一昨日、栗原行廣様より貴重なコメントと写真をお送りいただいた。1939年(昭和14)5月25日に撮影された、近衛文麿Click!の写真だ。第1次近衛内閣が総辞職したあと、約5ヵ月後に撮影された写真なので、時期的にみて首相官邸でも公邸でもない。もちろん、下落合の近衛新邸Click!でもないだろう。おそらく、荻窪の私邸「荻外荘」ではないかと思われるのだが、はっきりした場所の特定がおできにならないとのこと。栗原様からお寄せいただいた、コメントを引用してみよう。
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 小生は日本山妙法寺の一徒弟です。昭和14年5月25日近衛文麿公に恩師・藤井日達猊下が、インドより捧持した仏舎利を奉呈する情景の写真が一門に伝えられています。その儀式が行われた場所が荻外荘ではなかろうかと推測しているのですが、たしかなことがわかりません。
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 わたしの“印象”では、南側(善福寺川方向)に面した天井の高い、戦前の「荻外荘」の客間や居間、あるいはいずれかの部屋のような気がするのだけれど、はっきりしたことはわからない。
 部屋の意匠を細かく観察すると、窓が上下二重になっている様子や、窓枠のデザインが似ている点など、「荻外荘」南面Click!に見られる建築の仕様に共通性が感じられる。もっとも、あくまでも戦前に撮影された「荻外荘」外観からの推測にすぎないのだが。
 わたしは一度、現在の「荻外荘」Click!にお邪魔したことがあるのだけれど、その内部、特に南面の各部屋はとても昭和初期の建築とは思えないほど、隅々まできれいにリフォームがなされているので、戦前の室内の意匠をうかがい知ることができない。

 この3葉の写真は、撮影された時期ももちろんだが、近衛文麿が紋付袴の正装をしているにもかかわらず、なぜかラフなスリッパを履いていること、彼の背後に私物らしいトロフィー(ゴルフの入賞カップだろうか?)が見えていること、部屋に置かれた家具調度の意匠や部屋の風情などが私邸っぽいこと、仏舎利の祭壇が文机やサイドテーブルなどいかにも臨時に設置されたらしい様子が見えること・・・などから、「荻外荘」の可能性が非常に高いように感じるのだが。
 
 このサイトをお読みの方で、下落合つながりから昔日の「荻外荘」をご存じの方、あるいは写真の部屋に見憶えのある方は、はたしていらっしゃるだろうか?※ お心当たりがおありの方は、ぜひコメント欄へ情報をいただければと思う。
※その後、栗原行廣様より写真の邸が「荻外荘」であることが確認された旨、ご連絡をいただいた。しかも、ここに写っている室内は、部屋が丸ごと別の建物へ移築Click!されたようだ。

■写真上・中:栗原行廣様よりお送りいただいた、1939年(昭和14)5月25日撮影の写真3葉。
■写真下:左は、1940年(昭和15)前後に撮影された「荻外荘」。南面する各部屋の様子が、3枚の部屋の様子(特に窓辺)に近似している。右は、現在の「荻外荘」の南面する1室で左端が近衛通隆様。現代的なリフォームがなされ、きれいな室内は昭和初期の建築内部とは思えない。


 栗原行廣様より、追加で貴重な写真をお送りいただいた。上掲3枚につづく、連続写真の1葉だ。左側に見えているトロフィーが、単体ではなく対になっている様子がとらえられている。上の記事で、わたしは「ゴルフの入賞カップだろうか?」と記述しているけれど、拡大してよく観察するとゴルフコンペなどで配られるトロフィーなどではなく、もっと“高級”な作りであることがわかる。
 カップの天頂に置かれた火炎玉へ、両側から龍が迫る伝統的な「玉追い龍」のデザインであるのが確認できる。錺物の金工、あるいは刀剣の彫刻などで多用される図柄を、精密な彫金技術によって立体的に表現した、非常に手のこんだトロフィーのようだ。