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「公楽キネマ」に出稿する上落合の商店。(上) [気になる下落合]

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 上落合521番地にあった映画館「公楽キネマ」Click!では、上映作品がかけかわる1週間ごとに、作品の概説を掲載した小型2つ折りのパンフレットを制作していた。そして、次回の翌週に上映予定の作品予告も入れ、何号かに一度は上落合に開店していた当時の商店向けに、まとまった広告スペースを提供している。
 きょうは、同映画館のパンフレット「公楽キネマ」に出稿していた、上落合とその周辺の商店についてご紹介したい。ひょっとすると、山手大空襲Click!で焼けてしまう戦時中まで営業をつづけていた商店があれば、記憶されている方、あるいは実際に店を利用された方がおられるかもしれない。上落合の商店街は、空襲でほぼすべてが壊滅しているので、戦前に開店していた商店を具体的に知ることができる情報は貴重でめずらしい。
 たとえば、1933年(昭和8)8月17日に発行された「公楽キネマ」の表4には、周辺の商店6軒が広告を出稿している。店主によっては、キャッチコピーもいろいろ工夫しているようで面白い。まずは、上落合の八幡通りにあった「岐阜屋食堂」から。
 ここでいう八幡通りClick!とは、現在は小滝橋へと向かう関東バスClick!が走る、1962年(昭和37)まで移転前の月見岡八幡社Click!の正面鳥居と階段(きざはし)が面していた道路のことではない。現在は消滅してしまった、古くからの旧・八幡通りのことだ。いまの八幡通りは、広大な落合下水処理場Click!(現・落合水再生センターClick!)が建設される際、西へ40~60mほどズラして再敷設されたもので、1933年(昭和8)当時の八幡通りは現・八幡通りからかなり東寄りに通っていた南北の道筋だ。
 岐阜屋食堂のキャッチコピーは、「美人のサービスはありませんが親爺の熱心な板前振りを味つて下さい」とあり、映画を観たあとの「御帰へりに是非御お立寄り御試食を」と「御」だらけのコピーだ。「御(おん)お立ち寄り」などという言葉づかいは初めて見るが、この店で発行されるのは「御食事券」となり、「汚職事件」とからめてなにかオバカ記事が書けそうだ。そして、メニューには「超西洋料理/超支那料理」とあるが、90年代の大学生じゃあるまいし、「チョー」がつく料理には残念ながら食欲がわかない。
 次に、「どこよりも一番勉強する店 硝子入替五銭」というキャッチは「金昭堂時計店」だ。この時計屋さんも八幡通り沿いに開店していた店だが、現在では広告コードにひっかかってこのキャッチはアウトだろう。「一番勉強する」は「一番安い」といいたいのだろうが、どうして「一番」だと表現できるのか、その根拠や出典の表示が求められてしまう。昭和初期、時計用の強化ガラスやサファイアガラスなど存在せず、腕時計や懐中時計のダイヤルを覆うガラスは脆弱で、どこかにぶつけたりすればすぐにヒビが入るか割れてしまったのだろう。当時の5銭は、キャラメル1箱と同ぐらいの価格で、また山手線の初乗り料金と同額なので、確かにかなりリーズナブルかもしれない。
 つづいて、公楽キネマの坂上にあった「岡田調髪所」という床屋さんだ。「皆様の御調髪は当店へ」と、おとなしめなキャッチが載っている。調髪が30銭に対して顔剃りが20銭と、髭をあたるだけのほうが当時はかなり高かった。所在地が「公楽キネマ坂上」とあるが、現在はかなり勾配が工事で削られてゆるやかになっているものの、公楽キネマは小滝橋からつづくダラダラ坂Click!の途中に位置しており、「坂上」ということは映画館の西側につづくダラダラ坂を上りきったあたりという意味だ。
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 次に、「いつもおいしい焼立てのパンを売る店」とストレートで、しごく真面目なキャッチを乗せているのは「木村屋パン店」だ。当時は、銀座の木村屋でアンパンが大ヒットしたのにあやかり、東京じゅうに「パンの木村屋」がオープンしていた時代だ。現代なら、商標権の侵害ですぐにも裁判沙汰だろうが、当時はおおらかな時代だったのだろう。
 このパン屋さんも公楽キネマの並びで営業しており、所在地が上落合2丁目576番地とある。映画館から、早稲田通りを西へ400mほど歩いたところ、ちょうど大塚浅間古墳(落合富士)Click!の手前にあたるところ、現在は山手通りの交差点にさしかかる手前右手の敷地で開店していたパン店だ。
 つづいて「薬の御用は保命堂薬局へ」と、こちらもストレートなキャッチの薬屋さんだ。薬剤師の名前が山中一樹と記載されているが、残念ながら『落合町誌』Click!(落合町誌刊行会/1932年)には掲載されていない。所在地が「公楽キネマ」前とあるので、早稲田通りをはさんだ向かい側にオープンしていた薬局だろう。
