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「カウヒイ」は堪えられない大田南畝(蜀山人)。 [気になるエトセトラ]

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 明けまして、おめでとうございます。相変わらずCOVID-19禍は終息せず、先行きの生活が見えない1年のスタートですが本年も旧年同様、どうぞよろしくお願いいたします。
  
 江戸期にコーヒーを飲み、初めてその風味までを記録したのは大田南畝(蜀山人)Click!だといわれている。彼が落合地域を散歩しながら、観月会Click!を開催した1776年(安永5)から28年後、1804年(文化元)8月9日(以下旧暦)のことだ。
 幕府勘定方の役人だった大田南畝は、田沼時代から松平定信による寛政の改革時代をへて、職務に専念するようになったといわれている。田沼時代以前は、幕府の官僚であるにもかかわらず狂歌師あるいは詩文学者として全国的に有名になり、町方の文人・風流人などとともに各地を遊び歩いていたが、1787年(天明7)に寛政の改革がスタートすると状況は一変する。彼のパトロンだった土山宗次郎が、横領の罪を着せられて斬首されたのも身にこたえたのだろう。
 また、版元だった蔦屋重三郎や山東京伝が処罰され、「世の中に 蚊ほどうるさき ものはなし ぶんぶといひて 夜もねられず」を詠んだとされていた大田南畝は、おそらく気が気ではなかったにちがいない。だが、翌年になると半ば開きなおったのか、1788年(天明8)には喜多川歌麿と組んだ狂歌集『画本虫撰』を蔦屋から刊行している。以降、松平定信が老中首座にいる間は狂歌づくりを控え、勘定方の仕事に精勤するようになった。
 大田南畝がコーヒーを味わうのは、勘定方の支配勘定(いまでいうと財務省の課長クラスぐらいだろうか)になり、大坂銅座へ出向したあとのことだ。南畝は、仕事で1年間ほど長崎に出張しているが、1804年(文化元)8月9日(現在の暦だと9月中旬)にはオランダの貿易船に乗せてもらい、船上でお茶をごちそうになっている。それが、見たこともない真っ黒い茶=「カウヒイ」だったのだ。
 同年に書かれ、翌1805年(文化2)9月に出版された大田南畝『瓊浦又綴(けいほゆうてつ)』には、そのときの感想が記されている。1908年(明治41)に吉川弘文館から出版された、大田南畝『蜀山人全集巻三』から引用してみよう。
  
 紅毛船にて「カウヒイ」といふものを勧む、豆を黒く炒りて粉にし、白糖を和したるものなり、焦げくさくして味ふるに堪ず、「ゼネイフル」といふ酒は、松の子を以て製したり、外に葡萄酒を〇〇〇〇〇といふ肉桂酒を〇〇〇〇〇〇〇〇といふ、又船頭の部屋に入りて見しに、床の間とをぼしきところに画あり、浮画なり、その上に鹿の頭の形を木にて造り、角は鹿の角を用ひたるをかけ置けり、当地諏訪の社に、鹿の角を額にしたるを見しが、かゝる夷俗を見ならひしにや。八月九日記
  
