もともと目白通りの北側、学習院の正門前にあった学習院馬場がキャンパスの南側、目白崖線の下へ移転したのは、目白通り拡幅工事とシンクロしている。1908年(明治41)に学習院が目白駅の東側へと移転してきたとき、馬場は目白通り(練馬街道)の北側へ設置された。現在の、目白小学校Click!のある敷地だ。以前、このサイトでも乗馬好きな「赤い鳥」社Click!の鈴木三重吉Click!や近衛秀麿Click!とともに、学習院馬場については何度か触れている。
 目白通りの工事がスタートしたとき、道路の南側ではなく北側を拡げるため、馬場の敷地がかなり削られることになった。1927年(昭和2)の初夏から馬場の移転準備がはじまり、同時に目白崖線下へ新馬場Click!の整備工事が進んでいる。そして、夏休み中に厩舎が解体され、新馬場への移築を終えて、馬たちをすべて収容できたのは同年の11月4日だった。でも、新馬場の工事は遅れたらしく、馬術の練習は目白通りの旧馬場でつづけられた。この間、山手線沿いの椿坂Click!を、ゾロゾロと目白通りの旧馬場へ向かう馬たちの姿が見られたのかもしれない。
 現在の学習院馬場には、そのときに移築された明治期の厩舎がそのまま残っている。久しぶりに馬の匂いもかぎたくて、学習院馬場へお邪魔してきた。お訪ねすると教官らしい方が、快く中へ入れてくださり撮影を許可してくださった。いまでは随所が補修されているが、基本的には元の姿を保っているとのこと。学習院馬場は1908年(明治41)に建設されているが、この厩舎の築年はさらに古い。もともとは赤坂表町に駐屯していた、憲兵隊の厩舎を同年に学習院馬場へ移築しているので、おそらく明治初期~中期の厩舎建築だろう。基礎から建物下部をコンクリートに変え、下見板の外壁に屋根はスレートになっているけれど、目白通り沿いに建っていたころは瓦屋根だった。その後、内部をいくらか手直ししたが外見はほとんど変わっていない。この地域の近代建築でもかなりめずらしい、明治の早い時期に建てられたものだ。
 馬術用の競技馬は、いまではほとんどがサラブレッドなので馬体が非常に大きく、戦前に乗られていたような日本馬のサイズで造られた厩舎は、内部の仕様が小さくて馬体に合わない。特に馬房は、サラブレッドには小さすぎるため、馬房の間仕切りを抜いて2頭ぶんのスペースを1頭のサラブ飼育用に使用している。また、戦前の馬房は中央の通路に向かって馬の尻が向いていた、つまり馬は外側の壁に向かって繋がれるのが一般的だったが、現在では通路側へ頭が向くように飼われている。これは、現在ではどの厩舎でも同じ習慣となっているだろう。学習院の厩舎には、壁に向けて馬をつないでいた、昔日の金具跡がハッキリと残っている。

 
 わたしがそばへ寄ると、右前足を折り曲げて頭を下げてあいさつした、とてもお行儀のいい牝馬(ひんば)がいた。きっと、新しくやってきたシリカちゃん(香桜号)Click!だろう。馬の匂いをかぐのは久しぶりなので、つい深呼吸してしまう。わたしは学生時代に馬術を選択していたので、馬はネコとタヌキの次に好きな動物だ。学習院馬場の馬は、どれも選りすぐりの優れた馬だというのが、見ただけでもだいたいわかる。ほとんどがサラブレッドで大きいが、アラブが1頭と中間種が1頭いるとうかがった。みな大人しくて育ちのよさそうな、優れた馬たちなのだろう。
 わたしが学生時代に親しんでいた、ある大学の厩舎(1970年代後半)には、確かサラブが数頭、アラブが2頭、日本の馬(明らかに農耕馬)が1頭などが暮らしていたが、みんなヤクザな馬ばかりで、現在の学習院厩舎とは比べものにならない。わたしの教官(当時)によれば、競馬用に育てられたけれど性格が悪くてダメな馬、性悪かつ暴れんぼうで競技では使いものにならない馬、歳をとって引退した下(しも)の締まりのないよく転ぶ馬、人間に反感を持っているらしい咬みグセのある馬、農家で飼われていたが処分するのに忍びなく大学へ寄付された馬・・・というような顔ぶれだった。要するにわたしの大学の厩舎は、ヤクザ馬の留置場のようなものだった。
 だから、駈足(かけあし)の最中に突然急停止し、乗っていた女子学生を振り落とす。(バイクに乗っていて、障害物にぶつかったときの慣性の法則を想像してほしい。女子学生は、顔を打ってお岩さんになった) 馬房の前を歩くと女子学生の長い髪を咬んで、彼女がキャーーッと悲鳴をあげるとヒヒンと笑う。(特に髪を束ねたポニーテールがお好みのようだ/爆!) 好物の角砂糖や野菜などをあげようと手を差し出すと、女子学生の手を丸ごと咬んでニッと笑う。(歯型のアザができるのはいうまでもない) 大きな馬体に臆してビビりながら、あぶみに足をかけて乗ろうとする女子学生の足をたくみに足踏みして踏んづけるか、あるいは体重をあずけて寄りかかろうとする。サラブレッドは、大きいのになると500kgを超える体重があるから、長靴(ちょうか)を履いているとはいえ、足には蹄鉄型のアザができる・・・などなど、逸話にはキリがない。
 
