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「心霊相談」と「事故物件」に寺はどう向きあうか。 [気になるエトセトラ]

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 初めて「月刊住職」Click!(興山舎)という“寺院住職実務情報誌”を読んだのだけれど、これがけっこう読みでがあって面白い。加門七海Click!の『門前でうろうろする』というエッセイが気になって手にしたのだが、ほかの記事も面白くてついつい読んでしまう。日本の仏教寺院が置かれている状況が、手にとるようにわかるからだ。
 加門七海も同誌に書いているように、最近は一般人に対して閉鎖的かつ排他的な寺院が少なくない。檀家あるいは門徒でなければ、うっかり境内へ立ち入ったりすると怒られ、ヘタをすると警察へ通報されかねない寺が増えている。こういうところが、神社やキリスト教会と大きく異なる点だが、寺の境内を散策するにも事前予約が必要な時代になったのかと、唖然としてしまうことが少なくない。
 わたしも、宮崎モデル紹介所Click!の跡地を取材した際、近くに領玄寺(日蓮宗)があるので「ここは縄文時代Click!の領玄寺貝塚が発見されたところだったな」と、ちょっと境内を散歩しに入ったらさっそく坊主に叱られた。確かに、わたしは檀家でも仏教徒でもない人間だが、ここまで排他的で狭量になると一種異様な感じを受ける。
 同誌にも、「境内を荒らされるから」という理由で一般人を立入禁止にしている寺院のケースが紹介されているけれど、多くの場合はどこをどう荒らされたのかを具体的に明示せず、単に境内へ“赤の他人”が入るのを拒む、もっともらしい「理由」づけのひとつとして挙げられているにすぎないのではないか。なんだか神経症的な昨今の寺院の対応を見ていると、とても宗教者とは思えず心根(経営?)にゆとりや余裕のない、心が荒んだ坊主が増えているのかな……と想像してしまうのだ。
 加門七海も、そんな閉鎖的で排他的な寺院の境内には入りづらいらしく、『門前をうろうろする』ことになってしまうようなのだが、同エッセイから引用してみよう。
  
 正直、町を歩いていても、あまりお寺は目に入らない。存在しないわけではない。そこに入るという選択肢がほとんどないから目につかないのだ。観光寺院や歴史ある古刹には人がいるけれど、日常には入ってこない。/中を窺うことのできない、ビルになっている寺院も多くある。たとえ扉がガラスであっても、閉ざされていると参拝していいのかどうか迷ってしまう。/私は寺院が好きなので、そんな場所でも宗派や寺名を確認したりするのだが、それだけで胡散臭い目で見られるときも少なくない。都会のお寺は、神社よりずっと閉鎖的なのだ。
  
 わたしは、人と向かいあい心を救うのが宗教の本義だと考えているので、門戸を閉じて排他的になるところが、逆にいかがわしくて胡散臭く見えてしまう。「宗教法人の優遇税制のもと、なにを隠れてコソコソやってんだ?」という感覚だ。
 加門七海は、「お寺そして仏教と縁を持ちたい人は、多分、沢山いる」と書いているが、わたしは正反対にかかわりを持ちたくない人々が、これから年を追うごとに急増していくと見ている。そのせいか、寺院側でもよけいにスネて被害妄想的な心理が働き、より閉鎖的かつ排他的になっていく、負のサイクルに陥っている気配を強く感じるのだ。
 なにも、奈良・広隆寺Click!の手前にあった新しい某寺のように、拝観料めあてなのか境内へ呼びこみなどしなくてもいいと思うが、緑が多い寺の境内の散策ぐらいは自由にさせてくれる、心のゆとりや鷹揚さぐらいはあってもよさそうに思う。
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 さて、寺の中には少しでも身近な存在になりたい、あるいは人々の心の拠りどころになりたいと、がんばっているところもある。「心霊現象」に遭遇してしまった人を救う、コンサルテーション的な役割りを引きうけている寺院だ。
 「この呪われたアンティークドールは、夜になると走りまわって、わたしの首を絞めるんです」とか、「わたし、このところ霊にとり憑かれてるみたいなの」とか、「中古で買ったクルマが事故車で、わたし霊のタタリに遭ってるのよ」とか、「心霊スポットで心霊写真を撮ってしまったんだけど、どうしましょ」といったたぐいの相談だ。
 たとえば、浄土真宗や曹洞宗などでは死後の世界や幽霊などは、「ありえない」「気のせい」「世迷いごと」であり、「そんな困りごとを、うちに相談されてもねえ」「こんな気味の悪いもん、持ってこられてもさぁ」「近くの心療科を紹介しましょうか?」「お焚上げって、寺が火事んなったらどうすんの」……というような反応をするはずだが、その「心霊現象」をていねいに聞いてあげ、経を唱えて相談者の怖気づいた心を落ち着かせ、率先して慰めてあげる仕事を引きうけている寺もある。
 「月刊住職」(2022年2月号)に収録された、東北大学大学院文学研究科の高橋原『幽霊を見たという相談に僧侶にしかできない傾聴と儀礼の力』から引用してみよう。
  
 傾聴ということの本質においては、それが病院のベッドサイドで行われるものであれ、自坊での「心霊相談」の際に行われるものであれ、大きな違いはない。現象として現れていることの背後に、どのような人生の苦悩が織り込まれているのか、どんな不安が隠されているのかを聴き取り、その人を支える姿勢を示すことが求められているのである。臨床宗教師というあり方から、逆に宗教者としての本来あるべき姿が照射されてくることもあるはずである。/心霊現象というと突飛な話題であると考えられがちであり、私が『死者の力』で示した調査結果においても、とりわけ浄土真宗の僧侶はそのような現象に概して否定的であり、宮城県の最大宗派である曹洞宗でも、そんなことに囚われてはいけないという見解を持つ僧侶が多かった。/しかし、本来の仏教の教えから外れるテーマであればなおさら、なぜそんなことが気になってしまうのか、真摯に相手に向き合ってみることが必要なのではないだろうか。
  
