以前、尾崎翠の旧居=上落合三輪850番地をめぐり、彼女の全集や書籍など資料類のほとんどが、住居跡を誤って比定し掲載していることを記事Click!にしたことがあった。その記事を読まれた籠谷典子様が、『東京10000歩ウォーキング文学と歴史を巡る/落合文士村・目白文化村コース』(真珠書院/明治書院)の改訂版を、わざわざお送りくださった。上落合と下落合を散歩するには格好のハンドブックなので、改めてこちらでもご紹介したい。本書の目次を見ると、このサイトでおなじみの画家や作家、学者など「文化人」たちの名前がズラリと並んでいる。
 わたしは、この『東京10000歩ウォーキング』シリーズが発売された2003年ごろ、初回に出版された『半蔵門・日比谷コース』や『谷中霊園・三崎坂コース』からの愛読者だ。当初は、編集・発売元が真珠書院のみで、現在のように明治書院はいまだ参画してはいなかった。何年間もの長期にわたるシリーズ本の発行にはつきものだけれど、同書は装丁デザインも数年前から微妙に変化してきている。このハンドブックを手に、親父が愛用していた『東京生活歳時記』Click!(社会思想社/1969年)を参照しながら、わたしにはなじみの薄い地域や街を歩くことも少なくない。
 以下、『落合文士村・目白文化村コース』の目次を掲載しておきたい。価格も840円と安いので、江戸東京の街歩きには最適なハンディ資料といえる。


   
 ひとつ、わたしもサイトの記事に訂正を加えなければならない。記事の内容ではなく、撮影して掲載した写真のほうだ。以前、三島由紀夫の『宴のあと』Click!にからみ、「近衛町」Click!の有田八郎邸跡としてご紹介した写真がそれだ。大谷石の築垣が残る邸宅を、有田邸跡としてご紹介しているが、実はこの写真の位置は有田邸の東隣りの敷地であって有田邸跡ではない。記事を書いたあと、しばらくしてから気づいていたのだけれど、不精なわたしはそのままにしていた。(爆!)
 本来の有田邸は、この大谷石の垣が残る敷地に接した西隣りの区画で、現在は低層マンションとなっている。写真を撮りなおすのは簡単なのだが、「近衛町」が造成された当初の面影を残した貴重な大谷石の造作なので、「ま、いいか~」と当時の風情を感じさせる風景写真として、外さずに掲載したままだ。この築垣も、いつかは消えてコンクリートになってしまうかもしれないので、もったいなくて消せなかったのだ。写真の説明へ、ひとこと註釈を加えておかなければならない。
 
 『落合文士村・目白文化村コース』の中には、もちろん佐伯祐三Click!の『下落合風景』Click!も登場している。その中の1作、1926年(大正15)10月23日の「セメントの坪(ヘイ)」Click!に描かれた邸宅で、唯一いまに残る和館が、最近、往時の姿を残して修復された。古民家再生手法による、傷んだ部材の補修・差し換えと耐震強度を高めるリフォームで、大正期に建築された当時の意匠のままの姿で、久七坂の道筋沿いに甦っている。
※「セメントの坪(ヘイ)」には、制作メモに残る15号のほかに曾宮一念が証言する40号サイズと、1926年(大正15)8月以前に10号前後の作品Click!が描かれた可能性が高い。

■写真上:左は、『東京10000歩ウォーキング文学と歴史を巡る/落合文士村・目白文化村コース』(真珠書院/明治書院)の2009年改訂版。右は、中村彝アトリエの紹介ページ。
■写真中:落合地域ゆかりの人物たちが紹介された、同書のコンテンツ。下右は、昨年の暮れに拙文「尾崎翠が見ていた落合風景」を書かせていただいた、年刊誌『尾崎翠フォーラムin鳥取2008報告集・No.8』(尾崎翠フォーラム実行委員会刊)。
■写真下:佐伯が「セメントの坪(ヘイ)」に描いた、再生前(左)と再生後(右)のT邸。