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下落合に多く見られたフィニアルあれこれ。 [気になる下落合]

鎗先フィニアル福の湯トップ.jpg
 かなり以前になるが、目白通りを歩いていたら、煙突がなくなった銭湯「福の湯」Click!の屋根上に、ひときわ大きく立派なフィニアルを発見して、しばらく見とれてしまった。そういえば、わたしの学生時代に下落合(現・中落合/中井含む)を歩くと、さまざまなデザインのフィニアルをあちこちで見かけた。そのような家が建て替えられると、再びフィニアルが載せられることなく現代住宅の屋根仕様になっていった。だから、リニューアルされた建物に新たなフィニアルを見かけて、ことさらめずらしく感じたのだ。
 フィニアルとは、屋根の切妻や尖塔部分に乗せられる装飾のことで、日本語では頂華とか飾り立物、小尖塔、屋根飾りなどと訳されている。下落合には、この鎗先のような尖がりフィニアルが、いちばん多かったように思う。いまでも各所で見かけるが、鎗先のような意匠をはじめ、多種多様なデザインのものがある。戦災から焼け残った邸もあれば、改めて戦後に再建された邸にもフィニアルを載せた屋根が見られた。
 戦前のフィニアルについて、建築業界ではどのように定義されていたのだろうか。1938年(昭和13)に昭文社出版部から刊行された『古今工芸図彙』から引用してみよう。
  
 フィニアル Finial
 ゴシツク式建築の破風、尖塔、天蓋等の末端に使用された花や葉の形状を表はした一種の装飾で、第十二世紀のゴシツク建築に初めて使用されて以来、漸次各世紀に夫々形状の変遷を示しつゝ十六世紀に及んだが、ゴシツク建築の衰頽と共に其使用は全く廃せらるゝに至つた。十三世紀頃のものは四角形で、四枚の葉が四方に出で、上部尖端に蕾を附けて居る。十三世紀の中葉に至つて葉は二段となり、後期に於けるものは多角形に一層精巧なる装飾が施され、十五世紀には葉形が取除かれ、十六世紀には屋根の傾斜面のクロツケツトで代用され、フィニアルの特性は茲に全く消失した。
  
 本来の意味あいとしては、天に伸びる尖塔部の強調やなんらかの宗教的な装飾、ないしは一族の象徴としての屋上立物だったようだが、それらの意味がすべて失われ、近代に入ると単純に屋根上の装飾品と化していったようだ。
 通常、フィニアルが屋根に乗せられるのは西洋館であり、まれには和洋折衷館にも飾られていた例があるのかもしれない。日本の現代住宅の外観は、そのほとんどが戦前の洋館と変わらないため、フィニアルを載せてもそれほど違和感のあるデザインには見えないだろうが、やはり住宅の装飾物には流行り廃りがあるのだろう。
 大正期から昭和期にかけ、風景を写生した絵画作品にも鎗先のようなフィニアルは数多く登場している。たとえば、「下落合風景」シリーズClick!を描いた佐伯祐三Click!『門』Click!では、八島邸の赤い屋根瓦の上に取りつけられた鎗型のフィニアルが描かれている。同じ鎗型のフィニアルは、現在の目白文化村Click!の第一・第二文化村でも目にすることができる。また、中村彝Click!の死去後にアトリエへ入居した鈴木誠Click!のアトリエも、戦後しばらくは鎗型フィニアルを屋上に載せていた。
 1916年(大正5)に竣工した、その中村彝アトリエの屋根上に飾られていたのは、まるで波止場の船をもやう桟橋のビット、あるいは烏帽子Click!かシダ植物のゼンマイを思わせるような、面白いかたちをしたフィニアルだった。中村彝が描いた『落合のアトリエ』Click!では、少し傾斜が足りないように描かれているが、当時の写真を見るとサメやイルカの背びれ、あるいはサーフボードのフィンのようにも見える。また、『落合のアトリエ』に描かれているのは、上記の変わったフィニアルだけでなく、和室や台所のある屋根上には立方体のような別種のフィニアルが載っていたようだ。この傾斜したゼンマイ型フィニアルは、中村彝アトリエの近くに建っていた井手邸Click!の屋根でも見ることができた。
鎗先フィニアル1八島さんの門.jpg
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鎗先フィニアル4鈴木誠アトリエ.jpg
 フィニアルは絵画だけでなく、小説にも頻繁に登場している。特にヨーロッパの翻訳小説では、「屋根飾り」とか「尖頂飾り」とか訳されているが、欧米の住宅では現在でもフィニアルを飾る事例が多いのだろうか。建築材について解説する、1998年(平成10)に日本消費者協会が刊行した「月刊消費者」8月号では、米国のミステリー作家・リリアン.J.ブラウンの『猫はスイッチを入れる』を例に、フィニアルについて説明している。
  
 3フィートほどの高さの細長い装飾品。四角い脚部に真鍮の玉がが乗っていて、さらにその先に剣のように尖った黒い金属がのびている。競売人が、この品物を取り出したとき、オークションの会場は一瞬、静まりかえった。/フィニアルとは、西洋建築の尖頂装飾のことをいう。頂華とも呼び、切妻や小塔(ピナクル)などの頂点にとりつけられている。特にピナクルは、シャフトと呼ばれる細柱とフィニアルから成り立っている。ピナクル自体も控壁や軒先の胸壁の上、塔頂の四隅などに造られる装飾用の小塔だ。ゴシック建築物によく使われている垂直性を強調するための装飾だという。もっとも、小説に出てくるフィニアルはそんなご大層なものではない。多分、民家の切妻屋根の頂上を飾っていたのだろう。
  