 大田南畝の口には、どうやらコーヒーはまったく合わなかったようだ。緑茶や抹茶を飲みなれた舌には、紅茶のほうがまだマシだったのかもしれない。おそらくコーヒーは彼の舌に、ことさら苦い漢方薬でも飲まされているような味覚しか残らなかったのではないだろうか。酒の「ゼネイフル(jenever)」は蒸留酒のジンのことだが、空白になっているオランダ語の酒名は、南畝がよく聞きとれなかった部分なのだろう。
 文中にもあるように、大田南畝は江戸と同様に長崎でも頻繁に市中散策を繰り返していた。長崎にある寺社はもちろん、名所旧跡はほとんど観光し、当地にある文物や物語・伝承にいたるまでを詳細に取材している。そんな中に、面白いエピソードが書きとめられている。『瓊浦又綴』に先だつ、1805年(文化2)5月に出版された『瓊浦雑綴(けいほざってつ)』に収められた逸話だ。
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 長崎市中の立山に出かけ、麓の下野稲荷社を訪れたとき、社の扁額に「正一位下野稲荷大明神東都南畝大田覃書」とあるのを発見している。だが、書いた本人はまったく憶えておらず、「いつのとしにか書たりけん今は忘れにけり」と記している。つまり、狂歌師あるいは詩文学者として広く有名だった大田南畝は、江戸の屋敷で数多くの書を依頼されたが、まさか揮毫の1作が長崎で稲荷社の扁額になっているとは思わなかったのだろう、ビックリした様子が記録されている。
 この伝でいくと、下落合の御留山Click!にある藤稲荷社Click!の神狐像台座に刻まれた彼の揮毫も、角筈熊野十二社Click!の手水に彫られたそれも、とうに忘れられていた可能性がありそうだ。たまたま本人が両社を訪れるかした際、「ここに、なにか彫られておるな。どらどら……あっ、オイラか!」と大ボケしていたのかもしれない。w また、長崎では大田南畝筆とされる詩歌短冊や書物が市中に出まわっていたが、弟にあてた書簡では「偽物多く候 此度鑑定致候」と、長崎人が持ち寄る作品がホンモノかどうか、みずから鑑定会まで開いていた様子がうかがわれておもしろい。
 さて、日本に初めてコーヒーがもたらされたのは17世紀の元禄時代といわれるので、それを淹れて飲んだのは大田南畝が初めてではないだろう。彼は「カウヒイ」を飲んでその風味の記録を残しているが、それ以前にも、長崎の出島に出入りしていた日本人たちは、オランダ人からコーヒーをふるまわれていたにちがいない。なぜなら、当時はオランダの欧文呼称ではなく、コーヒーにはすでに「なんばんちゃ」あるいは「唐茶」という和名がついていたからだ。その味わいの記録が残されていないのは残念だが、大田南畝とたいしてちがわない感想だったのかもしれない。
 初めてコーヒーという語音を記録したのは、1782年(天明2)にオランダの本を翻訳した蘭学者・志筑忠雄の『萬国管窺』といわれている。カタカナで、「阿蘭陀の常に服するコツヒイといふものは形豆の如くなれども実は木の実なり」と書かれているが、文献知識のみで現物は一度も見たことがなかったのではないか。また、オランダの百科事典を蘭学者たちが幕府の指示で訳した『紅毛本草』下巻に所収の、「阿蘭陀海上薬品記」にもコーヒーに関する詳細な記述が見られるが、これも文献知識の域を出ていないのだろう。コーヒーの木の栽培や種子にあたる豆について、あるいは飲み方などの詳しい記述があるが、「薬品記」とあるようにコーヒーを嗜好飲料ではなく薬物だととらえて記述している。
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 大田南畝の「カウヒイ」以前に、確実にコーヒーを味わっているとみられるのは、1790年(寛政2)と1795年(同4)の二度にわたり、都合3年間も長崎に滞在していた広川獬(かい)だと思われる。彼は京の医師だが、1803年(寛政12)にその経験をまとめた『長崎聞見録』を出版している。同書の第5巻に、コーヒー豆やコーヒーポットなどのイラストとともに「かうひい」が紹介されている。
 広川は、おそらく飲んでいるにちがいないが、医師らしく「かうひい」を薬品としてとらえ、効能として「其効稗を運化し。留飲を消し気を降す。よく小便を通じ。胸痺を快くす。是れを以て。平胃散。茯苓飲等に加入して其効あるものなり」と記載している。これは、自身が実際に試飲して効用を身体で確認しているとみられるが、かんじんの風味については記録していない。わたしも、日ごろからコーヒーを常飲しているが、確かに利尿作用があって気分がスッキリし、消化器系の働きを助け調子を整えてくれるようだ。
 コーヒーの和語については、先にあげた「なんばんちゃ」や「唐茶」のほかに、「紅闘比伊」や「波无」、「保宇」、「比由无ナ那阿」などの漢字が、オランダの百科事典を訳した『紅毛本草』では当てはめられている。だが、コーヒーを漢字で「珈琲」と表現するようになったのは、どうやら同書の下巻に収録されている津山藩(現・岡山県)出身の蘭学者、宇田川榕庵による表記が一般化したもののようだ。
 大田南畝(蜀山人)は、「カウヒイ」は口に合わず二度と飲まなかったのかもしれないが、長崎の街はことのほか気に入り、出張中のわずか1年間で5作(計9冊)もの本を著している。1804年(文化元)10月の風邪をひいて病臥中に書いた『百舌の草茎』(全2巻)をはじめ、ほぼ同時期出版の仕事について記した『長崎表御用会計私記』、同年12月の『長崎表御用会計私記』、1805年(文化2)5月の『瓊浦雑綴』(全3巻)、同年9月の「カウヒイ」が登場する『瓊浦又綴』(全2巻)と、ひきもきらずに次々と長崎がテーマの本を執筆していった。
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  四のうみ みなはらからの まじはりも 深紅の浦の 名残つきせじ
 1805年(文化2)10月10日の午前6時ごろ、長崎立山にある官舎(通称「しゃちほこ家舗」)を出て友人たちに見送られ、故郷の江戸をめざして帰路についた際に詠まれた歌だ。

◆写真上:近年はほとんど顔を出さなくなってしまった、某所のJAZZ喫茶にて。
◆写真中上は、大田南畝が出張前の1792年(寛政5)に描かれた円山応挙『長崎港之図』。は、ペーパードリップ式で淹れるコーヒーと炒ったコーヒー豆。
◆写真中下は、1908年(明治41)に吉川弘文館から出版された大田南畝『蜀山人全集巻三』()と、1795年(寛政4)に出版された広川獬『長崎聞見録』()。は、「カウヒイ」を飲んだ感想が記載された『蜀山人全集巻三』のページ。は、イラスト入りで「かうひい」の詳細を紹介した『長崎聞見録』第5巻の当該ページ。
◆写真下は、死後に描かれた大田南畝(蜀山人)の肖像画。は、長崎古版画に描かれた『阿蘭陀船』。は、5月の声を聞くと飲みたくなるアイスコーヒー。

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