安井曾太郎Click!の門下生で戸塚町上戸塚に住んでいた洋画家・藤川栄子は、近くの上落合に住む小説家の壺井栄と窪川稲子Click!(佐多稲子)を誘って、よく上落合から下落合、中野界隈を歩きまわっていた。藤川栄子は高松出身なので、同じ香川の壺井栄とはよく往き来があったらしい。また、村山籌子Click!も同じ高松なので、なにかと3人は仲がよかったようだ。
 藤川に壺井、それに窪川の3人は、落合から中野あたりまで歩きまわる行為を、どうやら「散歩」とは呼んでいなかったようだ。日米開戦が半年後の目前に迫る、1941年(昭和16)に発行された『スタイル』6月号から、彼女たちの様子を引用してみよう。
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 歩け! 歩け! 歩きませう、散歩ではいけないのです。散策ではありません。まして漫歩でもないのです。歩くのです。力強く、意志的に歩くのです。歩くこと、そのものに目的をもつて歩くのです。歩け! 歩け! 歩くこと、そのことが精神と肉体の鍛錬にもならなくてはいけないのです。歩け! 歩け! (同誌「歩きませう」より)
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 『スタイル』の何気ないリードなのだが、見方を変えればどこか非常に意味深な表現だ。♪歩こう歩こう わたしは元気~ 歩くの大好き どんどん行こう~・・・と、トトロの歌ではないけれど、この3人の女性たち、どこかほんの少しヤケっぱちになってる気配が感じられないでもない。特に、なにかを発表するそばから夫婦で「ちよつと来ひ」と警察に引っぱられ、自宅の周囲には特高(特別高等警察)Click!の刑事たちが張りついていたと思われる壺井栄や、夫の浮気にあいそをつかし特高の締めつけがことさら激しかったらしい窪川稲子は、日々強まる戦時色とあいまって、「もう、超バカバカしくて、ったくやってらんないわよ!」と藤川の誘いにのり、落合じゅうを歩きまわったのではないか。
※その後、冒頭写真の早稲田通りにおける撮影位置Click!が判明している。

 その行為は、どこか示威的ですらある。なんとなく、「わたしたちは元気だよ!」とデモンストレーションして歩いているような雰囲気さえ感じるのだ。この3人が歩くうしろから、電柱の影や商店の店先に、複数の特高の影がチラついてやしなかっただろうか? 当然、「あの3人は毎日連れだって、いったいどこへ出かけるのだ?」と、警察では注意を払っていたにちがいない。ときには、村山籌子の姿も見かけ、当局はピリピリと緊張していたのかもしれない。
 上落合の早稲田通り、あるいは下落合の目白通りあたりを散歩していると思われる、壺井栄と藤川栄子に添えられたキャプションを、先の『スタイル』6月号から引用してみよう。
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 アトリエから出てらした藤川さんがお友達の壷井さんとごいつしよに戸塚から小滝橋へ、落合から中野までの強行軍です。何も今日にかぎつたことじやありません。藤川さんと壷井さんとは、もう一人ご近所の窪川稲子さんも混つて、戸塚から中野へ中野から戸塚へ、往つたり来たり、下落合界隈を強行なさるのだといふことです。 (同上)
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 この「歩きませう」の「強行軍」は、尾行する刑事たちへの嫌がらせという側面もなかっただろうか。彼女たちが外出すると、少なくとも特高の刑事ひとりは尾行して、どこへ出かけるのか延々とマークしつづけなければならない。村山籌子にも、専任の特高が張りついて、実家のある高松まで追いかけてきた記録Click!が残っている。(村山亜土『母と歩くとき』より) しまいには顔なじみとなり、ときどき言葉さえ交わしていた。
 藤川、壺井、窪川の3人が合流し、なにか盛んにおしゃべりをしながら上落合から下落合、中野方面まで歩いていくとなると、特高としては見逃すわけにはいかない。ときに、村山籌子も登場して4人連れのこともあっただろうか? “地下”とのつなぎか、あるいはなにかのレポか、それともどこかで誰かと接触するのか・・・。ところが、さんざん付近を歩きまわり、尾行する刑事たちもヘトヘトに疲れたころ、彼女たちの行き着く先は、めぐりめぐってそれぞれの自宅なのだ。ときに、坂の多い下落合へとやってきては、汗をぬぐう刑事たちを尻目に舌を出していたかもしれない。
 彼女たちが、ただひたすら歩きまわった距離は、戸塚町3~4丁目(現・高田馬場3~4丁目)あたりから小滝橋を経由して、中野駅までの往復だったとしても、ゆうに6km以上はあっただろう。小滝橋あたりを起点にし、どこからかバッケ(崖線)をのぼり目白通りへと出て、目白駅をめざしたとしても、やはり往復するとそれぐらいの距離はありそうだ。
 
 この時期、壺井栄は夫の繁治とともに、早稲田通りにほど近い上落合2丁目549番地に住んでいた。藤川栄子や窪川稲子が「歩きましょ!」と誘いにくると、「はいよ」と3人連れだって通りを横に広がりながらブラブラ歩いたものか。あるいは、1週間の曜日と時間を決めて、小滝橋交叉点で待ち合わせでもしていたのだろうか。
 貫禄のある堂々とした壺井栄が、前からノッシノッシと歩いてくると、通行人はなんとなく端へよけなければ悪いような気持ちになりそうだ。

■写真上:早稲田通りあるいは目白通りの商店街を歩く、壺井栄(左)と藤川栄子(右)。
■写真中上:1936年(昭和11)に、上空から撮影された上落合界隈。
■写真中下:左は、壺井栄を記念した文学切手。右は、1934年(昭和9)ごろ女性画家たちの集いに参加した藤川栄子(右)。左に立っているのは、その作品が吉屋信子のお気に入りであり、中出三也とともに下落合にしばらく住んでいた二科の甲斐仁代Click!。
■写真下:左は、壺井栄/繁治夫妻の上落合における引っ越しルート。右は、上落合503番地界隈の現状。道路の左側、まん中に見える茶色い家のあたりが壺井夫妻の旧居跡。