幼稚園のとき以来、なんと東京タワーへのぼってきた。あらかじめ「そこにあるもの」として、いつも視界の片隅に東京タワーは存在していたが、遠足でもない限りまずのぼろうとする気が起きなかった。それが、突然のぼってみたくなったのだ。理由はカンタン、芝丸山古墳の現状を上から眺めてみたくなったからだ。
 江戸期以前、このあたり一帯は江戸湾の入り江が深く入りこみ、台地ぎわは古墳だらけだった。大小の前方後円墳が存在し、大名屋敷や寺社、町屋を拓くのに片っぱしから壊されていった。でも、たったひとつだけ手をつけられない古墳が残った。南関東で最大規模の前方後円墳、芝丸山古墳だ。あまりの巨大さに、当時の人たちは畏怖を感じて手をつけなかったのかもしれない。それでも、築山側は増上寺の境内へと削り取られ、前方部の東側は家康を奉った東照宮と芝公園に削られ、南側は道路やスポーツ施設に削られ、そして西側はいま、オープン間近な高層ホテルの敷地(元は芝ボーリング場だったかな?)へと削られている。つまり、周囲の外濠や内濠はもはや存在しないけれど、前方後円部の墳丘のみがむき出しで残っている状態だ。
 地図の上に、周囲の濠まで想定して丸山古墳を再現すると、とてつもなく大きかったことがわかる。削られたとはいえ、現在かろうじて残されている墳丘部だけでも墳長108m。増上寺の五重塔(空襲で焼失)が墳丘の上に築かれたとき、周囲をかなり整地していることを考えあわせると、墳丘部のみの全長は120~130mほどはあったのではなかろうか。そして、外側の外濠まで入れると、およそ200m級の前方後円墳が想定できる。これを再現したら、東京タワーから見下ろす眺めはずいぶん壮大だと思うのだが、周囲の道路やビルをかなり壊さなければ実現できそうもない。
 さて、東京タワーからの眺めだが、建築中のプリンスホテルに邪魔されてちょうど中央部が見えなくなっていた。もう少し早く来れば、全体を写真に収めることができたのに…。それでも、ホテルの大きなビルから前後へはみ出すように、丸山古墳は往時の姿をよくとどめている。再開発の波が、いまだ丸山古墳Click!にまで及んでいないことに安堵した日。

■写真:こんな角度から東京タワーを眺めることは、めったにない。地元の狸穴町(東麻布)の人からうかがったが、東京タワーのイルミネーションがきれいな季節だそうだ。