関東大震災Click!の直後から、日本じゅうの木材が東京へと集まりだした。そのほとんどが、焼失した膨大な住宅街を再建するためだ。すべての木材は、関東規格に合わせて製材されるようになり、たとえ関西で木材不足が深刻化し関東で余剰木材がダブついたとしても、東から西へは充当できないという心配が当初からなされていた。最先端をいく建築家たちは、早くから設計にメートル法を採用していたけれど、実際に施工にあたる大工たちは、関東では家づくりの骨格である柱建てを基準とする「関東間」が、関西では畳建具を基準とする「関西間」が、いまだ一般的だった。
 大震災時の材木不足は深刻だったようで、海外からも多くの材木が緊急輸入されている。建築規格の統一と材木不足の解消は、震災後の東京で最大のテーマとなった。震災から4ヵ月たった、1924年(大正13)1月発行の『住宅』(住宅改良会)で、「あめりか屋」の橋口信助は書いている。
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 近時復興院は、米国より既製の組立住宅買入の相談中なりと聞く。木材は天産物にして内地にては俄かに之が補充を謀ること能はずと難も、労働者の過剰に頭を痛むる我国の現状にして、工作したる住宅を輸入するの止むを得ざるに到りたるは、全く機械工業の発達したるものなきが故に外ならず。(中略)若しも復興院や建築者間に於て、様式寸法の統一を実行すること能はざる事情ありとせば、相当の様式寸法によつて堅実なる工作品を製出するに於ては、建築家は自然之を歓迎使用するは勿論にして、他日此統一を見たる暁に於ては、容易に其様式寸法を更改する事を得るなり。
                                      (橋口信助「復興と土木」より)
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 「工作したる住宅を輸入するの止むを得」ずと書いているけれど、上掲の住宅写真は丸ごと輸入したものではもちろんなく、震災の少し前に、あめりか屋が注文に応じて建築した「オリジナル」設計の作品だ。すなわち、自由学園明日館Click!の2階建て2号館だ。(爆!)
 
 実は、渋谷の笹塚に建設された中村さんという方の個人邸なのだが、ここまでF.L.ライトのデザインをそっくりパクッていると、もう呆れるを通りこして、よくぞここまでソックリにできたよね・・・というような気にもなってくる。デザインの著作権や意匠権といったものが、当時はしっかり確立されておらず、○○○風といった近似建築はそこいらじゅうに見られた。でも、中村邸の場合はデザインの雰囲気を模倣するを通りこして、そのまんまのパクリと表現するほうがふさわしい。ライト風ではなく、ライトそのもののデザインといってもいいだろう。1923年(大正12)に完成した同邸のキャプションには、次のように書かれている。
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 清新な立体式の印象が遺憾なく味はれませう。殊に枝折戸や老松との調和にも驚該くべきものがあります。 (同年『住宅』6月号より)
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 笹塚に自由学園が出現したことこそ、「驚該くべきものがあります」。日本の樹木や庭と、建築デザインとが調和していることを強調しているけれど、そのように意匠をほどこしたのはあめりか屋ではなくライトなのだ。あめりか屋は同誌などを通じて、盛んに米国西海岸のバンガロー住宅の住みやすさや利便性を宣伝しているけれど、それ以外の仕様による西洋館も案外数多く建てているのがわかる。尖がり屋根の瀟洒なバンガロー風住宅だけでは、やはり消費者に飽きられてしまうし、うるさい施工主からは多様な要望が次から次へと寄せられたのにちがいない。
 この邸のケースは、「自由学園もどきのお家が、ほっし~!」と施工主から言われたのかもしれない。顧客の趣味や好みに応じて、いかようにでも設計デザインして建設してしまう器用さが、あめりか屋のもうひとつの顔でもあったのだろう。そのあたり、どのような注文にも器用に応じてしまう、日本のモダニスト大工Click!の存在にどこか似ているのかもしれない。
 
 笹塚の中村邸を見ていたら、これとそっくりな建物が下落合に建っていたのを思い出した。学習院昭和寮(現・日立目白クラブ)の東側、近衛町に建っていた佐野邸だ。昭和寮の低空飛行写真Click!にも、右端にかろうじてとらえられている。笹塚の中村邸よりはかなり規模の大きな邸宅だが、やはり自由学園明日館の3号館(爆!)が写っている。こちらも、「自由学園の2階建てバージョンが、ほっし~!」というような、施工主の要望があったのだろう。この佐野邸も、ひょっとすると近衛町にまま見られる、あめりか屋の仕事なのかもしれない。

■写真上:あめりか屋が設計・施工し、1923年(大正12)に建てられた笹塚の中村邸。
■写真中:左は、旧・雑司ヶ谷(現・西池袋)に建つ自由学園明日館。右は、設計者のF.L.ライト。
■写真下:左は、下落合の近衛町に建っていた佐野邸。右は、旧・佐野邸あたりから西を向き、日立目白クラブ(旧・学習院昭和寮)を眺めたところ。