●意思表示せまり声なきこえを背に ただ掌の中でマッチ擦るのみ

 「オレ最近、感性が鈍磨してダメになってるな」、あるいは「年取ったかな?」・・・と感じたときに、本棚からゴソゴソと探し出しては開くのが、岸上大作の短歌集『意思表示』だ。そして、1960年4月-10月「意思表示」の最初の1首が、「意思表示 せまり声なき こえを背に・・・」。
 時代は60年安保のさなか、岸上大作はその敗北から白けきった“大雪崩”へと移る情況を生きた歌人であり、わたしにはまったく記憶にない時間の、とうに「歴史教科書」に整理されてしまった時代の作品だ。だから、学生時代に本書を手にしたときは、「ああ、いちおう読んでおこうか」ぐらいの気持ちだった。ところが、第一首めからゾワーッときた。本を持った両手が、鳥肌だったのを憶えている。

 ●かきあげている額の髪言いきらん 言葉は語尾より憎しみを生む

 なぜ、それほど惹かれたのか、いまでもはっきりとはわからない。岸上大作は、60年安保に挫折して自ら21歳の生命を絶った・・・のでは決してなく、ある女性に失恋したことに絶望して自裁したのは明らかだ。いや、「失恋」するほどにまで関係は築かれてなくて、単なる一方的な片想いだったようなのだ。その女性に対する当てつけからか、恨みがましい絶筆「ぼくのためのノート」を残し、吸いかけのハッカ煙草(メンソールタバコ)「みどり」を残し、どこからか盗ってきた灰皿を残し・・・「受けとってくれますか?」などと、未練がましくいろいろなモノを残しながら逝った。「残された」側の女性は、さぞ迷惑だったことだろう。

 ●つながらぬ電話にながきこだわりも 顔くらくせぬチャペルセンター前

 そのどうしようもない女々しさ(差別的です/失礼)やヒ弱さ、ガラス細工のように脆弱な神経と“線”の細さ、自意識過剰の狭量さや自分勝手さに、わたしは嫌悪感をおぼえる反面、なぜか作品には強く惹かれていってしまう。鉛筆削りを最細にしたときの尖んがりのような感覚、折れやすく曇りのない感性の中に、自分がついぞ持ったことのない「何か」を見るからなのか・・・。

 ●耳うらに先ず知る君の火照りにて その耳かくす髪のウェーブ

 わたしの知らない時代の、とても反りが合いそうにない男が残した言葉なのだが、なぜか心にじわじわと沁みてくる。たまに『意思表示』を取り出して読むのは、少しはあったかもしれない感性の尖がったころの自分を、論理性を最優先していたころの偏狭な自分を、期せずして思い出させてくれるからなのかもしれない。そして、ちょっぴりあのころの“新鮮”な自分を、取りもどせたような気になるから・・・なのかもしれない。

 ●夏服の群れにひしめき女学生 たちまち坂を鋭くさせる

 「さらば論理の純潔よ」と詠ったのは、キッド・アイラック・ホールの福島泰樹だったろうか? わたしはもう、岸上大作の2倍以上の年月を生きている。

■写真:『意思表示』(角川書店)。『現代文学の発見15巻-青春の屈折・下巻-』にも収録されていたが、ともに絶版となっている。