最近の「らくだ」は、落合地域までなかなかオチてこない。なんのことか、サッパリわからない方も多いかもしれないけれど、これ落語の「らくだ」噺だ。関西生まれの作品で、大坂(阪)では千日前火葬場が舞台なのだが、江戸東京では落合火葬場がオチの舞台となる。
 下町の長屋で、フグに当たって死んだ乱暴者の「らくだ」の死骸を、酔った久六と半次が早桶ならぬ漬物樽に放り込んでかつぎ、神田川をさかのぼって落合火葬場Click!までエッチラオッチラ運んでくるのが最後の場面だ。火葬場にようやくたどり着くと、途中で漬物樽の底が抜けて、「らくだ」の死骸を落っことしたのに気づき、あわてて神田川を引き返す。すると、高田村の面影橋のあたりで、道に寝ている酔っ払い坊主を「らくだ」の死骸と勘違いして樽に詰め、火葬場まで運んで火にくべてしまう。熱くて死にそうになった坊主が、「ここはどこだ!?」、「日本一の火屋だい」、「じゃあもう一杯、冷酒(ひや)でいいから持ってこい」・・・というオチがつく。
 それほど面白い噺とも思えないし、死体に“かんかんのう”を踊らせるなどグロテスクな場面も多く、気楽に笑い飛ばせないせいか、いまでは噺の内容がだいぶ変えられるケースが目立つ。上方落語の構成をそのまま演じると、こちらではクドくてスッキリしないせいもあるのだろう。また、「らくだ」をすべて演じるとなると、ゆうに1時間を超える長さなので、途中ではしょって終わらせてしまうことも多い。だから、本来のオチで舞台となるはずの落合火葬場が、最近ではなかなか登場しないのだ。それに、噺のオチとしても、最後の場面の駄洒落はまとまりがよくない。噺の内容やオチが、時代を経るにつれて変えられるのは、そのときどきの時代性に合わないせいばかりでなく、やはり軽妙洒脱な噺が特に好まれる、江戸東京の地域性からもきているのだろう。現在では、40~50分前後の噺となっているので、火葬場の場面はカットされるのが当たり前になってしまった。
 
 江戸期から現代までつづく火葬場は6ヶ所ほどあるが、落合火葬場Click!もそのひとつだ。昔から、江戸東京における葬儀の課題は切実で、早くから市井では宗派を問わず土葬ではなく火葬が行なわれてきた。例外は、1873年(明治6)に明治政府が仏教にならった火葬ではなく、葬儀は神道の土葬(神葬)のみに限定するという、地域性にまったく疎いバカげた「火葬禁止令」を出したのだが、朝令暮改ケースのひとつで1875年(明治8)には早くも撤回されている。この悪令が廃止になるまでの間、大勢の土葬が可能となる広大な墓地スペース確保の課題をはじめ、既存の墓地には葬れないため遺体の放置、墓地が買えない貧困層による遺体遺棄、寺周辺部における衛生環境の急激な悪化、葬儀や墓地の高騰・・・などなどに、東京市民は苦しめられた。落合火葬場が火を落として休業したのは、おそらくこの1年10ヶ月の間だけだったろう。
 落合火葬場は、落合地域とその周辺の死者ばかりでなく、「らくだ」の噺にもあるようにずいぶん遠くの葬儀にも使用されている。今日では、契約している葬儀社との関係もあるのだろうが、故人の遺志や遺族の好みによる斎場選びも反映されているようだ。また、葬儀の多様化や無宗教葬の浸透とともに、斎場の様子も大きくさま変わりしている。葬儀には付きものだった、棺を運ぶ昔ながらの装飾過多な霊柩車はあまり見かけなくなり、黒塗りのシンプルな洋風のものが増えてきた。また、斎場や焼き場で仏教の僧を見かける頻度も少なくなっている。
 
 先日、故あって落合斎場へ行く機会があった。ふだんは、なかなか内部まで立ち入ることができないので、いろいろなところを見てまわる。斎場の内部には、200号をゆうに超える巨大な油彩画が随所に架かっているのにも驚くが、デパートのようなエスカレーターが設置されていて、会葬者のためのコーヒーショップなどもあり、まるでホテルのような施設になっている。そう、デパートと同じように女性の優しいアナウンスで、遺族の呼び出しなども行なわれるのだ。場内では、担当の女性ディレクターが常に付き添ってくれるので、とまどうことも迷うこともない。その昔、殺風景な社員食堂のようなところで、所在なげにパイプ椅子に腰かけ、出がらしのお茶を飲みながら、煙突から立ちのぼる煙を見上げたような侘しくて寂しい風情は、いまやまったく存在しない。そもそも、尾崎翠Click!や檀一雄Click!が眺めて暮らした煙突そのものが消えてしまったのだ。
 ロウソクの火を灯しつづけ、「お線香の火を絶やさないお通夜」などというスタイルが、東京都の条例でとうに禁止されいることも初めて知った。火災防止のため、19時以降は火気厳禁になっているそうなのだが、斎場や寺院などの半公共施設ではなく、自宅で通夜を営むぶんにはもちろん適用されない。また、花や布製のもの以外は納棺禁止という項目もあるそうだ。その昔、故人が愛用していたメガネや時計、つえ、装飾品、趣味品など身のまわり品の納棺は当り前のように行なわれていたけれど、これも条例ですべてが禁止されている。
 
 このサイトで、「落合火葬場」のキーワードを入れて検索すると、さまざまな人々がここで昇天していったことに改めて気づく。このごろでは、赤塚不二夫Click!や緒形拳Click!が記憶に新しいが、わたしの好きな三木のり平Click!や、周辺が騒然としたらしい尾崎豊も落合火葬場だった。確か、夏目漱石Click!や林芙美子Click!もここだったろう。わたしも、いずれここで灰になるのだろうが、遺された家族には美味いコーヒーでも飲みながら、40~50分ほど静かに“談笑”して待っていてほしい。

◆写真:周囲にはサクラが数多く植えられている、上落合の落合斎場。