わたしは、茶漬けが大好きだ。江戸の安永年間(1770年代)のころに生まれたとされる茶漬け見世が、いまでも東京のあちこちにあったとしたら、間違いなく常連になっているだろう。手持ちのよい薄手の茶碗に象牙箸というのが、昔からの東京スタイルで、サラサラと小気味よくかっこむそばから、澄んだ美しい音色がチンチコチンと響く。近ごろ象牙箸などなかなか手に入らないから、普通の塗り箸で済ましているのだけれど・・・。
 以前、下落合(目白文化村?)を舞台にしたと思われる、小津安二郎監督の『お茶漬の味』Click!をご紹介した。ざっかけない町場感覚の亭主(佐分利信)と、典型的な乃手の奥様(木暮実千代)とのすれ違いのやりとりが面白く、わたしの好きな作品のひとつだ。深川出身の小津が共感をもって描いたのは、もちろん書生部屋のような環境で暮らす亭主のほうだったろうが、最後にふたりの心が通じ合うシーンで差し向かいで食べるのが、いかにも東京らしく茶漬けなのだ。
 四世・南北の芝居に、『東海道四谷怪談』Click!の後日譚のような『盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)』がある。この芝居の中で、ホレた愛おしい小萬を殺したあと、切り落として持ち帰った首を前に、源五兵衛がサラサラサラと旨そうに茶漬けを食うシーンがある。ついでにお相伴とばかり、小萬の首へ茶をかけたりするのだ。ようやく小萬を自分のものにできた、つまりふたりきりになれて心安く茶漬けが食える間柄になったのだ・・・という、ちょっと屈折してはいるけれど“親しさ”を象徴する名場面だ。小津監督ももちろん、この芝居を知っていただろう。
 明治維新のとき、江戸歌舞伎が明治政府の世間知らずな役人たちから「旧芸」というレッテルを貼られ、役者全員が仕事を干されていたとき、9代目・市川団十郎は小さな塩鮭の切り身をようやく手に入れて、それを7日間も持たせながら、夫婦差し向かいで年中茶漬け三昧で暮らしていた。もちろん、1日3食も食べられなかっただろう。政府肝いりで誕生した「新派」だが、今日の体たらくを見たら少しは9代目の溜飲が下がるだろうか? 昔からの江戸・東京人(特に芝居好き)たちから、明治政府がことさら憎まれるのはこんなところにも原因がある。

 茶漬け見世が初めて誕生したのは、新吉原が近い浅草だった・・・という説がある。「茶漬見世なども、元は安永元年の頃、浅草並木町の左側に、海道茶漬と書く行燈を出し有之、其他はあまり見当り不申候」(喜田有順『親子草』より)とあるから、吉原へ通う前にちょいと腹ごしらえをするには最適な見世だったのかもしれない。茶漬け見世はその後、爆発的な人気をよび、江戸の代表的なファーストフード店のひとつへと成長していく。
 江戸を代表する高級会席茶屋「八百善」へ、茶漬けを食いたいと言ってきたわがままな客がいた。「うちは料亭で茶漬けなんぞ出すもんか」なんて、もったいぶった野暮なことを言わないのが江戸の料理屋だ。客を半日待たせたあげく、ようやく茶漬けの膳を出した。帰りの勘定の段になって、客は目の玉が飛び出た。茶漬け1杯で、とんでもない請求額だったのだ。だが、話を聞いて納得し、おとなしく勘定を払ったようだ。「八百善」は、大雪の中江戸じゅうへ人を走らせ、水は暗渠の水道水を使わず玉川上水からの直汲み、嫁菜は雪の下から採れたてを掘り出し・・・と、「八百善茶漬け」はべらぼうに手間がかかっていたのだった。
 茶漬けの妙味は夏、というのが定説だけれど、わたしは年中食べている。道具だてはいたってカンタンで、丸久Click!の佃煮があればそれだけで満足だ。もしできれば、わたしと同じ関東ローム層の水で育った、くどくない狭山の煎茶があればなおいいが、別に伊豆や静岡の茶でもかまわない。まずは少し苦めの出花を注ぐのが、茶漬けの香り立つ醍醐味だ。

 山東京伝の『通言総籬』には、舟宿に寄ってそこの女房の手料理で、艶二郎が茶漬けを食うシーンが登場する。その手料理というのが、「たまごのあつやきに、わさびじやうゆ、古なすに、もり口のかくや、梅ざけのあんばい」と、心憎い品が並んでいる。なんとなく、艶二郎が食う香ばしい匂いや音までが聞こえてきそうだ。少し甘めの卵の厚焼きを、わさび醤油につけて食べるのは茶漬けの箸休めだろう。古茄子もいいが、あえて落合大根でも練馬大根でもなく、守口大根を角切りにし梅酒に漬けて塩梅したなんて、この女房をぜひもらい請けたくなってしまう。(もらい請けたら、きっとわたしが作るんでしょうね。/爆!)
 江戸の街に茶漬けが浸透すると、江戸らしくどんどん新しいちぢめ動詞が産まれてくる。「茶づる」は茶漬けを食うこと、「茶づらう」は茶漬けを食いに茶漬け見世へ出かけることだ。ともに、流行語の先端を走る職人言葉だろう。洒落本『遊子方言』では、「三ツ蒲団の上、ひそかに茶づつたり何かして」なんて、遊郭へ上がって首尾よくいった男が、空腹なのでひそかに茶漬けを食って腹ごしらえをしてたりする。また、ある大店へきた客へ「御酒が過ぎました、お茶にでもおつけなされまし」(唐來参和『三教色』より)と、茶漬けを食うことを「お茶につける」なんてていねいな表現も、日本橋の商家あたりでは産まれていたようだ。

 余談だけれど、先日TVを観てたら、「いまの若い子たちが作った、“マジ?”ってちぢめた言葉が、とても聞き苦しいですね」という趣旨の発言をしてた某評論家がいた。あんた、マジですか?(爆!) 文部省の役人がこしらえた東京方言に似て非なる新しい、主に放送言語である「標準語」にはないかもしれないが、「まじ」は天明年間(1780年代)ごろからずっとつかわれつづけている、芝居や洒落本でもそこここに顔を出し、明治以降も現役の生活言語、由緒正しいれっきとした江戸・東京弁だ。茶づらって、ついでにその茶で顔でも洗って、出直しといで。

■写真上:わたしの朝飯。
■写真中:わたしの昼食と夕食。
■写真下:わたしの夜食。・・・冗談です、念のため。