小島善太郎Click!が、クラマールに現われた「化け猫」Click!を2幕ものの戯曲にしようと思い立ったのは、いったいなぜだろう? 小島が残した文芸作品としては、おそらく唯一のものではないだろうか? この作品は、1928年(昭和3)に発行された「中央美術」10月号の佐伯祐三追悼号に掲載されている。わたしは、朝日晃が編集した『近代画家研究資料/佐伯祐三Ⅰ』(東出版/1979年)を読んで早くから知っていたのだが、その元原稿そのものが残っているとは思わなかった。小島善太郎のご遺族のお宅から見つかったので、ぜひご紹介したい。
 『猫の夢』と題された戯曲は、「佐伯夫婦が猫の夢に戦慄したといふ一件と、その奇怪事」というサブタイトルが付けられている。ただし、実際に起きた事件とは年代も時間帯も変え、シチュエーションも実際とはやや趣きを変えているようだ。『猫の夢』は、400字詰め「甲文堂特製」の原稿用紙10枚に書かれている。脱稿してから80年以上の年月が経過しているのに、用紙がほとんど劣化していないのは紙質がいいからで、インクの色もほとんど薄れていない。右上が紐で綴じられ、原稿は四つ折りにされているので、ご遺族がどこかへ大切に保管されていたものだろう。
 「化け猫」が出現したのは、1922年(大正11)3月ということになっているが、もちろん小島の創作で、いまだ佐伯祐三Click!は第1次渡仏前で下落合にいた時期だ。設定場所は、「巴里郊外クラマールの鬱蒼たる森の中の一軒家の或る一室・・・小島の部屋」となっていて、これは事実だ。登場人物は、「佐伯祐三/同米子/同嬢やち子三歳/小島善太郎」と、こちらもすべて実名で書かれている。劇は、いきなり佐伯米子が、「----私達昨夜それは恐怖かつたの!」と、小島の部屋へ逃げてくる場面からスタートする。実際は、佐伯が家族をともなって小島の部屋へ避難してきたはずなのだが、『襤褸と宝石』Click!のシナリオと同様、ここでも佐伯米子はエキセントリックな“狂言まわし”役をふられている。佐伯祐三が登場してくるのは、小島と米子のやりとりがあってからのことだ。少し長くなるけれど、同作から佐伯が登場するシーンを引用してみよう。

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 其時佐伯祐三入つて来る。
 佐伯「ね、小島君、それが不思議なのだ、三人が同じ夢を見てうなされたのさ! 怖い怖い夢!」
 米子「私達はよつぽど小島さんを起そうと思つたのよ、それ程怖かつたの!」
 佐伯「真当(ママ)に君の部屋へ逃げ度かつたのだ。今でもこの部屋に居るのが堪らない気持だ」
 小島「一体どんな夢を見たの」
 佐伯「猫の夢を見たのだ、猫のおばけだ」
 小島「----猫の?」
 佐伯「それが不思議なのは僕がその猫の夢でうなされてた時、米子も同じに猫の夢でうなされ、そして二人はうなつてゐた。そしたらやち子もニヤゴがニヤゴと云つて恐怖しがつてかぢりついて来るので、三人は無言のうちに同じ恐怖に襲はれて戦慄いてゐたのだ。しかもそれが目を醒ましてゐながら、その夢の連続に苦悶してたことだ。そしてそれらの恐怖心の異状(ママ)なこと、たゞ『猫』と云ふ単純な動物が、これ程の恐怖心を僕達に与へて戦慄したと云ふこと。」
 米子「それがおかしいのよ、シヤミセンをひいてたりするのかと思ふと、いきなり噛み付いて来さうになつたり、それは虎位の格恰(ママ)で、私の目のすぐ前で大きな気味の悪い口を開いて来るの。何しろその怖いの恐しくないのつて・・・・・・」
 佐伯「僕のは又変なのだ。とても大きい大きい顔だけなのだ。それが更に大きくなつたり小さくなつたり。かと思ふと妙に躍つたり何んかしやあがるのさ、目の玉がグリグリして物凄いのだ。」
 米子「私のはシヤミセンの音がペンペンとよく聞えたりするのよ、変ね! 耳の中へその音がガンガン聞こえるの」
 佐伯「ともかくこんな奇怪な夢を見せられたこの部屋には何か猫の祟りがあつたのだ。僕はそう思ふ。そう思はずにはゐられないのだ。」
 米子「私、もうとても気味悪くて今夜からここへ寝られないわ!!」
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 ここでのやり取りは、ほぼ事実にもとづいていると思われるが、いっしょに連れて逃げてきたはずの弥智子Click!は、本作では部屋に残してきたことになっている。三歳の女の子役は、舞台では無理だと考えたものか。そして、弥智子が再び隣りで「化け猫」に悲鳴をあげ、「!! そら!! またやち子が泣き出したわ!!」と、ふたりは「あわててドアよりかけ出て隣室に入る」ことになっている。米子は、本作では脚が悪くないのか、駆け出せる女性として描かれている。また、佐伯はなぜか東京弁の下町言葉を交えながら、山手言葉をつかっているのだ。
 第2幕は、それから1年余の時間が流れ、マルセーユで小島が友人たちと語り合う場面となる。そこで、クラマールの「化け猫」部屋の元住人から、家主の飼いネコを誤って死なせてしまった話を聞く。佐伯一家が暮らす以前に、その部屋に住んでいた元住人は、窓から棄てた腐った肉を家主の飼いネコが食べてしまい、それが原因で中毒死させてしまったエピソードを語る。
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 小島「待てよ! それは不思議だ、其後佐伯祐三一家三人が、君のゐた同じ部屋で、矢張り猫の夢を見てひどくうなされたことがあるのだ。不思議なことがあると云へばあるものだね。」
 硲「それは実に不思議なことだ。」
 小松「そうかなあ! 変なことがあればあるものだ!」
 小島「実際不思議だね。この話がだね、君より聞かされる前に佐伯達のことを語つたのならともかく、猫としては一ヶ年も前のことだつたし、それに夢の話でもあつたので、少し馬鹿らしい様にきいてたりもしたのだが、今こうして又そんな事を君の方からきかされるとあの時の佐伯夫婦の恐怖も解るしそして又君達の出来事を不思議に思はずにゐられなくなるね。」
 硲「こいつは誰人かに書かしたら面白い小説になるね。不思議な物語りとして。」
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 そう友人に言われたことを思い出し、小島善太郎は佐伯の死をきっかけに戯曲化したのではないかと思われる。パリとその周辺における佐伯の足跡を、綿密に追いつづけてきた朝日晃だが、この「化け猫」屋敷を訪問し、実際に「出る」のかどうかを確認している形跡は見られない。わたしがクラマールを調査取材するとしたら、おそらく真っ先に駆けつける最優先の“現場”なのだが・・・。w

■写真上・中:遺族の邸から見つかった、小島善太郎の戯曲『猫の夢』の元原稿。
■写真下:左は、昭和初期の小島善太郎ポートレート。右は、佐伯祐三アトリエの現状。