昭和初期に、目白・下落合界隈でビリヤード場が急増している記事Click!を、以前に書いたことがある。山手線や西武電鉄の各駅近くはもちろん、佐伯祐三Click!が描いた「テニス」Click!のテニスコート東側を削って、第二文化村Click!の益満邸脇にもビリアード場がオープンしていた。つまり、住宅街にまでビリヤード場ができるほどブームになっていたのだ。東京環状乗合自動車Click!を退職して結婚した上原とし様Click!の夫=上原亀吉様、つまり「上原としアルバム」をお貸しくださった小川薫様のお父様は、東京府のビリヤード大会における第1位=チャンピオンだった。
 1939年(昭和14)に行なわれた東京大会で優勝し、賞金とともに伊豆大島への褒賞旅行に出かけている。アルバムには、三原山を背景に撮られた記念写真が何枚か残されており、またビリアードを練習するお父様の姿もとらえられている。上掲の写真は、1939年(昭和14)3月に撮影されたもので、キャプションには「昭和十四年三月/カチカチたまつきにて上原」と添えられている。下落合あるいは椎名町のどこかに、「カチカチたまつき」という名のビリヤード店があったのだろう。ひと仕事終えたあと、ビリヤード場に寄っては試合に備えて練習をしていたのかもしれない。でも、せっかくチォンピオンになるまで腕を磨いたにもかかわらず、その後、戦争で世の中はビリアード大会どころではなくなり、東京代表としての連続優勝の夢は絶たれてしまった。
 
 上原亀吉様は、目白・落合界隈の建築事務所や邸を顧客にもつ左官業を営んでいた。アルバムには、下落合側かあるいは長崎側か、仕事に入った邸で記念撮影をする姿が何枚か残されている。それらの背景に写る建築や庭は、かなり大きめなものが多い。目白駅周辺の近衛町Click!、あるいは目白文化村や落合府営住宅Click!などの邸宅も含まれているにちがいない。もう少し引きぎみで撮影し、建物全体を画面に入れてくれていれば、どこの邸宅かがわかったかもしれないと思うと残念だ。1枚は、大谷石の塀がつづく邸の門前で撮られたもの。アーチ状の鉄の門扉や、中に見える建築の意匠から、和洋折衷あるいは洋風の住宅ではないかと思われる。また、もう1枚の写真には、燈籠をすえた広い和風庭園が写っており、こちらは和建築のお宅だろうか。
 旧・椎名町(現・南長崎)の町火消しClick!にも参加していた上原様は、おそらく日米戦争がはじまった直後からだろう、独特なスタイルで仕事に出かけるようになる。まるでレーサーがヘルメットの下にかぶる、顔だけ出して毛髪や耳、首筋までスッポリ隠れるリムーバーをかぶり、スキーやスノボ用のようなメガネを額の上にかけている写真が増えていく。また、衣装も身体にピッタリとフィットするような、より身軽なものへと変わっていった。別にバイクに乗って通勤していたわけではなく、多くの仕事先はいつも近所なので自転車で出かけていた。このスタイルは、予想されるようになった米軍の空襲により火災が発生したときに駆けつける、地元の“防空消防団”のユニフォームだと思われる。

 
 また、「上原としアルバム」には、どこで撮影されたのか不明な風景も残っている。蒸気機関車が停車する駅のプラットホームは、はたしてどこの風景だろう? 遠景には、密な住宅街やビルが見えているので、東京のどこかのような気がするのだが、機関車の上には電線がなく電車用のプラットホームではなさそうだ。貨物専用のホームか、あるいは長距離列車用のプラットホームだろうか。牽引している車両が、客車なのか貨車なのかが写真では判然としない。
 鯉のぼりをとらえた写真も、手前に門と板塀が見えているだけで、どこの風景かは特定できない。自宅の周辺、下落合か椎名町あたりだろうか。また、街並みがはっきりと写っているにもかかわらず、どこの街だかわからない風景もある。高いビルの屋上から撮られたものらしく、屋上に張られたフェンスが手前に見える。そのフェンス越しにビルが建ち並ぶ、おそらく東京のどこかと思われる街並みがエンエンとつづいているのだが、特徴的な目標物がまったく見あたらず場所が特定できないのだ。手前の左手には、撮影場所のビルの下へとつづいている賑やかな商店街が見え、中央寄りには新しい中規模のビルが建設中だ。視線の高度から推測すると、撮影場所が丘上に建っている建築物でないかぎり、8~9階建てビルの屋上から撮影されたものと思われる。つまり、当時としては建築基準ギリギリの高さまで建てられた、「高層ビル」ということになるのだが・・・。
 
 最後に、明治末か大正初期に撮影された上原丑太郎様、すなわち上原亀吉様のお父様(小川薫様のお祖父様)の写真をご紹介しておきたい。写真館で撮影されたと思われるポートレートは、富士講の月三講社Click!による富士詣りのスタイルをしている。笠には、富士山のイラストに「三」の字が入った月三講社マークと、講社の開祖である椎名町の三平忠兵衛を記念したマル「忠」マークとが入れられている。お祖父様は、月三落合惣元講の地付き、宇田川家が多く先達をつとめていた下落合講社に属して、富士登山へ出かけたのだろう。

■写真上:1939年(昭和14)3月に、「カチカチたまつき」で練習中の上原亀吉東京代表。
■写真中上:左は西洋館あるいは和洋折衷館の前で、右は和風庭園で記念撮影する上原亀吉様。いずれも、目白文化村あるいは近衛町界隈の情景だろうか。
■写真中下:上は、駅名が不明な蒸気機関車が停車するプラットホーム。下左は、長崎界隈と思われる鯉のぼり。下右は、東京だと思われるが撮影場所がわからない街並み。
■写真下:左は、月三落合惣元講の富士詣りスタイルで写る上原丑太郎様。右は、中井御霊社の境内に残る月三講社の奉納碑で、碑の左下に先達・宇田川家のネームが入っている。