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蘭塔坂上の岡不崩アトリエを拝見する。 [気になる下落合]

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 「芳崖四天王」と呼ばれた岡不崩Click!本多天城Click!のアトリエが、そろって下落合にあったことは先日こちらでご紹介したばかりだ。きょうは、蘭塔坂(二ノ坂)Click!上にあった岡不崩のアトリエについて書いてみたい。このサイトでは、下落合(現・中落合/中井含む)にあった洋画家のアトリエClick!はこれまでずいぶん取りあげてきたけれど、一般的な日本画家の画室Click!はともかく、特定の日本画家のアトリエを紹介するのはほとんど初めてのことだと思う。
 「アトリエ」という言葉は、洋画家や彫刻家の制作室あるいは工房にはしっくりくるけれど、日本画家にはいまひとつ馴染まないような気がする。「画室」のほうが、まだ少しは自然に感じるのだが、落合地域は“アトリエ街”なので、あえて日本画家の家もアトリエと表現してみたい。下落合370番地に住んだ竹久夢二Click!や、下落合622番地で暮らした蕗谷虹児Click!は、洋画家とも日本画家ともカテゴライズしきれない表現者たちだが、いちおうここではアトリエと紹介してきている。なお、岡不崩は自身のアトリエとその庭を「楽只園」と名づけていた。
 岡不崩が、蘭塔坂(二ノ坂)上の下落合1980番地にアトリエをかまえたのは、1923年(大正12)年5月に創立した本草学会の例会を自宅で開いた、1925年(大正14)10月ごろではないかと想像している。 不崩は日本画家としての活動ばかりでなく、明治の半ばすぎから植物学の方面での活躍も知られている。当初は、アサガオの研究書を刊行したりしていたが、大正期に入ると本格的な本草学に取り組み、植物病理学者の白井光太郎とともに本草会(のち本草学会)を設立している。
岡不崩のご子孫であるMOTさんより、下落合へアトリエを建設して転居したのは1925年(大正14)と確認された。(コメント欄参照)
 不崩の本草学会について、2017年(平成28)に求龍堂から出版された『狩野芳崖と四天王』所収の、藏田愛子『岡不崩による植物と個展の探求』から引用してみよう。
  
 この本草学会には、本草学に精通した植物学者の牧野富太郎が参画している。不崩は牧野から江戸時代の園芸書『花壇綱目』を借用することもあれば、会のことを相談してもいたようだ。不崩が牧野に宛てた「大正十二年四月二十日」の日付が記された書面には、牧野に本草会の後援者としての協力を仰ぎ、第一回会合での参考品出品と講演を依頼する旨が記される。不崩が白井や牧野ら本草学に通じた植物学者たちとの間に密な繋がりを築いていた様子がうかがえる。このほか、不崩は毎年七月に観蓮会を催した「蓮の会」の発起人となり、「東京朝顔研究会」の会員としても名を連ねている。
  
 文中に登場している「観蓮会」Click!とは、上落合467番地に住む古代ハスClick!の研究家・大賀一郎Click!が、1935年(昭和10)からはじめたイベントだ。岡不崩のご子孫であるMOTさんによれば、大賀一郎は犬を散歩させる道すがら、上落合から下落合の岡不崩アトリエへしばしば立ち寄っていたそうだ。
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岡不崩「万葉集草木考」1932-34(建設社).jpg
 不崩が『万葉集』に登場する植物への考察をまとめた、『万葉集草木考』全4巻(1932~1937年)や『古典草木雑考』(1935年)は、植物学界や万葉集研究家の間ではよく知られている書籍だ。また、高山植物の研究でも有名で、『八品考』(1923~1930年)を著している。植物に関するこのような活動のあいまには、関東大震災Click!から復興する東京市街地を観察し記録しつづけた、まるで考現学Click!を意識したような『帝都復興一覧』(1924~1925年)を描くなど、岡不崩は単なる日本画家のカテゴリーに収まらず、大正後期から昭和初期にかけ多方面で精力的な仕事をこなしている。
 1944年(昭和19)に洸林堂書房から出版された織田一磨Click!『武蔵野の記録』には、岡不崩について次のような記述がある。
  
 この困難な研究をされて、貴重な文献を遺されたのは、故岡不崩氏である。其著述は「万葉集草木考」と命名されて四冊の立派な本となつて出版されてゐる。然し惜しいことには未だ完結に到らないのに、氏は老齢の為に死去された。全十五巻を以て完結するつもりで精力を傾倒されてゐたといふのに、僅かに四巻を出して未完成のまゝ逝かれたことは、惜しいことであつた。/然しこの四巻でも、無いよりは数等良いので後学の為にどれ位役に立つかといふことは言葉で尽せないものを感じる。岡氏は狩野門の日本画を専門とされた人で、山草の研究からつひに、万葉の植物考証を企てられたのである。今日、氏の画業は多くの愛蔵家をよろこばせてゐるであらうが、それにもまして世の中の為に得難い貢献は、この「万葉集草木考」であると思ふ。/今、本文を書くに当つても、この著書は唯一の参考文献として座右に備へ、常に氏の高説を参照することを忘れない。
  
