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甲斐仁代アトリエから吉屋信子邸への散歩道。 [気になる下落合]

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 吉屋敬様は、鎌倉Click!長谷Click!に住む叔母に「将来なにになりたいの?」と訊かれ、「作家になりたい」と答えたら非常に厳しい表情と言葉を向けられたそうだ。もちろん、その叔母とは下落合2108番地で暮らした吉屋信子Click!だ。
 吉屋敬様は、その後オランダで画家になり、美術家および作家としてオランダと日本の双方で活躍されている。吉屋信子は、表現者になることがいばらの道であることを身をもって体験Click!しているので、姪にその厳しさを伝えようとしたものか、あるいは「やめなさい」といいたかったのかもしれない。
 今回は、オランダから帰国された吉屋敬様と、吉屋信子Click!が絵画作品の大ファンだった甲斐仁代Click!の甥にあたる甲斐文男様とともに、目白文化村Click!のすぐ北側にあった下落合1385番地の甲斐仁代・中出三也アトリエClick!から、上記の吉屋信子邸Click!までの散歩道Click!をたどる街歩きをすることになった。甲斐文男様は、茨城県の常陸大宮で「ギャラリー甲斐仁代」Click!を経営されていて、美術史にも通じている方だ。
 いっしょに散歩されるのは、建築家の今井秀明様Click!とグラフィックデザイナーの榊原惠次様、それに案内役のわたしの3名だ。いちおう、想定した散歩のシナリオを書かせていただくと、甲斐仁代アトリエへ目白文化村の散歩がてらに立ち寄った吉屋信子が、かたわらで仕事をする中出三也Click!をチラッチラッと気にしつつ、甲斐仁代の最新作の中からいちばん気に入った「花」がモチーフの作品を購入し、愛犬とともに自邸まで帰ってくる……というストーリー展開だ。時期は1927年(昭和2)3月、とある春のそよ風が吹く穏やかな日の午後、いまから96年前に起きた下落合(現・中落合/中井含む)の情景だ。
 落合第二府営住宅Click!から目白通りを左折し、竹田助雄Click!邸の近くにある「やよい公園」脇の、いまでも当時の道筋がよく残る下落合1385番地の甲斐仁代・中出三也アトリエ前からスタート。ふたりが住むアトリエ写真は、いまだ探しだせないでいるが、甲斐仁代と中出三也が上高田422番地へ転居したあと、入れ替わるように下落合の同地番へ入居しているのが新婚の松下春雄・淑子夫妻Click!だ。松下春雄は、甲斐仁代とほぼ同時期に岡田三郎助Click!の門下生だったので、以前から画家仲間として知りあっており、結婚を間近にひかえ新居を探す下落合1445番地の鎌田方Click!に下宿していた松下春雄へ、下落合からの転居を予定していた甲斐仁代が声をかけた可能性が高い。
 松下春雄は、下落合1385番地のアトリエで長女・彩子様Click!が生れたため、アトリエの周辺写真を数多く残している。その中に、同住所のアトリエをとらえた1928~1929年(昭和3~4)の写真が何枚かあり、それが1928年(昭和3)まで甲斐仁代と中出三也が暮らした建物だとみられる。また、このアトリエから西へつづく行き止まりの路地(私道)の右手には、宇野千代Click!が発行していた「スタイル」のAD(アートディレクター)だった松井直樹Click!が住んでいたので、宇野千代もまたこの道筋を歩いてファッション誌のパートナーのもとを訪ねていたかもしれない。
 甲斐仁代・中出三也アトリエをあとにした一行は、第一文化村の湧水源である谷戸へとさしかかる。吉屋信子が、愛犬のリードを外して遊ばせたかもしれない弁天池Click!の脇を通って、第一文化村の東西にかよう通りを文化村倶楽部Click!から箱根土地本社ビル(+不動園)Click!のほうへと歩く。倶楽部の脇を右折(南進)して、目白文化村の中でももっとも古い初期の住宅が建ち並んでいる(いた)一画Click!、突きあたりに神谷邸Click!のある二間道路を右折する。犬を連れて散歩する、吉屋信子の目撃情報が多かったあたりだ。
 東から西へ歩くと、女性が設計した右手の末高邸Click!、当初の門柱や縁石がそのまま残る当時は箱根土地の建築部にいた、F.L.ライトClick!の弟子の河野伝Click!が設計した中村邸Click!、岸田国士がよく通ってきていた関口邸Click!、建設当初はテニス好きな安食邸Click!で、のちに文化村秋艸堂Click!となる会津八一邸Click!、同じくライトの弟子の河野伝が設計したとみられる神谷邸などなど、当時の第一文化村の住宅写真をご覧いただきながら、吉屋信子が実際に目にしていた街の様子をイメージして歩いていただく。神谷邸の門は2014年(平成26)ごろまで、関口邸の門は2015年(平成27)ごろまでそのまま保存されていたが、建て替えで撤去されてしまった。
