浜崎あゆみの情報だと思ってアクセスされた方、申しわけない。(爆!) そのアユの最新情報は、こちらClick!をどうぞ。ちなみに、わたしが好きなのはこちらClick!なのだが・・・。w この記事は、神田川(旧・神田上水=御留川Click!)を再び遡上しはじめたアユ、川魚の話なのだ。神田川にアユがもどったことが初めて報じられたのは、確か1992年(平成4)の東京新聞だっただろうか?
 1970年代の生活排水による汚濁がピークに達していた、そして川の周囲をアスファルトやコンクリートで覆ってしまったがため、雨水の土への浸透率が急激に低下し、神田川への流出率Click!が90%を超えて氾濫を繰り返す神田川のイメージが強かったわたしには、当時、にわかに信じられないようなニュースだった。でも、アユが確認されたのは落合地域のもっと下流、江戸川橋をすぎた大曲あたりの流域だった。そのころの東京新聞は、「アユの運命」を気づかい、汚水に強いコイやフナは棲めるかもしれないが、とてもアユが棲息できる河川環境ではないと書いていた。1995年(平成7)に東京新聞のルポをまとめた、『神田川』(東京新聞出版局)から引用してみよう。
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 あのアユの運命が気になる濁った水、工事、ゴミ。よい景観への道は厳しい。
 (前略) この辺りの水は、上流の落合処理場の排出水がほとんど。都によれば「下水処理としては、他と比べて上質」だそうだが、時折、白い泡も浮かんでいて、あまり触ってみる気は起きない。/その濁った水の中を赤、黒、黄色などのコイの姿がよぎる。以前、神田川の水質についてリポートした時、魚の専門家が「コイやフナは汚れた水に強く、これらを魚が住める水質の指標に使うのはおかしい」といっていたのを思い出す。/最近、この辺りにアユが戻ったことが話題になった。しかし、どうみても、アユが住める川という印象はない。あのアユは、どうなったのか。
                           (東京新聞社会部「カヌーによる川下りルポ(2)」より)
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 落合処理場から流されている排水は、コイやフナが棲息できる水質を指標に処理されている・・・という前提のもと、「魚の専門家」に取材して「汚れた水に強い」コイやフナは棲めても、アユは棲めないだろうと結論しているようなのだが、わたしの取材した限りでは、落合処理場ではキンギョが棲息できる水質を指標に処理が行なわれている。コイやフナが棲息できる水質と、キンギョが生きられる水質とでは、まったく基準が異なるだろう。
 それとも、キンギョが棲めるという水質になったのは、土壌濾過や沈殿の処理に加え、近年は薬物による「消毒」に代わって各地の浄水施設でも導入例が多い、紫外線殺菌装置などによる浄化システムの整備・充実によるものだろうか? つまり、東京新聞が取材した当時に比べ、さらに処理能力が高度になり水質が飛躍的に向上している・・・ということなのかもしれない。
 さて、神田川にアユの回帰が初めて確認されてから、18年の年月がすぎた。コイやフナが棲める水質ではなく、キンギョが棲める水質にまでクリーンになりつつあるのは、どうやら事実のようだ。なぜなら、アユが神田川のあちこちで確認され、上流域への遡上が見られるからだ。自治体では、神田川の洪水・氾濫防止のために設けていた、流れに落差をつける「小滝」を半分取り去り、魚が上流へと遡上できるよう魚道を造りはじめている。
 このコンクリートによる「小滝」は、大雨による増水時、大量の水が一気に下流域へと流れくだるのを防止するために、神田川のあちこちに造られていた。つまり、急流の勢いを少しでも削ぐために設置されたのが、1mを超える「小滝」の役割りだった。でも、「小滝」があると、川をさかのぼる性質のある魚は、行く手をはばまれて遡上できない。そこで、アユなどの小魚が増えている現状を考慮し、「小滝」のコンクリート堤を半分ほど壊して、魚道を設置する施策が考案されたというわけだ。これにより、魚たちは神田川をかなり上流域まで遡上できるようになった。
 
 下落合の近くで、神田川に「小滝」があるのは高戸橋をすぎた下流、ちょうど都電荒川線の高戸鉄橋から25mほど下流の位置だ。夏の宵など、ここの遊歩道をそぞろ歩きすると都電ののんびりとした走行音とともに、滝の音が響いて涼味を感じたものだ。魚道ができたと聞いてかなりの時間がたつけれど、わたしはまだ見ていなかったので、さっそく出かけてみた。
 妙正寺川分水路Click!の合流点を北側にみる、高戸橋のひとつ手前に架かった高田橋から神田川を眺めると、透明な水流に鮮やかな水藻が繁殖しているのが見える。これらは大型の魚のエサにもなるのだが、より小さな魚がエサとする微小な藻を繁殖させるのにも欠かせない存在だ。でも、水温が上昇して腐ると川の汚濁へと直結してしまうので、水藻が腐って変色しはじめると川底に下りて、それらをいちいち取り除く地道な作業が自治体によって行なわれてきた。コンクリートで固めてしまった河川の宿命だが、水藻が腐敗すると水が酸欠状態となり魚が生存できないのだ。だから、良質な水環境を保つには、この水藻清掃が毎年欠かせなくなっている。
 高戸橋をすぎて神田川遊歩道へ入ると、すぐに魚道が見えてきた。高さ1mと少しはありそうな「小滝」の半分を壊し、魚が遡上できるよう階段状の流れに変えられている。1m前後のコイは神田川でもめずらしくなくなったが、アユほどの小さな魚でも遡上できるよう、ひとつの段差が数十センチほどの高さに抑えられた魚道は、階段状の緩傾斜で造られている。以前は、「小滝」の落下音がずいぶん大きく響く場所だったが、半分が階段状の流れに変えられたため少し水音が拡散され、また軽めに響くようになったようだ。はたして、下落合にアユの魚影は見られるだろうか?
 
 神田川を遡上したアユは、いったいどこまでさかのぼるのだろう? 水源地の井ノ頭までか、それとも妙正寺川Click!や善福寺川、桃園川などの支流へと入りこんで、水源地までは遡上しないのだろうか? そのうち、神田川のあちこちで、釣り糸をたれる人たちが見られるかもしれない。でも、わたしはどちらかといえば、アユよりも江戸前ウナギの「ウナギのぼり」が復活してくれたほうが嬉しいのだが・・・。それには、エサとなるドジョウや小魚が、もっと増えなくては無理だろう。

◆写真上:都電の高戸橋鉄橋のすぐ下流にある、小魚のために造られた魚道。
◆写真中上:左は、1973年(昭和48)に撮影された面影橋界隈の流れで、わたしにも見憶えある懐かしい風景。でも、この時代の神田川は異臭を放つドブ川で最悪の環境だった。右は、1981年(昭和56)に下落合の田島橋あたりで撮影された危険水位を超えて洪水直前の神田川。
◆写真中下:左は、高田橋から見下ろした川底までの透明度が高い神田川で、右上に見えているのが高戸橋。右は、源水橋から上流を眺めた穏やかな日の神田川。
◆写真下:都電の高戸橋鉄橋(左)と、そこから25mほど下流に造られた魚道(右)。