 きょうの記事に掲載している岡不崩アトリエ(楽只園)の写真は、織田一磨Click!が愛読していた『万葉集草木考』(建設社)から引用したものだ。もちろん、洋画家のアトリエとは異なり建前は和館だが、庭には膨大な種類の草木が植えられていた様子をうかがい知ることができる。これらの草花を不崩は日々観察し、ときには写生を繰り返していたとみられる。不崩が軸画などの作品に描いた動植物は、いい加減な描写やデフォルメなどがいっさいなされておらず、まるで専門家用の精細な図鑑を見るような正確さで描かれている。
岡不崩アトリエ(楽只園)内部1932頃.jpg岡不崩アトリエ.jpg
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 岡不崩が死去してから7年後、1947年(昭和22)の空中写真を見ると、岡邸が濃い屋敷林に囲まれている様子が見てとれる。この庭には、たくさんの鉢植えや高山植物、樹木などが栽培され、四季折々の花を咲かせていたのだろう。夏に撮影されたのか、『万葉集草木考』には庭に咲く白いヤマユリの花や、鉢植えの植物が花をつけている様子がとらえられている。夏に神奈川の山々を歩くと、必ず目にすることができる鮮やかなヤマユリは、子どものころから馴染んで育った花だ。ヤマユリは、神奈川県の県花でもある。
 また、大事そうに育てられている鉢植えの花は、めずらしい高山植物の類だろうか。大正末から昭和初期にかけ、ハイキングClick!キャンプClick!がブームとなるにつれ、さっそくあちこちの山々で高山植物の乱獲問題が浮上している。岡不崩は、学術目的による植物の採取許可を当局に提出し、八ヶ岳を中心に高山植物を採集しては庭で育て、研究用の写生や観察を行なっている。
 アトリエで仕事をする岡不崩をとらえた、1932年(昭和7)ごろの写真が同書のグラビアに掲載されている。資料の山に囲まれて執筆をしている岡不崩が写っているが、床に架けられている神護寺仙洞院に伝承された『伝源頼朝像』は、まだ不崩が若いころ勉強用に模写をした自身の作品だろうか? また、『万葉集草木考』には1933年(昭和8)1月22日に撮影された、東京植物同好会の記念写真も掲載されている。そこには岡不崩と並んだ牧野富太郎や、大賀一郎の姿を見いだすことができる。
 岡不崩が、なぜ下落合1980番地にアトリエを建てることにしたのか、その直接的な要因は関東大震災による市街地の壊滅的な被害だったにしても、なぜ下落合という地域を選んだのかが気になっている。以前にも少し触れたが、どこかで東京土地住宅Click!によるアビラ村(芸術村)Click!計画を耳にしていたか、あるいは中村彝Click!が最新情報を問い合わせるほど日本画界や洋画界の事情通で、またアビラ村(芸術村)計画Click!の発起人のひとりであり、下落合436番地にアトリエをかまえていた(基本的には)日本画家の夏目利政Click!あたりから、情報の提供を受けたものだろうか。
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 岡不崩とアビラ村(芸術村)との接点、それは東京土地住宅の常務取締役だった三宅勘一Click!とのつながりか、下落合436番地の近衛文麿Click!か、同じ地番の夏目利政Click!か、下落合2095番地の島津源吉Click!か、それとも発起人のひとり下落合2015番地の芝居と野球好きな金山平三Click!たち洋画家Click!の誰かなのか、和洋を問わず画家たちのつながりや下落合のネットワークは意外な拡がりを見せるため、興味が尽きないテーマなのだ。

◆写真上:岡不崩アトリエ跡の現状で、蘭塔坂の丘上から右手斜面にかかる一帯だった。
◆写真中上は、昭和初期に撮影された岡不崩アトリエ。は、同アトリエの庭園(楽只園)。は、楽只園に咲くカナムグラ(上)とヤマユリ(下)。
◆写真中下は、画室で仕事をする岡不崩。は、楽只園に並んだ鉢植えの植物。は、1929年(昭和4)4月18日に撮影された那智滝を訪れた岡不崩(左)。
◆写真下は、岡不崩()と大賀一郎()。は、1933年(昭和8)1月22日に撮影された東京植物同好会の記念写真。は、1947年(昭和22)撮影の空中写真にみる岡不崩アトリエ。屋敷林がかなり育ち庭園(楽只園)が見えにくくなっている。
おまけ
下落合のモミジは深紅にならず橙色のまま、そろそろ散りはじめています。暖かいせいかイチョウも青みを残したまま、まだ散る気配がありません。
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