 四角い立方体、あるいは篆刻や角印のようなかたちをしたフィニアルも見かける。いずれも下落合東部に現存する邸宅だが、鎗先型のフィニアルに比べておとなしく、外観からおだやかで落ち着いた印象を受ける。佐伯祐三が、第一文化村の南側にあたる宇田川邸Click!の敷地界隈を描いた『風のある日』Click!(1926年)にも、立方体らしきフィニアルを載せた2階建ての住宅が登場している。
 鋭角なデザインではなく、立方体の上に球体をあしらったフィニアルも、第二文化村の嶺田邸には載っていた。まるで、五重塔の水煙(すいえん)Click!上にある宝珠(頂部)のようなデザインで、西洋館でありながら、どこかアジア的な香りのするデザインをしていた。また、変わったところでは目白通りに面した、下落合の目白聖公会Click!が挙げられるだろうか。主屋根の頂部には、もちろん十字架が立てられているのだが、エントランス部の切妻上には十字架をくずした、独特なデザインのフィニアルが設置されている。1929年(昭和4)の建築当初に創作された、目白聖公会ならではのオリジナルデザインのフィニアルなのだろう。これを見ると、いつも卍くずしの欄干がめぐる、宇治の黄檗山・萬福寺を思いだしてしまう。
薇フィニアル1落合のアトリエ1916.jpg
薇フィニアル2中村彝アトリエ復元.JPG
薇フィニアル3井手邸.jpg
篆刻フィニアル0風のある日.jpg
篆刻フィニアル1久七坂筋.jpg
篆刻フィニアル2二瓶等アトリエ跡.jpg
 さて、西洋館の屋上に載るフィニアルばかりご紹介してきたが、日本家屋=和館にもフィニアルは立っている。いや、フィニアルというより和館だから飾り立物というべきだろうか。日本の立物は、洋館のフィニアルとは異なり、明確な意味のあるものが多い。鯱(しゃちほこ/しび)や鬼瓦には、魔除けや厄疫除けの意味あいが強い。下落合の東部には、鯱を載せている日本家屋が現存するし、佐伯祐三が1926年(大正15)に描いたとみられる『見下シ』Click!には、鯱を載せた池田邸Click!の赤い屋根が描かれている。また、住民が沖縄出身の方だろうか、屋根上にシーサーを載せている邸も現存する。これも、明らかに魔除けや疫除けの意味がこめられているのだろう。
 これらのフィニアルには古いものになると、それを製造した職人名が入れられているケースがあるという。独自のデザインをしたものは、やはりオリジナリティを誇りたいのか作者の痕跡を残したくなるのだろう。今世紀に行われた、上野の東京国立博物館にある表慶館の改修工事で、フィニアルから作者名が判明している。2006年(平成18)に発行された「東京国立博物館ニュース」第678号の、「表慶館の改修」記事から引用してみよう。
  
 ドームの上には、フィニアルと呼ばれる細くとがった飾りが垂直にたっています。フィニアルは槍の芯木を銅板で覆って造られていました。すでに銅板ははがされており、そこにあるのは寄木細工のような木組みの本体でした。ぐるっと回ってみると、驚いたことにフィニアルに名前が彫られていました。「明治四十一年 高濱直吉 五十三才之造」/この木組を造った職人が自分の名前を刻んだものなのでしょう。誇らしげに刻まれた文字を目にしたとき、しばし言葉を失いました。
  
 まるで、刀剣の茎(なかご)Click!に刻まれているような銘文だが、フィニアルの芯に鎗柄が使われていたのには驚きだ。表慶館のフィニアルは長めなので、長柄鎗が使われているとすると芯は4m以上はあったのかもしれない。材質は、おそらく堅い赤樫だろう。
球フィニアル嶺田邸.JPG
目白聖公会フィニアル.JPG
鯱1池田邸.jpg
鯱2.jpg
シーサーフィニアル.jpg
 このように、古い時代のフィニアルには、どこかに作者の名前が刻まれている可能性がある。昭和の初期以前に邸を建築されている方、あるいはその時代の部材を使われて住宅を建てられている方は、リニューアルされる際、試しに確認してみてはいかかだろうか。

◆写真上:「福の湯」の屋根上に飾られた、尖鋭で大きな鎗型のフィニアル。
◆写真中上は、1926年(大正15)に佐伯祐三が描く八島さんの『門』(部分)。中上中下は、目白文化村の鎗型フィニアル。は、鈴木誠アトリエの同フィニアル。
◆写真中下からへ、1916年(大正5)制作の中村彝『落合のアトリエ』(部分)、復元後の中村彝アトリエに載る近似フィニアル、よく似たワラビ型フィニアルが載っていた井手邸(提供:植田崇郎様)、1926年(大正15)制作の佐伯祐三『風のある日』(部分)、角型フィニアルが載る久七坂筋の邸、同様のフィニアルが載る下落合公園近くの邸。
◆写真下からへ、下落合ではあまり見かけない球体状のフィニアルが載る第二文化村の嶺田邸、目白聖公会の十字架をくずした独特なデザインのフィニアル、1926年(大正15)制作の佐伯祐三『見下シ』(部分)に描かれた池田邸の鯱(しび)、子安地蔵通り沿いにある鯱が載った和館、そして落合地域でもめずらしい屋根上にシーサーのフィニアルが載る邸。
おまけ
 表慶館の屋根上には、明治末とみられる多彩なフィニアルが載せられている。芯に鎗柄が使われていたのは、中央のドーム上に建てられた細長いフィニアル(赤矢印)だ。
表慶館フィニアル.jpg

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