以前、焼け跡も生なましい戦争直後、米軍によって撮影された空中写真(1947年)を調べていたら、下落合の崖線下には、大小無数のサークル状の幾何学的なかたちが浮かび上がっているのに気づいた。(下落合は巨大なミステリーサークルだらけClick!)
 山手線をはさんでお隣りの、戸塚地区などに残る江戸時代の古文書などを踏まえて、それらは古墳時代の早い時期に、神田川および妙正寺川沿いに築造された巨大な円墳群ではないか?・・・と想像してみた。でも、いまではすべてが建物や道路の下にあって、実際に地表面をじかに観察することができない・・・と書いた。
 ところが、たった1箇所だけ、地表がいまでもそのまま露出している場所があったのだ。ふだんはまったく気づかないところ、予約をしないと入れないエリアにそれは残っていた。東京都下水道局の落合下水処理場の中、「落合中央公園」のテニスコートがあるグラウンド面だ。さっそく、その場所の空中写真を取り寄せて拡大してみると、あった! 1994年(平成6)の、モノクロではなくカラーの空中写真にも、それはクッキリと写っていた。おそらく、地表でテニスをしていても、まったく気がつかないにちがいない。上空から眺めて、初めてその正円のフォルムが浮かびあがってくる。
 前回、ブログに書いたときは、空中写真にはっきりと見える比較的大きなサークルのみを選び、丸で囲んで紹介した。でも、写真を拡大すると、中小のサークルはそれこそ無数に発見することができる。今回は、いまでも地表面が露わになっている、落合中央公園の一画を拡大してより詳しく観察してみよう。

 宅地化するため、あるいは今回のようにグラウンドにするため、地表面を一見平らにならしたとしても、もともとの地形のかたちは消滅せず、いつまでも浮かび上がることが多い。それは、地表面の非常に微小な凹凸や、人工物の場合は築造するのに用いた土質の違いなどによるのだろう。このぶんでいくと新宿区さん、埋蔵文化財包蔵地No.1~Nとかではなく、いっそのこと落合地区丸ごと包蔵地にしてしまったほうが話が早いのではなかろうか? では、落合中央公園のミステリーサークルClick!を見てみよう。

■写真:上は1947年(昭和22)、下は1994年(平成6)の上空から見た落合中央公園あたり。