 早稲田通りをはさんだ向かい側は、東中野のエリアだと思われがちだが、映画館の南東向かいから東へ130mほどが、通りの南側へ張りだした上落合の町域だった。ちょうど、目白通りの北側に下落合の町域がエンエンと900mにわたってつづくように、村境を意識せず道路を敷設したせいで起きる“飛び地”現象なのだろう。したがって、保命堂薬局が上落合なのか東中野側なのかはわからない。
 次は、特にキャッチフレーズを掲げない「武蔵屋・加藤錦蔵商店」という、「清酒卸小売商」=酒問屋兼酒屋だ。加藤錦蔵は『落合町誌』に掲載されており、住所が上落合525番地となっているので、広告の上落合1丁目524番地は早稲田通りに面した店舗のみの所在地で、自宅は引っこんだ奥にあったのかもしれない。
 上落合524番地の住所には、大久保射撃場の廃止移転を衆議院に請願Click!した、当時は落合町会役員で月見岡八幡社の氏子総代だった署名筆頭の加藤公太郎Click!が住んでいた。公楽キネマのすぐ西隣りに位置する区画で、武蔵屋・加藤錦蔵商店は通り沿いで開業していたのだろう。同じ加藤姓で敷地も隣接しているので、公太郎と錦蔵は姻戚関係だろうか。
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 つづいて、1933年(昭和8)8月31日の「公楽キネマ」には、八幡通りで「岐阜屋食堂」の競合店である「ちとせ食堂」が出稿している。「定評あるちとせへおいで下さい/佳味美味をお味あひ下さい」というキャッチなので、八幡通りでも営業が古く「岐阜屋食堂」とは知名度と「定評」で差別化したかったものだろうか。これだけで、どのような料理を出すのかまったく不明だが、地元の住民たちには自明のことだったのだろう。
 次に、公楽キネマの東隣りの上落合519番地で営業していた「カチドキ堂看板店」だ。当時、日本家屋の外壁には腐食防止のクレオソートClick!が塗られたが、洋風の外観で好きな色のペンキを塗る住宅も少なくなかった。.特に西洋館が多かった落合地域では、かなり需要が高かったのだろう。また、住宅が増えるにつれ商店の進出も急速に進んだので、看板書きのニーズも急増し商売は流行っていたのではないだろうか。「他店より勉強致します 御用はカチドキへ」は、それだけ競合店の多かったことがうかがわれる。
 つづいて、「当店自慢品は新鮮値は安し」の魚屋さん兼仕出し屋の「魚福」だ。所在地は「中野小瀧ときわ湯隣り」とあるが、ときわ湯は中野区小瀧町46番地にあった銭湯のことだろう。公楽キネマから早稲田通りをはさみ、南西へ60mほどのところに位置し、銭湯ときわ湯の後継がいまの「松本湯」(中野5丁目)ではないだろうか。
 魚屋の自慢が「新鮮」なのは当然だが、当時は魚を“おつくり”にして出前する仕出し料理の注文も多かったのだろう。そういえば、わたしが子どものころ近くの魚屋に刺身を頼むと、青い皿に盛ってそのまま持ち帰れるようにしてくれた。皿は翌日、母親が魚屋へ返しにいくのだが、そこで獲れたての活きのいい相模湾の魚Click!を見つけたりすると、再び刺身の皿をもって帰ってくることがあった。同店で作っていたであろう弁当も、焼き魚や刺身の入った海鮮弁当だったのだろう。
 「お魚の御用は魚福へ 鮮魚出前は迅速 致します」と、当時は御用聞きClick!が各家庭をまわって注文をとり、夕食前に注文主の家庭まで配達するのがあたりまえの時代だった。そんな馴染みになった、目白通り沿いの魚屋の御用聞きが配達したサバClick!2尾を、佐伯祐三Click!もアトリエで描いている。
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 当時の上落合周辺は、住宅街の西への拡大や貸し家やアパートの増加により人の流入が多く、商店も続々と進出してきて鎬(しのぎ)を削ってClick!いたのだろう。おそらく毎日のように、周旋屋(引っ越し屋)のトラックや荷車が、道路を往来していたにちがいない。そんな活気のある街の様子を、パンフレット「公楽キネマ」に出稿した商店広告は教えてくれる。
                                <つづく>

◆写真上:公楽キネマがあった、上落合1丁目521番地界隈の現状。
◆写真中上は、1929年(昭和4)の「落合町全図」にみる公楽キネマ。は、1962年(昭和37)まで月見岡八幡社があった現在の八幡公園。は、小滝橋の現状。
◆写真中下は、昭和初期に上落合の火の見櫓から撮影された公楽キネマ(奥の白い大きな建物)で、背後の森は当時は広かった月見岡八幡社の境内。は、1933年(昭和8)の「公楽キネマ」8月17日号に掲載された周辺の商店広告。
◆写真下は、昔日の旧・八幡通りの入口で現在は突きあたりは行き止まりになっている。は、落合水再生センター沿いを通る現在の八幡通り。は、1933年(昭和8)の「公楽キネマ」8月31日号に掲載された映画館周辺の商店広告。

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