 
 被害に遭うのが、たいがい女子学生である点に留意いただきたい。馬は、人の様子や感情、「気」配を読むのが得意だから、一度なめられると(ヤクザ馬は特に)もういうことを聞かない。でも、馬にとって人間のオスは、やはりちょっと怖い存在のようで、あまり積極的な悪さをしないようだ。きちんとしつけられた馬は、人間の指示には従順でまったく違うけれど、そうではない馬は反抗しつづける。そもそも、自分より図体が小さい動物である人間が、エラソーに指示を出したり命令したりするのだから、いうことをきかないほうが「自然の摂理」なのだ。
 その代わり、すばらしく性格がよくてアタマもよく、きちんとしつけられた馬は、ムチはおろか長靴に拍車さえ付ける必要がない。騎手が馬体を挟んだ両脚の圧迫加減だけで、常足(なみあし)、速足(はやあし)、駈足(かけあし)、襲足(しゅうほ)などが自由自在だ。非常にアタマのよい馬になると、人の言葉を聞くだけで、すぐに歩法の判断ができるようになる。だからヤクザ馬でない限り、馬はとてもかわいい動物であり、思い通りに動く快適な“乗りもの”なのだ。
 わたしがいた大学の厩舎とは異なり、学習院はエリート馬の集まりのようだ。その昔、展覧場が設置されていたバッケの裾野から、馬場での練習風景も見学させていただいたのだけれど、どの馬もとてもいい動きをしている。従順で優秀で、体つきのよい馬ばかりできれいだ。ご紹介したわたしの大学厩舎は、もう25年以上も前の情景だけれど、現在はいい馬が集まっているのだろうか? それとも、相変わらずヤクザな馬ばかりで、女子学生が乗るとさっそくバカにして、馬場で平然とオシッコや雲虎Click!をしては、ヒヒーンと笑っているのだろうか。
 戦時中、近くの近衛騎兵連隊へ軍馬として競技用の馬を供出したのかどうか、教官らしい方へご記憶かどうかうかがったのだが、古い話なのでご存じなかった。2000年(平成12)に出版された、学習院馬術部の『学習院馬術百二十年史』(桜鞍会)を見ても、戦時中の軍馬供出については書かれていないようだ。★ ただし、国立公文書館に残された資料には、軍馬の供出ではなく、その反対に陸軍から軍馬の受け入れの記録が存在しているのだけれど、それはまた、別の物語・・・。
★その後、軍馬徴用の一節を見つけたので、次の機会にご紹介Click!したい。
 
 
 学習院厩舎には、明治以来ずっとエリート馬ばかりが意識的に集められてきたのかと思い、念のため過去の「馬匹一覧」(歴代飼育馬の記録簿)をめくってみたところ、いたいた、どうしようもない癖馬たちが。w ちょっと面白いので、ほんの数例を厩舎にやってきた年代ともども挙げてみよう。
 ◇添川号(1905年)・・・人を落とすのが上手。
 ◇錦多峰号(1909年)・・・鞭で叩いても動かない。拍車を入れても腹を膨らまし我慢する。癖馬。
 ◇松島号(1926年)・・・暴れ馬。手入れが大変。
 ◇伯夷号(1936年)・・・咬む蹴る癖あり。
 ◇月成号(1939年)・・・変な馬。ラクダみたいな馬。ヒンヒン鳴く。
 ◇姫桜号(1956年)・・・人が馬房に入ると蹴飛ばす。
 ◇綾桜号(1969年)・・・咬む蹴る。体格大きい。人を故意に落とす。
 ◇星陵号(1970年)・・・愛称「ボケ」。蹴っても蹴っても全然動かず愛称のとおりボケた馬。
 ◇広桜号(1971年)・・・曳き馬で引きずられ、けが人多数。貸与馬で場外失権数知れず。
 ◇山桜号(1973年)・・・蹴る咬む癖あり。馬房に入るのは命がけ。
 ・・・などなど、ヤクザで手を焼く馬が過去にたくさんいたようなのだ。学習院馬術部は、部員の方たち(女学生が多い)もたいへん気持ちよく応対してくれ、とっても楽しそうな雰囲気なので、また機会があったら馬に触れがてらぜひお邪魔をして、その史的な物語の記事とともにご紹介したい。

◆写真上:1908年(明治41)に憲兵隊から移築された、明治初期~中期の建築と思われる学習院の厩舎。築年を1908年としている資料もあるけれど、それは赤坂からの移築年で誤りだ。
◆写真中上:上は、学習院正門前にあったころの馬場写真で厩舎は瓦屋根のまま。当時の馬は、みんな小型でかわいい。下は、1908年(明治41)の「学習院移転図」(下が北)にみる移転直後の学習院馬場(左)と、1926年(大正15)の「高田町北部住宅明細図」にみる馬場(右)。
◆写真中下:上左は、旧来の馬房サイズで奥のコンクリ壁には馬をつないだ金具跡が残る。現在は、多くが中央の間仕切りを打(ぶ)ち抜いてサラブレッド用の大型馬房に改造されている。上右は、基本的に明治期と変わらない梁の木組みだが、1983年(昭和58)に内部のリニューアルが行なわれている。下は、明治期のままの姿をよく残す厩舎外観で、国の指定文化財となっている。
◆写真下:上は、同じく厩舎の外観。下左は、前に立つと右前足を上げアタマを下げて挨拶してくれた、かわいい牝馬のシリカちゃん(香桜号)。下右は、学習院馬場での練習風景。