霊としての位置づけがなされ、出現場所もトイレばかりでなく理科室や体育館、音楽室、はては校庭にまで出現するようになっている。
ロシアのトイレは、昔から母なる大地の「外で用足しする」ことが多く密室にはならないため、代わりに丸太でこしらえたバーニャ(サウナ小屋)が密室怪談の温床となった。逆に日本では、江戸期から銭湯が利用されており風呂場は密室になりにくく、トイレがひとりになる空間として多くの怪談を育んできた。ロシアでは「人でないもの」=妖精・精霊の類だが、日本では多くの場合「人でないもの」=幽霊・心霊としてとらえられる傾向が顕著だ。だが、バーニャ=風呂場だから全裸、トイレ=用足しのため下半身裸と、怪異が出現してもすぐには逃げだせない(あるいは逃げ場のない)空間であるのが共通している。
戦後、日本では銭湯が廃れ、風呂付きの住宅があたりまえになると(密室化すると)、さっそく風呂場の怪談が登場している。自宅やホテル、旅館、合宿所と場所は多彩だが、いきなりシャワーの水音がして風呂に誰かがいる気配がしたり、風呂場のドアを開けてずぶ濡れの幽霊が這いでてきたりする。これは上記論文から離れた私見だが、「おひとりさま」が増えるにつれて部屋(室)レベルでなく、生活環境の全体までが密室化し、これから同じような怪談が数多く再生産されていくのではないだろうか。心霊マンション・アパートや幽霊ホテルはめずらしくなくなったが、トイレから解放されて行動範囲を拡げた「花子さん」のように、幽霊街とか心霊通りなどといったエリア単位の怪談が増えそうな気がするのだ。
◆写真上:トイレや風呂場からのぞくオバケは、こんなイメージが多いようだ。
◆写真中上:上は、ロシアの屋外に建てられるバーニャ(サウナ小屋)の内部。中は、水木しげるによる「バンニク」。下は、同じく乾燥小屋の「オビンニク」。
◆写真中下:上は、日本トイレ研究所Click!によるトイレ怪談の全国分布グラフ。関東地方は思いのほか少なめで、中部地方から近畿地方にかけてがかなり多いようだ。中は、同研究所の統計からトイレ怪談の起きる場所として学校が大半なのがわかる。下左は、1993年(平成5)に日本民話の会から刊行された機関誌『聴く 語る 創る』5月創刊号。下右は、2015年(平成27)に出版された日本民話の会・編『学校の怪談』(ポプラ社)。
◆写真下:上は、水木しげるによる「トイレの花子さん」。中は、「看護婦幽霊の便所オバケ(見たな~)」のフィギュア(TAKARATOMY)。下は、夏になるとネットのあちらこちらで顔を見かける「♪赤いハンテン着せましょか~」で独特な節まわしの稲川淳二Click!。
コメント 0