佐伯祐三Click!の『下落合風景』Click!の中に、「洗濯物のある風景」Click!という作品がある。旧・下落合の西端、妙正寺川が北へと大きく蛇行する目白崖線の麓風景を描いたとみられる作品だ。現存する『下落合風景』および同画像の中で、洗濯物が目立つように描かれた作品は、この1点のみしか存在していない。おそらく、下落合に古くから暮らしている地付き農家の庭先に、白っぽいなにかのカバーか作業着のようなものが、干し場に掛けられている絵柄だ。「制作メモ」Click!によれば、1926年(大正15)9月21日に描かれた作品に比定できると思われる。同日の空模様は、東京気象台の記録によれば曇天であり、作品の天候ともよく一致している。
 朝日晃も、1994年(平成6)に出版された『佐伯祐三のパリ』(大日本絵画)の中で、従来から記録されているキャンバスサイズとも照らし合わせているのだろう、同作を9月21日の「洗濯物のある風景」と比定している。ところが(!)・・・・・・なのだ。佐伯のメモによれば、この作品は15号キャンバスに描かれたことになっているが、新宿歴史博物館Click!で開催された「佐伯祐三-下落合の風景-」展Click!で現物を確認すると、15号よりもサイズがかなり大きいことが歴然としている。どう見ても20号サイズのキャンバスなのだ。ということは、この『下落合風景』は「制作メモ」に残された「洗濯物のある風景」ではないのではないか?・・・ということになるのだけれど、コトはそれほど単純ではない。同作をめぐる経緯には、複雑な事情がからんでいそうだ。
 今回の佐伯展で、改めてキャンバスサイズをご教示いただいたところ、710×590mmという数字が出てきた。間違いなく、20号Fのキャンバスサイズだ。ところが、この最新の計測結果は、いままでの画集あるいは佐伯展の図録などで採寸されてきた同作の数字では、最大サイズということになる。つまり、同作の“新記録”(東京近美の計測値を除く)が生まれたことになってしまうのだ。(爆!) ほとんど考えられないような“事件”で、不思議に思われるかもしれないが、この『下落合風景』は従来、もっと小さいサイズで図録や画集、書籍などでエンエンと紹介されてきている。

 
 たとえば、もっとも近年に「洗濯物のある風景」が展示されたのは、2005年(平成19)に開催された練馬区立美術館による「佐伯祐三 芸術家への道」展なのだが、その図録を参照すると同作は705×525mmとされていて、15号とも20号ともとれるハンパで曖昧なサイズとなっている。朝日晃による同作の比定も、このサイズを前提として行なっているものと思われる。そして、さらに事情を複雑にしているのは、佐伯は同作を新品の自作キャンバスへ描いているわけではなく、第1次渡仏のときに制作した『煙突のある風景』の裏面を再利用して、「洗濯物のある風景」を描いているということだ。パリ作品である『煙突のある風景』は、前掲の練馬区立美術館「佐伯祐三 芸術家への道」展の図録を参照すると、640×528mmとやや小さめな15号Fのキャンバスサイズに相当することになる。ところが、この数値もまったくの誤りであることが判明した。
 今回、裏面の『煙突のある風景』を額装のまま実測したところ、なんと約735×610mmと、表面「洗濯物のある風景」のサイズをかなり上まわる数値なのがわかった。つまり、従来の同作をめぐるキャンバスサイズの記載は、表裏ともに大間違い、メチャクチャな誤記録だったことが判明したのだ。これは想像にすぎないけれど、おそらくなにかのきっかけで同作のキャンバスサイズを、別の作品のサイズと表裏ともに写し間違えたのがエンエンと訂正もされず、また実測もされないで今日まできてしまった・・・ということなのかもしれない。一度、記述を間違えると、ずっとそのまま検証されずに誤りつづけて記載される例は、このサイトでも尾崎翠の旧居跡ケースClick!で見てきたとおりだ。
 余談だけれど、練馬区立美術館の佐伯展では、「洗濯物のある風景」は1978年(昭和53)に開催された「没後50年記念・佐伯祐三」展へ出品されたとされているが、没後50年展へ出品されたのは、同じ風景を降雪後に描いた『雪景色』Click!のほうで、同作ではない。妙正寺川の土手上から、同一の農家や電柱を描いているので混同したものだろうか。ちなみに、洗濯物が干されていない『雪景色』のほうは、725×602mm(20号)として没後50年展の図録に記載されている。
 さて、以上のような事実や経緯を踏まえ、表裏ともに“成長”するキャンバスサイズの“謎”をベースに推理すると、以下のような可能性を指摘することができる。まず第一に、同作が佐伯の「制作メモ」にみえる「洗濯物のある風景」ではない・・・という想定だ。佐伯がアトリエで自作したキャンバスClick!は膨大な数Click!にのぼるとみられ、1926~27年(大正15~昭和2)に制作された『下落合風景』が30~40点どころではなさそうなのは、ここでも折りにふれて書いてきた。すなわち、モチーフの洗濯物をもっと大きくフューチャーした、曇天の『下落合風景』がどこかにあるかもしれないということ。あとからあとから「新作」が発見される『下落合風景』のことだから、この可能性は否定できない。
 