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 ここから南に歩けば第二文化村へと抜けるが、左手に外観が西洋館で中が和室の鈴木邸Click!と、右手に広々とした庭の大きな松下邸Click!を眺めつつ丘上を歩ける二間道路が、現在は十三間通り(新目白通り)Click!で断ち切られているので、山手通りClick!との交差点まで迂回し、三間道路から南側の第二文化村へと入る。振り子坂Click!安東邸Click!が、数日前に解体されてしまったことを残念がりつつ、宮本恒平アトリエClick!前から片岡鉄兵邸Click!前を通り、島峰徹邸Click!跡の「延寿東流庭園」でひと休み。石橋湛山邸Click!を見学したあと、佐伯祐三の『下落合風景』シリーズClick!の1作「テニス」Click!のコート前を通って、下落合中部から西部へのアビラ村(芸術村)Click!への道(坂上通り)に入る。
 一ノ坂へ入ったところにある川口軌外アトリエClick!と、現在は山手通りに面した崖上の邸Click!になってしまったが、吉屋信子からプレゼントされたグレーのスーツClick!を着て吉屋信子のもとへ颯爽と現れた矢田津世子Click!についてお話ししつつ、アビラ村の道の帰路を自邸に向けて歩く吉屋信子をイメージしていただく。蘭搭坂(二ノ坂)Click!上では、岡倉天心Click!のもとにいた狩野芳崖の「四天王」だった日本画家の岡不崩アトリエClick!本多天城アトリエClick!などに触れつつ、解体されてしまった金山平三アトリエClick!や大勢の画家たちのアトリエについてお話しし、三ノ坂上では島津源吉邸Click!刑部人アトリエClick!について、四ノ坂上では松本竣介アトリエClick!についてなどをご説明する。アビラ村の道を散歩した吉屋信子も、上記の画家たちの何人かは知っていただろう。
 さて、四ノ坂と五ノ坂の間にある、下落合2108番地の吉屋信子邸へと向かう二間道路を左折する。このあたりの目白崖線のピークは、アビラ村の道ではなくこの道を100mほど南へ進んだあたり、吉屋信子邸の手前30mほどのところにあり、新宿駅の西口一帯が一望のもとに見わたせる。現在は、東京都庁Click!をはじめ新宿の高層ビル街が拡がるが、手前に低層マンションが建っているため吉屋邸跡に近づくほど眺望がきかない。
 ……崖線のピークなので、新聞紙に包まれた甲斐仁代のキャンバスが強めの西風に少しあおられながら、吉屋信子は愛犬の名前(シロ?)を呼んでリードを少し引く。彼女は、午後の光でかすみがちな淀橋浄水場Click!を一瞥しながら、不在中に菊池寛Click!が胃薬を2粒ほど置いて帰った、「吉屋信子」の表札が嵌めこまれた門柱を入ると、リードを外して愛犬を庭に放った。彼女はポーチのイスに座ると、細紐をほどき待ちきれずに新聞紙を破いて10号Pサイズのキャンバスを取りだし、甲斐仁代の最新作をじっくり眺める。
 今度はどこの壁に飾ろうかと、しばらくあれこれ思案していたが、腰高の本棚上の壁面が空いているのを思いだし、さっそく家に入ると壁にキャンバスをあててみた。一昨年(1926年/大正15)に雑誌「婦人世界」の主催で開かれた「女流美術展覧会」で、甲斐仁代は『人形』を出品して金賞・金牌を受賞しているが、先ほど立ち寄ったアトリエには「花」のタブローが数多く置かれていた。キャンバスには、花瓶に活けられた花の静物が描かれており、このところ多い甲斐仁代の静物画「花」シリーズの1作だ。吉屋信子の『花物語』の展開を、どこかで強く意識している画面なのかもしれない。
 花物語の挿画は、これまで結婚して神戸に移住してしまった渡辺ふみ(亀高文子)Click!蕗谷虹児Click!らが担当していたが、いつか編集部に甲斐仁代による挿画を推薦してみようと思い立つ。この画面に似合う額を探しに、明日は目白通りの画材屋を何軒かのぞいてみようと思いながら、勤めから帰った門馬千代に「また甲斐さんのアトリエにいったの? また買ったの!」といわれそうなので、あれこれ言いわけを考えながら、まだ生乾きのような艶やかさが残るキャンバスを、本棚の上へ斜めに立てかけてみる。
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 さて、甲斐仁代の画面を眺めながら、満足げに3時の紅茶を飲む吉屋信子を家に残したまま、散歩の一行はつづきのコースを歩きつづける。吉屋邸の向かいには、五ノ坂へと抜けられる細い路地が通っている。少し前までは、土がむき出しの昔ながらの路地だったが、細さは変わらないものの近年になって舗装されている。五ノ坂へ出て少し下ると、吉屋信子の時代には右手に大きな和洋折衷の屋敷が建っていた。林芙美子が「お化け屋敷」Click!と称していた、家賃25円/月の下落合2133番地にあった林芙美子・手塚緑敏邸Click!だ。吉屋信子邸とは、直線距離でわずか80mほどしか離れていない。
