道路上にチョークで書かれた、↑マークが気になりだしたのは2006年ごろからだろうか? 住宅街の道路の左手、おもに電柱の下に白いチョークで矢印が書かれ、ある家の前までくると、その住宅を指し示す赤いチョークの目印に変わる。そして、その家の前から再び、今度は違う方角の道順へと白いチョークの矢印がつづいていくのだ。赤い矢印で指定された家は、高い塀に囲まれてひっそりとした雰囲気のお宅であることが多いようだ。
 最初に気がついたのは、下落合の久七坂上から下落合公園あたりを散歩しているときだった。当然、子どものイタズラだと考えた。ところがしばらくして、今度はまったく違う地域、鬼子母神の雑司ヶ谷から目白通りあたり、そして目白台から面影橋あたりで数ヶ月おきに、まったく同じマークを見つけた。あまりに気になったので、散歩がてら目白台の矢印をたどっていくと、どうやら坂上の目白通りから住宅街を通り抜け、目白崖線下の十三間通り(新目白通り)まで抜けている。そして、ある1軒の目立たないお宅に、赤いチョークの矢印が向けられていた。
 明らかに、「近所の子ども」の仕業ではない。水道管やガス管など地下工事用に記されるマーク、あるいは電線に関する工事の符号とも、まったく異なっている。イタズラ風に書かれたチョーク矢印には、子どもにはできない念の入れようと、ハッキリした規則性が存在する。それは、進行方向に向かって必ず道路の左手に↑マークが付けられていること。多くは電柱の下に書かれているが、電柱間に距離がある場合は、ちょうど10mほどの間隔で左の路面に記されていること。また、T字路あるいは十字路に出ると、道の両側にどちらへ曲がるかの矢印が必ず2ヶ所書かれていること。そして、ある住宅の前では白いチョークが赤いチョークの↑へと変わり、進行方向ではなく住宅自体を指し示していること。さらに、その家の前から再び白いチョークで進行方向が示されていくのだが、当該の家までつづいていた矢印とはたいがい逆の方向へ向かっていること。矢印が書かれる区間は、ある大通りから別の大通りへと抜けるケースが多いこと・・・などだ。

 その様子を観察していたら、江戸時代に盗賊の手下(てか)が、町辻に付けてまわった符丁を思い浮かべてしまった。気持ちが悪いので気にしていたら、昨年、今度はわが家の前の路上でまったく同様の↑を見つけた。気づいたのは、会社から帰宅する午後9時半ごろで、氷川明神の横手から、つまり十三間通り(新目白通り)から↑はスタートしており、雑司ヶ谷道を西へ向かうように付けられていた。そして、矢印は途中の道を右折すると、すぐご近所のお宅の前に赤い↑が記されていた。熟年のご夫婦がふたりで住んでいる、高い塀Click!に囲まれた閑静な住宅だ。そして、わたしの家の前を↑は通り抜け七曲坂へ抜けると、白い↑は目白通り方面までつづいていた。
 いかにも怪しいマーキングなので、家へ帰るとさっそく水を入れたバケツとタワシを持って、オスガキとともにチョークの↑マークを消してまわった。すべてを消すには、700m以上の範囲になり大仕事となってしまうので、赤チョーク↑から50mほどの範囲を消して歩いた。七曲坂の白チョーク↑を消しているとき、ご近所の方が出てきて「なにをしてるんですか?」と訊かれたので、事情をお話して坂につづく白チョーク↑を見せると、さっそく七曲坂の↑を消すのを手伝ってくれた。
 それ以来、しばらくチョーク↑は見かけなかったのだけれど、つい数週間前の午後9時前後、今度は飯田橋の新小川町から赤城町、神楽坂にかけての一帯で見つけた。矢印は、飯田橋駅に近い目白通りから神楽坂界隈の住宅街を横切って、大久保通りまでつづいているようだった。夜遅かったので、赤い↑のお宅は確認しなかったが、これはもはやイタズラで済ませられるレベルではなく、明らかになにかを目的とした「大人」向けの符号だ。周辺でチョーク↑が見られたあと、ほぼ同時に空き巣や盗難の被害にあったお宅はなかっただろうか?
 
 その地域に土地勘のない人間に対し、チョーク↑は明らかに誘導し位置特定する目的で道順が指示されている。しかも一見、子どものイタズラか工事の符号らしく装う手法で書かれている。同様に、街のあちこちで、この↑マークを不審に思ってらっしゃるClick!がいるようだ。わたしの中の「警報ランプ」が、東京の街中で白い↑マークを発見するたびに点滅している。

■写真上:新小川町の電柱下に書かれた白チョーク↑だが、風雨で色が薄れている。
■写真中:数年前から東京の静かな住宅街に出現している、白と赤のチョーク↑の法則性。
■写真下:左は、神楽坂の赤城神社裏の↑マークで、やはり数日が経過していて薄れている。右は、下落合で赤チョークの↑マークで指示されていたお宅で、高いブロック塀に囲まれている。