八丁堀の京華小学校といえば、下町ではちょいと名の通った学校だった。もし、いまでも存続していれば、1901年(明治34)の創立だから、2005年で104周年を迎えていたことだろう。それが、少子化の波をまともに食らって、1993年(平成5)に閉校(統廃合)となってしまった。
 統合されて新たに中央区立中央小学校(湊1丁目)として再出発したが、最初の入学時には、男子2名に女子8名のわずか10名の新入生しかいなかった。6年生まですべて合わせても100名を切る小学校が、下町ではめずらしくなくなった。過疎化が進む山間地の話ではない、東京の日本橋も近い街中の話だ。
 もともと、八丁堀の与力(50人前後)や同心(250人前後)など奉行所役人たちが住んでいた組屋敷、いま風に言うと「公務員住宅」に隣接した立地に、京華小学校は建設された。1923年(大正12)の関東大震災で全焼したが、燃えない丈夫な校舎を建てようと、1929年(昭和4)に現存する校舎が完成した。東京大空襲もくぐりぬけ、いまだに現役で使用されているのは、よほど強固な造りになっているからだろう。ここを卒業した著名人も多い。
 1993年に閉校してから、内装のリニューアルが行われたが、建物は外壁を塗り替えるぐらいで、ほとんど手をつける必要がないほど頑丈に造られていたという。2001年(平成13)に「京華スクェア」として再出発したけれど、入居してきたのがなんと、早稲田大学(早稲田大学エクステンションセンター「八丁堀校」)だった。小学校が、いきなり大学になってしまったのだ。
 一般市民向けのオープンカレッジが、早大エクステンションセンターの役割だそうだが、八丁堀という場所柄からか、その講義内容がとても面白そうだ。たいがい、江戸の町中をテーマにした講座をそろえていて、すぐにでも聴講しに行きたくなってしまう講義が、いつも目白押しに並んでいる。
http://www.waseda.jp/ex-hachobori/recommend/nihonbashi/city.htm
 

 埋め立てられた八丁堀沿い、鍛冶橋通りを西へ歩いていくと、古い商店街の名残りなどが点在する中に、印象的な曲線を見せる「京華スクェア」は建っている。日本広しといえど、大学に二宮金次郎の銅像があるのは、早稲田大学の八丁堀校だけだろう。

■写真上:左は2005年、右は竣工直後1929年(昭和4)の京華小学校。
■写真下:案内プレートと二宮金次郎。