 第二に、佐伯は『煙突のある風景』のキャンバス裏面を再利用して、「洗濯物のある風景」を描いたが、「制作メモ」へ記載する際に「20」と記載すべきところつい「15」と、いつも多用しているキャンバスサイズの数字を書き入れてしまったか、なにかの勘違いをしてしまった可能性もある。佐伯はキャンバスを、下落合の自宅で大量製造していたため、多数のキャンバスや作品群に囲まれる紛らわしい環境にいたと思われるからだ。でも、プロの画家が15号と20号のキャンバスを、はたして見誤るだろうか?・・・というのが、この仮定の大きな弱点だ。
 第三に、同作が1点ではなく、何点か存在している可能性だ。佐伯は、気に入った風景の画因(モチーフ)に出会うと、同一場所を繰り返し反復して制作することが知られている。「洗濯物のある風景」も、冬を迎えてからの『雪景色』でほぼ同一の風景を描いていることから、特に気に入ったモチーフのひとつだったのだろう。『下落合風景』シリーズでは、「曾宮さんの前」Click!の諏訪谷Click!や「八島さんの前通り」Click!など、同じ日にあるいは別の日に、さらには季節を変えてほぼ同一の風景を描いている。「セメントの坪(ヘイ)」Click!でも想定できるように、ときには15号と40号Click!(曾宮一念によれば戦後に常葉美術館で展示Click!されている)とで、キャンバスサイズをまったく変えて描いてもいそうだ。だから、「洗濯物のある風景」にも同一風景を描いた作品が、キャンバスサイズを変えて同作とは別に存在していても決しておかしくはないのだ。
※「セメントの坪(ヘイ)」には、制作メモに残る15号のほかに曾宮一念が証言する40号サイズと、1926年(大正15)8月以前に10号前後の作品Click!が描かれた可能性が高い。
 以上、3つの可能性を考慮すると、わたしは佐伯の“ズボラ”な性格から、あえて第二の可能性が案外リアリティのある仮定に感じられたりもする。また、同一の風景モチーフを描いた15号の『下落合風景』作品が、同作とは別に、どこかに存在しているのかもしれないのだが・・・。

 
 「洗濯物のある風景」は15号ではなく、20号Fのキャンバスサイズだ。もし、裏面の『煙突のある風景』が展示される機会があれば、「洗濯物」よりもさらに大きな画面サイズが露出することなる。しかし、従来の「公式」記録が、なぜ同作のキャンバスサイズを表裏ともにエンエンと誤記しつづけてきたのか、わたしにはその理由がまったくわからない。
 このように前提となる基礎資料そのものが誤っていると、当然、その記録をベースに考察を重ねた、上部に築かれた研究成果自体が無意味になる危うさがあるのだが、誰もこれまで作品の現物を実際に目の前にして、号数がおかしいとは思わなかったのだろうか? 東京国立近代美術館では、かつて同作を額装から外し、キャンバス自体を実測したことがあるそうだが、その数値が既存の図録などに反映されていないのも不思議な現象のひとつなのだ。

◆写真上:1926年(大正15)9月21日に描かれたとみられる、佐伯祐三『下落合風景』の中の「洗濯物のある風景」。図録や画集では、画布サイズが“成長”して大きくなっていく。(爆!)
◆写真中上:上は、庭先に干された洗濯物と道を歩く人物のクローズアップ。下左は、1936年(昭和11)の上落合上空から眺めた「洗濯物のある風景」の下落合2157番地界隈。妙正寺川の掘削整流化工事が進み、すでに元の蛇行した“小川”ではなくなっている。下右は、「洗濯物のある風景」の裏面に描かれたさらに大きなサイズの第1次滞仏作品『煙突のある風景』。
◆写真中下:左は、「洗濯物のある風景」の描画位置から後退して1927年(昭和2)ごろ描かれた『雪景色』。右は、何度めかの妙正寺川の護岸拡幅工事が終わったばかりの現状風景。
◆写真下:上は、今回の「佐伯祐三-下落合の風景-」展でご一緒した美術家の方が描いてくれた、『下落合風景』(洗濯物のある風景)と『煙突のある風景』との表裏実測をもとに推定した額縁のしくみ。作品サイズは、従来の書籍や図録に書かれていた「公式」サイズとはまったく異なっている。下は同展にも出品された、ひろしま美術館の両面額に入れられた下左は『風景』(1925年ごろ)と、下右はその裏面に描かれた『裸婦』(1925年ごろ)。「洗濯物のある風景」とは異なり、この作品2点は同サイズで表裏に描かれている。