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バックキャスト的に歴史を想像してみる。 [気になるエトセトラ]

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 ここに拙記事を書きはじめてから、きょうで丸20年を迎えます。いつも拙ブログをご訪問いただき、ありがとうございます。ここ1~2年で、記事へのアクセスカウントが大きく変動しています。佐伯祐三Click!に関する拙記事が、もっともアクセスの多いアーティクルClick!として7万超えのトップになりました。山田五郎教授Click!の講義、「オトナの教養講座」Click!による影響ではないかと思います。(ありがとうございました。>山田様)
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 ……とここまで書いて、来年の3月末にss-blogがとうとう終了するそうです。Seesaaブログへの、記事データの丸ごと移行サービスが予定されているようですが、どのようなものかはいまのところ不明です。すでにfacebookなどとのリンクは切れているようですが、拙サイトが消滅するまで力不足ながら、これからも落合地域をベースに故郷の江戸東京を、そして日本を見わたすような記事が書くことができればと考えています。あと4ヶ月余ほどの期間になりますが、よろしくお願いいたします。
  
 よく、歴史を語るのに【もし】というのは禁句などといわれる。だが、それは記録などの資料を積み重ね、過去に起きた事象を実証的に研究ないしは論証・解釈していく、純粋な歴史学の分野や視点には当てはまるかもしれないが、他の学術分野での史的な【もし】という仮説設定は、別に回避されもせずに重要な設定要素のひとつとなっている。【もし】という仮説を設定してシミュレーションを繰り返さなければ、これから起きる事象を予測し、あるべき未来の姿を想像(創造)することができないからだ。
 たとえば、1960年代に米国で起きたといわれている資本主義経済史上では前代未聞のスタグフレーションは、どのような経済政策のもとで、またどのような経済・社会状況のもとで起きているのか? 【もし】、当時の米財務省や中央銀行(連邦準備銀行制度=FED・FRS)が、金融政策Aではなく別の異なる金融政策Bを実施していれば、スタグフレーションは防げたのではないか?……というような過去の選択肢【もし】のテーマは、経済学においては長きにわたって大きな命題のひとつとなっていた。
 これは、別に「あのとき、ああしておけば、こうしておけばよかった!」と悔恨しているわけではなく、将来的に発生する怖れのある、現代の経済学(経済施策)では防止・修正しにくい資本主義経済の破綻のひとつ、スタグフレーションをどうすれば防げるのかを研究するための【もし】+シミュレーションの展開だ。以前のフランスや日本のように、主要な社会インフラや基幹産業の企業の多くを国有化すれば、すなわち社会主義経済的な要素を多く取り入れれば、資本主義は延命できるかもしれないが、米国では政治・社会思想的な素地でそのような施策は受け入れられないだろう。では、どうするのか?……というような【もし】が、これまでいくつも設定されてきた。おそらく、何百通りもの【もし】が設定され、史実とは異なる「ありえた未来」予測が繰り返されてきたのだろう。
 日本についていえば、人材不足から完全失業率は2%台と低いのに、消費は伸びないばかりか物価は上昇してインフレ傾向となっており、賃金も一部の大手企業を除いてはさほど物価にスライドして上昇しているとは思えず、インフレ分を差し引けば実質的に賃金は下落していそうだ。景気は、好景気からはほど遠く消費は伸びずに貯蓄か投資にまわり、インフレ含みの景況で相変わらずの不況感のみがつづいている。これは、いままで誰も経験したことのない、21世紀の新型スタグフレーションではなかろうか?
 【もし】、前世紀のM.フリードマンのような、時代遅れの株主資本至上主義的(新自由主義的)で、一部の大手企業家(資本家)の利益や株主投資価値の最大化をめざし、格差社会を大きく助長させた「アベノミクス」がなければ、【もし】政府財務省や日銀がまったく異なる財務政策や金融施策を打ちだしていたら、かなりちがった経済局面あるいは社会状況を迎えていたのではないか?……というような【もし】は、現代経済学の分野では同じ誤謬やまちがった選択を繰り返さないために、常に設定され検証・議論されつづけるテーマだろう。財源(企業の場合は経営資源)は、どのような目標に対してなにを最大化し、どの領域を最適化するために優先して配分されるべきだったかが常に問わている。
 史的な【もし】は、別に社会科学の分野に限らない。人文科学の哲学分野では、いま風にいえばマルチバース(昔風にいえばパラレルワールド)の設定で、史的な【もし】を前提とした「可能世界意味論」の領域があるだろうか。また、自然科学にも量子力学の「多世界解釈」や、理論物理学の「マルチバース宇宙論」などの分野が関わっているのかもしれない。いずれも、既存・既知の宇宙を、地球を、空間を、時間を、そして人間世界(社会)の事象を超えて、【もし】を設定したうえでの仮説であり研究であり考察だろう。
 現代の経営学あるいは経済学に、バックキャスティングという手法がある。未来の企業経営や国家の経済・社会状況を予測し、めざす目標に向かってどのような事業計画あるいは経済・社会計画を立てれば、理想的な目標に到達できるかを予測する方法論だ。これは、現時点から未来を予測して【もし】を設定するのではなく、30年後・50年後・100年後など未来のある時点を起点とし、その未来の時点に設定(想定)した理想的な目標に達するためには、2025年にはどのような施策を採用し、どのような方向性で企業の将来的な事業計画を、国家の長期的な経済・社会政策を策定し、将来に向けた施策を実施していくべきか?……というような、未来のある時点から逆算(逆予測)していく手法=方法論のことだ。日本では、バックキャスティングという言葉はそれほど古くはないが、このような言葉を用いなくても、企業や官公庁では昔からさまざまな事業計画や経営計画で実施されてきたことだろう。
