第一文化村の北側には、清戸道(目白通り)が近いせいもあってか、いろいろな商店が軒を並べていた。大正期には、いち早く本屋と薬屋が開店し、つづいて油屋、和菓子屋、氷屋、うなぎ屋などが店開きしている。この中で現存しているのは、和菓子屋とうなぎ屋、そして店は閉じてしまったが文化村名物の胡麻油を作りつづけている油屋だ。(この胡麻油は、いまでも手に入る) この油屋の向かい、清戸道を隔てた向こう側が、画家たちが多く参集した「長崎アトリエ村」となる。(わたしが学生時代後半に下宿していた、南長崎の界隈) その縁かどうか、戦後は手塚治虫をはじめ多くの漫画家たちが、下落合や長崎周辺に在住していた。
 第一文化村の住民は、外出からの帰りに氷屋や和菓子屋へ寄ったり、うなぎ屋で舌つづみを打ったりしていた。第二文化村の南辺にあった商店街にくらべ、こちらのほうが大通り近くということもあり、かなり賑やかだったようだ。つづきは・・・

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■写真:空襲でも焼け残った、清戸道沿いの油屋「小野田」。この店舗は、第一文化村内に建てられた同志会(生活協同組合)の建物に近似している。