ある美術大好きの方から、踊る金山平三のパラパラアニメをいただいた。アニメのタイトルは、そのまんまストレートに『踊る金山 Parapara Animation』。チロルダンスをする、金山平三とらく夫人の連続写真で構成されていて、パラパラめくるとふたりが愉快に踊っているように見える。ほんとうにこのふたり、楽しくて、変で、面白い。
 いつだったか、金山平三の面白さについて、こちらでもご紹介Click!したことがあった。そのとき、金山の奇行や変人ぶりについて書きはじめたら、半年ぶんぐらいブログネタに困らず、1冊の本ができてしまうだろうと書いた。事実、すでに1冊の本ができていたのだ。1982年(昭和57)に出版された、題して『逸話金山平三』(豆本灯の会)。文庫本のサイズよりも小さく、灯叢書の1巻として収められている。著者は、1975年(昭和50)に出版された評伝『金山平三』(日動出版部)の飛松實だ。飛松は、この本で収集したさまざまな資料のうち、本編に収録できなかった金山の奇妙でおかしいエピソードばかりを集め、改めて刊行したようだ。
   
   
 この本には、金山のフランス留学中のエピソードも採集されている。前を歩いているフランス女性の、ボンネットにゆらゆら揺れている気どった羽根飾りが気になって気になって、つい引っぱってみたくなった金山平三は、がまんができずにとうとう引っぱった。こんな話は、まだほんの序の口なのだ。小川町にあった知人の住む江戸川アパートへ、障子を張り替えたと聞いては、わざわざ破りに出かけた話はこの本にも収録されている。大正期に旅先で、ゴムでできた妙なかたちの赤い煙草入れを「雷さまのおヘソだよ」といっては、旅館の女中たちを脅かしてまわっていた。
 他の画家の作品を見て、「こりゃ絵じゃなく図案だ」とこきおろしても、金山平三の毒舌はすでに広く知られていたから、その性格も含めて恨まれることは少なかったようだ。洋画家・松田文雄は、友人の刑部人Click!(おさかべじん)を介して金山と知り合ったが、松田本人のいる前で、「人さん、お前、悪い奴を友人に持ったなあ、俺この男好かんわ」と言ったらしい。松田はめげずに、金山アトリエへ通いつづけ、いっしょに画旅行へ出かけるまでに気に入られている。
 金山は中学時代、野球部のピッチャーをしていたので根っからの野球好きだった。戦後はよく松田と連れ立って、後楽園へプロ野球を観戦しに出かけている。このあたり、佐伯祐三の中学時代とオーバーラップする。佐伯はそれを知っていて親しみをおぼえ、金山の名づけた「アビラ村」Click!という名称を、「下落合風景」Click!にあえて取り入れているのかもしれない。佐伯にとって、金山平三Click!は中村彝Click!と同様、洋画界の大先輩だった。同書には、金山の野球好きとともに、興味深い逸話が紹介されている。それは、下落合の牧野虎雄Click!たちの野球チームが試合をしたとき、金山が審判をつとめたという話だ。場所は、井上円了Click!の哲学堂グラウンドだった。
 
  ●
 平三の、中学時代の名投手ぶりは、評伝「金山平三」の、少青年時代の項に、面白い話をいろいろ紹介しておいた。立軌会の画家有岡一郎(昭41歿)の追憶にも野球の話がある。
 <故井上円了さんの哲学堂のグランドでベースボールの試合を、たしか牧野虎雄(昭21歿)さんのチームとやった時、金山さんが審判をやって下さいました。・・・
 私達の立軌会展は、毎夏催されるが、金山さんはまるで風の神のような恰好で、渋うちわを持って涼しそうな姿で来られました。最近来られたとき、
 「有岡君、もうこれはアカンワ」
 と、手でボールを投げる真似をされて笑われました。  (同書「茶目と毒舌」より)
  ●
 金山と佐伯は野球を通じて、下落合のどこかで知り合っているのではないか? だからこそ、「アビラ村」という名称やエリアを、佐伯はあらかじめ知っていたのではないだろうか? そんなことを想像させる、興味深いエピソードだ。確かに、金山のガンコで一徹な多少芝居がかったアンパイヤは、ぴったりの役どころだったろう。
 まだまだ非常識な逸話はたくさんあるけれど、きょうはこのへんで・・・。

■写真上:わざわざ作ってお送りいただいた、パラパラアニメーション「踊る金山」。
■写真中:らく夫人とチロルダンスを踊る金山平三。
■写真下:左は、飛松實『逸話金山平三』(豆本灯の会/1982年)。右は、晩年の金山夫妻。