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 たとえば、ダムや鉄道、空港、道路などの建設を考えればすぐに理解できるのではないだろうか。ダムは、50年・100年単位で活用される建造物だが、裏返せば50年・100年先の未来を予測して建設計画は企画・立案されなければ意味がない。ダムを設置する下流の人口(住民)推移による飲料水の需要はどうか、工業・農業用水の需要はどうか、住宅地や工業地の水力による電力需要はどうか、ダムの設置場所の降雨量はどうか、50年後や100年後でも気象条件が担保できる地形か、将来的な気象変動はどうなのか、それらの条件によってダムの建設予定地や貯水池のスケール、建設予算の規模はどうするのか?……などなど、50年・100年先まで見すえた予測が求められる。
 これがうまくいかないと、せっかく巨費を投入して建設したダムは無駄になってしまうし、また未来予測とは大きく異なる事態(T.クーンが「パラダイム」と呼ぶもの)が招来すれば、状況や条件が大きく変化(チェンジ)をとげて、既存の計画や考え方では間に合わなくなり、少なからぬ破綻が起きてカタストロフを招いてしまうだろう。
 たとえば、この近辺の地域でいえば20世紀後半の神奈川県が好例だろうか。戦後、県の東部における人口の増大や工場建設の増加を予想し、水道水や工業・農業用水、電力などの需要増を予測して1960年(昭和35)に企画・設計され1965年(昭和40)に竣工した津久井ダム(城山ダム)と、馬入川(相模川)Click!沿いの各地に散在する浄水設備だったが、ほどなくパラダイムによる大きな変化が起きている。
 予想もつかなかった急激な戦後復興と高度経済成長で、横浜市の人口がみるまに大阪市を抜いて、東京区部に次ぐ300万を超える第2の大都市にふくれあがり、川崎市を含む京浜の海岸沿いでは工業地帯の拡大とともに、工業用水が絶対的に不足しはじめている。また、高速交通網の整備により東京市街地の「公害」を避け、神奈川県や埼玉県が通勤圏内となって人口が急増するドーナッツ化現象の進捗で、生活に不可欠な飲み水=水道水がまったく不足するという非常事態にまで立ちいたった。同様の爆発的な現象は、先祖が住み着いた江戸初期(1600年代初め)にも起きており、江戸の町に引かれた小石川上水では水道水Click!が絶対的に不足し、大急ぎで小石川上水を包括した神田上水Click!の大工事にかからなければならなかった、徳川幕府の経緯によく似ている。
 そのため、以前にも記事にしたが神奈川県では相模川総合開発Click!の大幅な見直しや修正を繰り返し重ねた結果、1980年代には県東部の水道水や工業用水はようやく充足し、同様に人口の急増で上水道の絶対的な不足に悩んでいた東京西部へ、援助給水するまでになっていた。つまり、当初は津久井ダムの企画設計から50年後の2010年(平成22)を想定してバックキャスティング(当時はこんな言葉はなかった)されていたが、早くも1970年代から80年代の想定を超えるパラダイム(急速な戦後復興と高度経済成長および予想を超えた人口急増)で、計画の大きな変更・修正を余儀なくされたケースだ。
 もちろん、逆のケースもありうる。50年・100年先の未来の目標時点から、楽観的かついい加減でお手盛りのバックキャスティングを行い、ゼネコンのカネにまみれた地元や国の族議員・族官吏(ロビイスト)らが、根拠のない底ぬけに楽観的な採算予測と事業計画で、ダムや鉄道、空港、道路などを誘致・建設し、案のじょう採算があわずに運用管理費だけが膨らみつづけ、わずか10~20年ほどで大赤字の“負の遺産”と化する事業も少なくないからだ。
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 このような、歴史学では用いられない(ありえない)バックキャスティング的な【もし】=予測的な視座からあえて歴史を見なおすと、さまざまなマルチバース(パラレルワールド)を想定することができる。たとえば、1868年(慶応4)の「明治維新」はほんとうに「維新」なのか、近代版平安朝へ復古する時代錯誤なアナクロニズム政治ではないのか? 1925年(大正14)に「治安維持法」Click!が制定されず内務省に特高警察Click!が設置されていなければ、「大正デモクラシー」と呼ばれた日本型の資本主義的自由主義はどのような姿を迎えていたのか? 1931年(昭和6)に日本が「満洲事変」を起こして戦争へ突入しなければ、国民党政権を中心に現代中国はどのような国家に変貌していたのか?
 1945年(昭和20)に国家滅亡の「亡国」を招来したにもかかわらず、敗戦時にあえて米軍を「解放軍」などと規定せず、常にCICやG2を中核とするGHQの謀略や言論工作を検証する眼差しや批判眼が備わっていたとしたら(歴史学上では無理なありえない設定だがバックキャスト的な自在な視座からは意味がある)どうか、またソ連帰りの「共産主義者」のアジテーションやカンパニア的な扇動に乗らなければ、戦後民主主義はより強靭な体制を獲得できていただろうか? またはできなかったのだろうか?……。
 最近、2024年に中央公論社から出版された藪本勝治『吾妻鏡―鎌倉幕府「正史」の虚実―』という本を手にした。その「あとがき」で、著者はこんなことを書いている。
  
