今回は、大正中期の『赤い鳥』広告。そろそろ野球が、子供たちの遊びのひとつとして普及してきたのか、「ゴムまり」ではなく「ボール」が発売されはじめたようだ。「理想的少年野球用」の白球は、名づけて「スポンヂボール」。(まんまじゃん!) まだ、ボールの素材にスポンジを使うのがめずらしかったのだろう。わざわざ専売特許までが取得されている。
  絶対ニ空気漏洩ノ虞ナク
  耐久性最モ強ク硬度弾力、
  重量等総テ従来ノゴムマリノ諸欠点ヲ補ヒ、
  而モ危険更ニナシ
 「危険更ニナシ」と書かれているけれど、イラストを見るとかなり危険なような気がする。グローブ(グラブではない)を構えた少年の顔面へ、いましも「スポンヂボール」がまさに直撃しようとしているところだ。この少年は、ボールを避けるつもりがないのだろうか? しかも、顔面直撃のボールは、まるでバレーボールのように巨大だ。大正時代の野球ボールは、バットによく当たるようバレーボールサイズだったのか・・・と納得してしまいそうになる。
 でも、すぐに気がついた。ピッチャーの少年を見ると、まだボールを投げる前のようなのだ。手にしたボールが、「スポンヂボール」の実寸だとすると、キャッチャー少年の顔面に当たる寸前のように見えるボールは、「スポンヂボール」ロゴにかかった商品イラストのようだ。なんとまあ、紛らわしい。このイラストを見て、バレーボール大の「スポンヂボール」を想像してしまった少年が、たくさんいたのではないか。
 赤塚不二夫に先駆けること40年、ピッチャーの投球フォームにも目をみはる。歌舞伎の見得にも通じるような、こんな投球フォームが実際にあったのだろうか?

 次は、「大日本国民中学会」の広告。そのキャッチフレーズが、味もそっけもひねりもないストレート勝負の直球だ。いまなら生々しすぎて、まずは採用されない作品。いわく、「立身も・・・・・・出世も ミンナ此の中から生れます」。
 サラリーマンの処世術、あるいは上司への胡麻すりノウハウでも書かれた本の宣伝かと思いきや、これが通信教育への勧誘広告だった。当時は小学校を卒業すると、大多数の子供たちは家業を手伝うか、そのまま商家に奉公へ出されたり、工場の労働者として働きはじめていた。現在とは異なり、児童福祉法も存在しなければ、学歴が人の一生を大きく左右していた時代だ。
 中には、家が貧しくて中学への進学を断念したり、あるいは親に教育への理解が乏しく、進学資金があるにもかかわらず中学校を断念させられた子供たちもたくさんいた。そんな子供たちを対象に、働きながら通信教育で中学卒業の資格を取れば、「立身も出世も」望めるし、また高校への進学も夢じゃない・・・という趣旨で、大日本国民中学会が設立されたのだろう。
  中学校へ行く事が出来なくても本会に入会しさへすれば僅か一年半で、
  立派に中学卒業生と同等の学力が得られて、
  自然に立身も出世もする事が出来ます。一日も早く御入会なさい。
 「自然に立身も出世もする事が出来ます」というところに、ほんとうのアタマの良さも人間性も、本人の実力や成果もかえりみられず、学校の卒業証書だけがすべてだった、当時の極端な学歴社会の一端が顔をのぞかせている。
 ちなみに、大正時代に入ると子供への教育熱は急激に高まり、ちょうどこの『赤い鳥』が刊行された大正中期ごろ、日本で初めての帝大卒の女性学士が誕生している。東北帝国大学(現・東北大)理学部を卒業した牧田らくは、数学(幾何学)を専攻して理学士となり、女子高等師範(現・お茶の水女子大)で教鞭をとっていた。ほどなく、彼女は結婚して、下落合のアビラ村(二ノ坂上)Click!に住むことになる。洋画家・金山平三Click!の連れ合いである、らく夫人のことだ。
 当時の中学卒というと、なんとか中間管理職の部課長クラスまでは、「立身も出世も」できた社会だったのかもしれない。

 次は、江戸期から下谷広小路でつづく呉服の大店・上野松坂屋の広告。明らかに、母親をターゲットにしているように見える。でも、こちらもコピーがストレートすぎて、面白みがまったく感じられない。広告なのだから、注目を集めるなんらかのしかけが必要なのだけれど、ポイントイラストもアイキャッチもなにもなく、表現の工夫がまるで見られない。
 「ガツカウドウグ(学校道具)」を松坂屋「いとう呉服店」でそろえるというのも、いまから見ると奇妙だ。おそらく、秋冬ものの学生服は当時の呉服店が扱っていたのだろうし、松坂屋全体が流行のデパートメント化していたのだろうから、すでに文房具の売り場もあったのだろう。新学期の準備は松坂屋へ出かければすべてそろう・・・ということが言いたいのだ。
 こんな味も素っ気もない広告・・・と、眺めていてふと気がついた。このコピーの配置、小学校低学年の国語の教科書を模倣してやしないか? 大正期の1年生教科書は「ハナ ハト マメ マス ミノ カサ カラカサ」で、ページをめくるごとに、だんだん文章らしくなっていった。そんな教科書のページを見馴れていた当時の子供たちなら、この広告にふと目をとめてしまうかもしれない。条件反射のような子供の視線を意識しているのが、この松坂屋広告ではなかろうか。
 これは母親をターゲットにしているわけではなく、「母さん、早く松坂屋へ行かないと新学期がはじまっちゃうよう!」と、あえて子供の口から言わせるための、子供の心理と反応を見こした高度な誘導広告ではないだろうか?

■写真:ともに1919年(大正8)の『赤い鳥』9月号に掲載された広告より。