1975年(昭和50)に倒産したミツワ石鹸が、昨年(2008年)ようやく復活した。ミツワ石鹸Click!というネームが世の中から消えて、すでに33年が経過しているが、アタマに染みついたCMソングやロゴマークはいまだに鮮明だ。市場でこれほど長く不在だったにもかかわらず、高い認知度とブランドバリューが持続できたのは、衣笠静夫Click!の功績が大きいのだろう。
 1945年(昭和20)3月10日の夜半Click!まで、わたしの実家が建っていた東日本橋はすずらん通りClick!の斜向かいに、ミツワ石鹸のロゴタイプとロゴマークのネオンサインを、ゆれる柳の枝垂れごしに輝かせながら、オシャレな丸見屋本社ビルはそびえていた。柳橋Click!あたりから大川(隅田川)に屋根舟を浮かべると、ミツワ石鹸のネオンと柳の影が水面に反射してとてもきれいだったらしい。長谷川利行Click!は、ミツワ本社のビルをネオンともども、対岸の本所側からいかにも描いてそうだが、残念ながらそのような作品は現存していないし、同社の衣笠静夫Click!にそのような作品を持ちこんだという記録Click!も残っていない。
 
 すずらん通り沿いの表店や家々は、焼夷弾が主体の東京大空襲Click!でほとんどすべてが灰になったが、丸見屋本社ビルと千代田小学校(現・日本橋中学校)だけは、中が丸焼けだったものの関東大震災Click!の教訓で建設されたコンクリートの復興耐火建築らしく、そのまま崩れずに残っていた。空襲で焼け野原になった日本橋区を、米機が低空飛行で撮影した有名な写真があるけれど、丸見屋ビルと千代田小学校だけが、焦土の大川端にポツンと並んで建っていたのがわかる。戦後、ふたつのビルはていねいに修復され、改めて活用されている。
 以前のミツワ石鹸は両国橋Click!の西詰め近く、江戸期の呼称なら米沢町(西両国)の薬研堀Click!に近い位置にあったけれど、新しいミツワ石鹸本社Click!は両国橋から大川を本所側へとわたり、本所回向院Click!や旧・吉良上野介邸を右手に見ながら1,000mちょっと行ったところ、墨田区緑3丁目に建っている。大川沿い、両国橋をあまり離れていないところに社屋を置いたところが、旧・ミツワ石鹸の遺伝子を継承する同社らしく、どこか好もしい。時代が移ろい、事業方針が変わってかんじんのパンを焼かなくなっても、神田川の端を離れない神田精養軒Click!にも通じる、強い企業アイデンティティを感じる。おそらく60年ほど前、衣笠静夫はミツワ石鹸の屋上から、親父は千代田小学校の屋上から、お互い知らずに両国花火大会Click!を眺めていたのだろう。


 さっそく、復活第1号の商品「ミツワローズ石鹸」を買ってみた。もっとも人気が高かった化粧石鹸で、昔のままの製法が取り入れられているらしい。バラの香りは、衣笠静夫が何度かヨーロッパに出張して研究した匂いを踏襲している。パッケージには、こんなコピーが書かれていた。
  ●
 ミツワ石鹸の歴史は日本の石鹸の歴史でもあります。いまここにミツワの伝統製法と新たな技術が融合し、日本人の肌のための化粧石鹸が誕生しました。艶やかなローズの香りと、お肌に潤いの洗い心地、しっかりした技術に裏打ちされた豊かなバスタイムのための石鹸です。/ミツワ石鹸の中でもっともエレガントと謳われた化粧石鹸を、ほぼ当時のままの製法で復刻いたしました。日本人のお肌をよく知るミツワ石鹸ならではのなめらかな泡立ち、洗い上がりの潤い、そして伝統の気品に満ちた香りを贅沢にお楽しみください。
  ●
 昔ながらのミツワ石鹸の香りで、風呂場が満たされたのはなんとなくうれしい。でも、確かに使い心地は昔のままだけれど、いまとなっては使いはじめのバラの香りがかなり強すぎるような気がする。もう少し、香料控えめでもいいように思うのが率直な感想だ。もっとも、使っているうちに香りは少しずつ薄れていき、石鹸の大きさが手のひらに収まるころには、ちょうどいい香りになるのだが・・・。入浴のあと、肌がカサつかずにしっとりするところも、研究を重ねてきた成果のひとつなのだろう。
 

 ロゴタイプとロゴマーク、そしてデザインもそのまま33年ぶりに歩みを再開したミツワ石鹸だが、衣笠静夫が聞いたら好きなタバコに火を点け、さっそく満面の笑みを浮かべたことだろう。さて、ローズ石鹸の次は、どのミツワ石鹸Click!を復活してくれるだろうか? わたしとしては、薬用ミューズ石鹸をミツワ石鹸ブランドとして復活させてほしいのだが・・・。

■写真上:復活第1号「ミツワローズ石鹸」のパッケージと中身。
■写真中上:左は、すずらん通りの入口に建っていた戦前の丸見屋本社ビル。右は、わたしが子供のころに馴染み深かった「ミツワソフト石鹸」。衣笠静夫がタバコの「PEACE」デザインでも有名な、レイモンド・ローウィにパッケージ・デザインを依頼して制作している。
■写真中下:上は、昭和初期に本所上空から撮影された両国橋界隈で、すずらん通りには丸見屋本社ビルがすでに完成している。下は、敗戦直後に撮影された東日本橋界隈。ミツワ石鹸の丸見屋本社ビルと千代田小学校はかろうじて残っているが、わたしの実家は跡形もない。
■写真下:2008年に復活した、墨田区緑3丁目のミツワ石鹸本社ビル。ミツワ石鹸とミヨシ石鹸が隣接しており、ビルの裏側が工場になっている。付近には馬肉屋や三味線屋、立ち売りの蒲焼屋などがいまだに残り、いかにも本所らしい風情を漂わせている懐かしい街並みだ。