 五ノ坂下に出たあと、そのまま1941年(昭和16)から移り住んだ、のちの林芙美子・手塚緑敏邸Click!へと向かう……はずだったが、みなさんが急に吉屋信子愛用の散歩カメラ「ベストポケット・コダック」で撮影した「牛」の現場Click!を見たいといわれたので、ホルスタインがつながれていた西武線沿いの道を250mほど西進する。この道も、吉屋信子がよく散歩をしたコースのひとつと思われ、1928年(昭和3)に上高田422番地へと転居した甲斐仁代と中出三也のアトリエClick!へ、相変わらず通いつづけていたのかもしれない。「牛」を撮影した現場から、上高田の新たな甲斐仁代・中出三也アトリエまでは、直線距離で500mほどしか離れていない。妙正寺川沿いを愛犬とともにゆっくり歩けば、おそらく10~15分ほどでアトリエを訪問できたはずだ。
 建築家の今井秀明様に「牛」になっていただき、吉屋敬様が吉屋信子役で記念撮影したあと、ゴール地点である林芙美子記念館Click!へと向かう。吉屋信子が、丘上へハイヤーを呼んで出かけていたのを真似て、林芙美子もハイヤーを呼ぶと丘上につけさせ(目の前の中ノ道=中井通りへ呼べばすぐ乗れるのに……)、心臓が弱いにもかかわらず四ノ坂の階段をいちいち上っていたことなどをお話ししがてら、書斎Click!居間Click!、アトリエなど各部屋を見学したあと記念館前で記念撮影。一行は中井駅から電車に乗り、わたしは次の下落合で下車して、みなさんは山手線の高田馬場駅へと向かわれた。
 吉屋敬様によれば、4月27日・28日の2日間にわたり、栃木市の「とちぎ蔵の街ギャラリー」や栃木市立文学館、足利の栗田美術館などをめぐり、没後50年の吉屋信子を記念したさまざまな楽しい展覧会や行事などの各種イベントが開かれるそうだ。吉屋信子は、多感な少女時代を栃木ですごしており、父親の吉屋雄一は同県の下都賀郡長をしていて「谷中村事件」(足尾鉱毒事件)の矢面に立たされた人物だ。吉屋信子の『私の見た人』(朝日新聞)の連載第1回にもあるように、彼女は田中正造Click!にも出会っている。毎日旅行社が東京からバスで一気に会場へと出かけられるツアーを企画中Click!のようなので、吉屋信子に興味のある方はぜひ参加を申し込まれてはいかがだろうか。
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 「谷中村事件」のとき、鉱毒被害者となった村人たちと古河鉱業の板ばさみにあって苦しんだ吉屋雄一だが、古河の足尾銅山所長とともに吉屋郡長へ圧力をかけたのが、下落合435番地に住んだ荒玉水道組合Click!委員の舟橋了助Click!(舟橋聖一Click!の父親)だった。その娘と息子が、同じ下落合の町内に住むことになったのも、どこか因縁めいていて不思議だ。

◆写真上:スタート地点となった下落合1985番地の甲斐仁代・中出三也アトリエ跡に立つ、甲斐仁代の甥の甲斐文男様(左)と吉屋信子の姪の吉屋敬様(右)。
◆写真中上は、下落合西部の雑木林とみられる斜面で制作する甲斐仁代。中上は、1929年(昭和4)2月28日に松下春雄が撮影したアトリエ内の淑子夫人と彩子様。中下は、同年5月31日に松下春雄が撮影したアトリエ前の淑子夫人と彩子様。奥に見える行き止まりの路地が、冒頭写真のふさがれた路地と同一のもの。は、今回の「吉屋信子の散歩道」チームで左から右へ榊原惠次様、今井秀明様、甲斐文男様、吉屋敬様。
◆写真中下は、1936年(昭和11)の空中写真にみる目白文化村の散歩道コース。中上は、同じくアビラ村(芸術村)の散歩道コース。中下は、門柱越しに見る下落合2108番地の吉屋信子・門馬千代邸。は、吉屋邸跡の前での記念写真。
◆写真下は、吉屋信子の本棚の上に架けられた静物画。時期的に見て、甲斐仁代の初期作品である可能性がきわめて高い。中上は、1928年(昭和3)7月ごろに吉屋信子が撮影した七ノ坂下あたりのホルスタイン。中下は、牛になろうとする今井秀明様と止める(?)吉屋敬様。は、ゴール地点の四ノ坂下の林芙美子記念館前で。(お疲れさまでした)
おまけ1
 1929年(昭和4)に撮影された下落合の吉屋信子邸にて、左から右へ当時は五ノ坂下の下落合2133番地に住んでいた林芙美子、雑誌「スタイル」のADだった松井直樹が下落合1384番地に住んでいたため、ときどき下落合を訪れた宇野千代、吉屋信子、下落合のすぐ南の上戸塚593番地(現・高田馬場3丁目)に住んでいた窪川稲子(佐多稲子)Click!
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おまけ2
 吉屋信子邸内で、同時期(おそらく同日)に撮影された同じメンバーによる記念写真。
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