 著者の東北地方では、先の東日本大震災Click!で膨大な死者がでているため、地元の寺々でも「心霊現象」に関する相談が急増したのかもしれない。
 文中の『死者の力』とは、著者が「心霊相談」について寺々へ向け実施したアンケート調査だが、幽霊の存在を否定する浄土真宗の僧が、「悩む人の心が良い方向へと改善されるのであれば」価値があるかもしれないと答え、曹洞宗の僧は霊の存在はさておき「宗教者は生者も死者もケアする力がある」と回答している。大震災を経験したせいだろうか、本来の宗教者としてのスタンスが明確化しているケースだろう。空襲が予想されるようになり、自身の生命が危うくなると檀家(信者)の前から逃亡していったどこかの坊主たちClick!に比べ、少なくとも宗教者らしい真摯な姿勢を汲みとることができる。
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 「心霊相談」が増えるにつれ、それを寺院への今日的で新しいニーズととらえ、従来にはない付加価値サービス、新規業務の開拓として位置づける寺院も登場している。不動産業における、いわゆる「事故物件」をめぐる“浄化”ニーズだ。
 先月も、2021年の年間死者数が戦後最高の145万人を突破したニュースが伝えられていたが、「日本の将来推計人口」(国立社会保障・人口問題研究所)のシミュレーションによれば、2024年にはついに大台の150万人を突破し、2039~2040年の2年間に死者167万9,000人/年のピークを迎え、再び150万人台まで死者が減るのは2072年になってからだという試算数値を発表している。つまり、この先50年間にわたり、かつて経験したことのない死者数がカウントされつづけることになるわけだ。
 そして、家族のいない高齢者のひとり住まいも増えつづけ、孤独死による「事故物件」も数年で急増することになる。厚生労働省が行なった国民生活基礎調査の統計によれば、2019年の時点で65歳以上の高齢者がいる家庭は全国で約2,600万世帯で、全世帯数の49.4%、つまり約半数が高齢者のいる家庭ということになる。そのうち、独居老人の世帯数は、すでに約740万世帯もあり全体の28.8%にものぼる。
 この膨大な数値を、次世代の経営基盤となる有望な“マーケット”としてとらえている寺院や企業が少なくないようだ。また事実、不動産業者やアパート・マンションのオーナーからの相談も年々増加しているという。不動産業者の中には、それぞれ孤独死・自殺・心中・焼死・殺人など「事故物件」にランクづけし、それに見あった供養や“浄化”(もちろんお布施の額も「事故」の種類で異なる)を求めてくるケースもあるようだ。
 そのような特殊サービスの一端を、同誌収録の『自殺や孤独死で起きる事故物件に僧侶が関わり始めた訳』より、大阪のケーススタディから引用してみよう。
  
 浄霊供養の依頼の受け口を、基本的にメールに限定し、お布施の目安として孤独死は二万円から、自死は三万円から、火事や殺人などの事件は四万円からとしている。その理由をこう話す。「私自身、霊が見えたことはないのですが、ご依頼をなさる方には、霊障の仕業だと言って来られる人や、精神的に不安定な方もおられます。そのため、メールでは、お名前、生年月日、生誕地と現住所、電話番号、発生している現象などをみんな書いてもらって、それから受けるようにしています。(中略)」/現場に赴く際は、仏具や掛け軸、鳴り物、僧衣などもスーツケースに入れて持っていくそうだ。/「ホテルなど営業している施設や近所の目に触れたくないとお思いの方もおられますので、そうした場合には私服で現地まで行って、そこで着替えて供養を行います。それと、お清めの塩も多いときには百個くらい授与して、作法もきちんと教えてあげます」
  
 また、人材派遣業にも供養・浄化サービスを行なう専門チームがあるそうで、7つの区分で営業しているという。その7つとは、①心理的瑕疵施設などが見える物件、②共用部分や他の部屋などで事故があった物件、③発見までに72時間未満の孤独死および病死物件、④発見まで72時間以上の孤独死物件、⑤火事や事故で人が亡くなった物件、⑥自殺物件、⑦殺人物件……という、具体的なケースごとの分類だ。
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 もちろん、区分によってサービス料金も体系づけられ、⑦がもっとも高額な布施となる。これからの数十年、お盆でもないのに背中へ仏具を入れたバッグを背負い、バイクや自転車で街中を走りまわる、デリバリー専門のUber Bouzuの姿が増えるのかもしれない。

◆写真上:鬼瓦や肘木の意匠を見ただけで、どこの寺かがわかる方は寺院ヲタクだ。
◆写真中上は、鄙びて落ち着いた風情の茅葺き山門。は、興山舎発行の「月刊住職」()と、挿入された寺院向けアンケート()。は、樹間に見え隠れする五重塔。どぎついベンガラがすっかり落ち、杢目そのままの色合いが自然で美しい。
◆写真中下は、今年(2022年)に刊行された「月刊住職」2月号の目次。は、ふだんはあまり見かけない同誌へ出稿しているめずらしい寺院向け広告類。
◆写真下は、クルマへ向けた交通安全か除霊供養の祈祷。は、加門七海()と同紙に掲載のエッセイ『門前でうろうろする』()。は、風鐸の音を聴いてみたい三重塔。

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