1925年(大正14)の暮れに、東京府の水道料金が31%も値上げされるというニュースが東京市民を震撼させた。このとき、地下水をポンプで汲みあげて蛇口から水が出る「水道」Click!にしていた、落合地区の人々にとってはまったくの他人事だったかもしれない。荒玉水道Click!が下落合界隈に引かれるのは、まだそれから5年もたってからのことだ。
 水道の大幅値上げのニュースは、東京のおもに市街地へ大きな衝撃を与えた。1926年(大正15)1月13日に発行された『アサヒグラフ』(東京朝日新聞社)では、水道料金が値上げされるとどのような事態になるのかを、半分おふざけ半分マジメに取りあげた、近未来シミュレーションの記事を掲載している。市内には、それほど大きな不満がくすぶっていたのだろう。
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 恐ろしい東京の水道/三割一分の値上げ案
 年の暮のどさくさ紛れに東京市参事会に提案された。これが盛夏の候ならば問題の火の手はパツト燃え上がつて、ケチ臭い水道の水くらゐでは消防も出来兼ねたらうが年の瀬も押し詰つた廿三日に提案したところに、手管がある。何しろ恐ろしいことだ。この値上の結果はさてどうあらうか。
                                           (同誌「水道値上げ」より)
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 記事では、水道の水を飲んでいた犬が、「こん畜生!水道の水なんか呑みやがつて飛んでもねえ。どぶの水でも呑め!」と追い払われている。金魚が嘆くには、「このごろは水をさつぱり取替へてくれないから、みんな近いうちにお陀仏だらうよ」。電車の中では、職人が「オーツ臭せいぞ、此頃の女の頭はなんて臭せいんだらう」と言って鼻をつまむと、女性たちが「この頃は水が高くつて髪もろくろく洗へやしないわね」とつぶやいている。
 クリーニング屋も大幅値上げとなり、「洗濯料が馬鹿に高くなつたので家庭にはいつでも洗濯の山、勤め人には黒シヤツが流行り出す」そうだ。黒シャツだと、よけいに汚れが目立つような気がするのだけれど・・・。カフェでは「フリーウオーター廃止、コーヒー紅茶値上げ」、演説会の演壇では「水道値上げに付、水は一人一杯限りの事」、銭湯の入浴料や理髪料も、さらに目医者の目薬までもがいっせいに高くなり、はては書家の潤筆料まで「水道が値上げになつたので潤筆料は一字一円増にいたゞきますぢや」・・・などなど、後半はかなり便乗値上げの気がしないでもない。
 きわめつけは消防署からの「通達」で、「水道値上げに付、出火の節は成るべく水を節約する事」、要するに火災でもあまり水をかけるな・・・ということらしい。公衆便所にいたっては、「水道値上げにつき小用の節は手を洗はぬ事」なんて、不衛生な貼り紙がしてある。こんなことが現実化したら、街中はパニックになっていただろう。でも、実際にはそれほど大きな騒ぎにはならなかった。多くの施設や商店では、「営業努力」で値上げ分をできるだけ吸収しただろうし、乃手の多くの地域では井戸がいまだ健在だったからだ。
 
 下落合では、1930年(昭和5)に荒玉水道が敷設されてから30年もたった、戦後の1960年代まで、井戸水の使用をやめなかった家庭が数多く存在している。水道水に比べ、目白崖線から湧く地下水のほうが清廉で、はるかに美味しかったのだから、むしろ当然だったのだろう。下落合のほぼ全域で、水道水が使われるようになるのは1970年代ごろからだ。

■写真上:左は、下落合の某邸に残った、大正製と思われる真鍮蛇口。荒玉水道ではなく井戸水「水道」用のもの。右は、水が高くて蛇口まで手がとどかない『アサヒグラフ』の皮肉なコラージュ。
■写真中:左は、女性の頭が臭くて鼻をつまむ電車内。右は、水道水を飲んで追われる野良犬。
■写真下:左は、「手を洗はぬ事」と貼られた公衆トイレ。右は、潤筆料の値上げを考える書家。