 人間が過去をどのように語り直し、意味づけ、更新してゆくのか、という問題に、私は惹かれ続けている。/過去は現在を支えてくれる。そして進むべき未来を指し示してくれる。未来が見通せるのは、過去から現在に至る筋道が、確たる意味を携えてすっと通っていると感じられるからだろう。だから人間は、未来の見通しに窮するとき、過去を振り返り、現在につながる歴史を再系列化して語り直し、過去像を更新しようとする。(中略) しかし、いや、それゆえに、歴史は虚偽を含んでいる。(中略) そのことにはたと気づかされて戦慄することがしばしばあるのだ。社会環境の中で自然と教え込まれ、常識として内面化していた「正しい歴史」が、(中略) 独自の構想と文脈を備えた物語の一節にすぎなかったのだとわかってしまう衝撃。しかしそこには先入観の束縛から解き放たれるような快楽が付随する。
  
 著者は、鎌倉時代の末期に編纂された『吾妻鑑』の「正史」や、『平家物語』の軍記物、『愚管抄』の史論書などを例に記しているのだけれど、これはあらゆる「常識」といわれる歴史書(正史)にも当てはまることだろう。
 歴史学は“結果論”であり、その解釈の変更や更新を時代とともに追究する学問なのだが、もう一歩進んで歴史的な事象にバックキャスティング的な視点を持ちこみ、もし80年前のパラダイム(時代の流れを変えてしまう大きな出来事)が避けられていたら、もし160年前のパラダイムが存在しなければ、2025年の現在はどのように変革され新たな社会が誕生していたのかを想像するのは、決して無意味でも不毛なことでもなく、「未来を見通せる」新たな「筋道」を発見できる端緒となる可能性を秘めてやしないか。
 もちろん、過去は修正できないが、未来へ向けた選択の動機づけやファクターには十分なりえるだろう。歴史学とは異なり、その時代の狭隘な視野でも当時の限られた価値観でもなく、そんなものはどこかへうっちゃって、より状況を広くとらえ鳥瞰できる現代の視界や価値観から捉えなおすことで、新たなマルチバース(パラレルワールド)に気づき、よりよい(いまよりもマシな)平和で豊かな未来へとつなげることができるのではないか。宮崎駿アニメの観賞眼的ないい方をすれば、歴史的な現実と「ファンタジー」(同時代の並列的かつ自由自在な想い)との緊張関係を認識・維持することが、少なくとも「いつかきた道」を繰り返さず、別の新しい未来を獲得するためのトリガーとなるのではないか、そんな気が強くするのだ。
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 歴史(特に近・現代史)を【もし】で見なおすことは、近未来や少し遠めな未来の予測に直結する……とは、歴史学を除いた学術分野ではよくいわれ繰り返されるフレーズだが、そのようなバックキャスティング的な視座から、若い子たちが少しでもよりよいマルチバースが存在した可能性に“気づき”、また“想像”できるきっかけとなるような要素を含んだ記事が書けているとすれば、拙サイトの存在意味が多少なりともあったといえるのだろうか?

◆写真上:これから人口が急減しクルマが減りつづける中、いまだ計画が廃棄されない池袋の補助73号線(十三間道路=25m道路)。目白3丁目から4丁目を斜めに貫通し、目白通りへと抜ける計画だ。敗戦直後の1946年(昭和21)に都が計画した80年前の道路で、北区十条では住民の集団訴訟による事業取り消し裁判が進行している。
◆写真中上:65年前に計画された、神奈川県の津久井ダム(城山ダム)と津久井湖。
◆写真中下・下:50年・100年先の綿密なバックキャスティングが不可欠な、目先の利益や見栄で建造してはいけない、運用管理費が膨らみつづける建造物の代表格=鉄道と空港。

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