「佐伯祐三-下落合の風景-」展Click!図録の第2刷が、先日ようやく刷りあがった。今年の3月30日に刷了予定だったものが、東北の印刷工場で製版データの処理および印刷が行われていたため、東日本大震災のダメージを直接受けることになってしまったのだ。その後につづいた用紙不足の影響も大きく、あれから4か月ほどたった今月、ようやく新宿歴史博物館Click!から第2刷の刷り上がり見本をいただくことができた。
 第2刷は、初刷にあった“誤植”(誤入力)箇所を修正し、より最新の情報を追加して正確さや完成度を増している。特に、このブログのコンテンツである「わたしの落合町誌」Click!の、「下落合を歩く佐伯祐三」Click!のURLが微妙にちがっていたため、何人かの方から「アクセスできないよ~」と言われていた部分が、訂正されてホッとした。あと何箇所か、追加で修正を加えていただいてうれしいのだが、修正作業あるいは増刷に関して感じたことをつれづれ書きとめてみたい。
 もっとも強く感じたのは、紙メディアの「不便」さだ。わたしは、日常的にサイトのデジタルコンテンツを制作することが多いせいか、紙メディアの増刷リードタイムが、やはりじれったく感じてしまうのだろう。もちろん、紙メディアにはそれなりに「便利」さもあるのだけれど、常に新鮮で最新の情報を記録しておくには、やはり副次的なメディアになりつつあると思ってしまう。換言すれば、これだけリアルタイムに情報がやり取りされている現代において、「バッチ処理」的な更新のしくみは記録の鮮度を保つことができない・・・と感じてしまうのだ。それは、この世に存在する膨大な紙メディアの、ライフサイクル短命化とも決して無関係ではないだろう。
 この6月、Amazonの書籍販売(米国)において、初めて紙の本や雑誌よりも電子書籍の販売点数のほうが上まわった。図書館における電子書籍の貸し出しシステムも、もはや開発・テストフェーズから実用の段階まできている。国会図書館や国立公文書館をはじめ、さまざまな図書館や資料館でも、ブラウザペース(専用ビュワのプラグインを求められることが多いけれど)の電子書籍や電子資料の公開がさりげなくスタートしている。つまり、書籍や資料が日本のどこにあろうと、いつでもどこからでも瞬時に購入できる、あるいは借りられる、また時間を置かずに24時間365日参照することができる、「カルチャーインフラ」とでもいうべきプラットフォームが整いつつある。
 
 このような状況の中で、別に美術の図録に限らず、地域をテーマとする書籍や資料類のデジタルデータ化へ向けた取り組みを、そろそろ本格化してもいいように感じるのだ。それは、「紙」=パルプという資源の節約や、それを生産するためのエネルギー消費の低減にもつながるだろうし、なによりも改訂のリードタイムがケタ違いに速いので、必要が生じた段階で最新かつ正確な情報をよりスピーディに追補・反映することができるからだ。
 ただし、音楽や映像のダウンロード販売があたりまえになった今日、CDやBDなどのディスクメディアが決してなくならないのと同様に、紙メディアはおそらく滅びないだろう。ラジオやTVが普及しても、新聞や雑誌がなくならなかったのと同じ理屈だ。情報の棲み分けが、これからますます加速していくことは間違いないのだろうが、最新の情報や新鮮なデータはネットで・・・という時代へ、すでに突入して久しい。ネットのリアルタイム情報により、ちょうどフランス革命やロシア革命時の新聞やアジビラ(紙メディア)の役割りと同様、一国の政府がネットによる市民の情報共有によって打倒されてしまう状況をも、すでに迎えている。
 紙のメディアが第2刷なのに対し、電子メディアではすでにRel.11・・・というような時代が、おそらく目前に迫っているのだろう。あたりまえだが、紙メディアへ他の情報を閲覧したり関連映像や画像を芋づる式に索引したりする、他メディアへの参照リンクやジャンプのしくみを埋めこむことはできない。それが、いともたやすく電子書籍で実現できているのを経験してしまうと、同じ1冊の書籍でも紙メディアとデジタルメディアとでは情報量がまったく異なることにも、改めて気づくのだ。ぜひ新宿区には、紙メディアの資料ばかりでなく、これからはデジタルメディアの資料充実というテーマにも、ぜひ「成長戦略」マスタープランのひとつの課題として、積極的に取り組んでほしいと思う。自治体におけるデジタルメディアの充実は、人々の地域への関心や注目を集める大きなフックとなりえるだろう。
 
 
 さて、美術の展覧会という共通項だけで、まったく別の話題で恐縮なのだが、この夏に観た展覧会の中でいまのところもっとも印象に残り、わたしが惹かれた美術展について書きとめておきたい。下落合のすぐ近く、椎名町の「アトリエ村の小さな画廊/ギャラリーいがらし」Click!で開催された「没後35年・金子周次木版画展」だ。同展の図録を制作されたのは、こちらのサイトでも久保一雄Click!の記事で登場されている美術家の山倉研志様だ。
 金子周次は、1909年(明治42)に千葉県の銚子で生まれ、小学校ではのちの版画家・浜口陽三と同級で絵画の才能を競ったという。戦後、46歳(1955年)から木版画に取り組みはじめ、一線美術展への入賞(1957年)を皮切りに、棟方志功主催の日本版画院展では新人賞を受賞(1964年)、大調和展に出品(1967年)・・・と、その作品が徐々に注目を集めるようになった。しかし、金子は地元から出ようとはせず1977年(昭和52)に68歳で死去するまで、銚子の愛宕山の中腹にあった豚小屋を住居兼アトリエとして借りて、海を見つめつづけながら制作をしている。
 わたしは太平洋の渚から、わずか100mと離れていない家で15歳の春まで育ったので、毎日海を眺め、波の音を聞き、潮風に吹かれながら子どものころをすごしている。おそらく、金子周次も銚子の海岸で、同じような少年時代をすごしているのだろう。クロマツの防砂林が黒々と繁り、夕方になると蛾が寄り集まるオオマツヨイグサの花が開き、夜には灯台の光が明滅する中、生臭い空気を胸いっぱいに吸いこみながら、いろいろなことを考えたか、あるいは圧倒的な海のエネルギーに抱擁されてなにも考える余地がなかったものか、のちに思い返してみれば非常に幸福な時代を送っていたのかもしれない。わたしがそうであったように、金子周次は海に魅入られてしまったのだ。
 
 
 決して多いとはいえない、残された作品からうかがい知れるのは、風景画家が「今度は海をテーマに作品を仕上げました」・・・というような、一過性の制作次元とはまったく異なる、海の光ばかりでなく、その匂いや風や響きまでが描きとめられているという、圧倒的な太平洋の存在感だ。それは、一度強い南風が吹くと潮で窓が真っ白になるということを、金属や機械が3年と持たないで錆びるということを、怖れと楽しみが入り混じった複雑な感覚で台風が来るのを息をひそめて待つことを、そして海がない街へ出かけても通奏低音のような潮騒の耳鳴りが、どうしても耳底から離れないということを熟知している人間が創作した、海らしい海の作品だということだ。
 おそらく、ほんとうに海好きで絵画好きなら、どうしても1枚欲しくなってしまう画面が、小さな画廊の「金子周次展」には並んでいた。これまで海の絵はあちこちで観てきたけれど、作品を前にわたしにも馴染み深い、肌に染みこむような潮の生臭い匂いを感じたのは、初めての経験かもしれない。

◆写真上:大震災の影響で増刷が遅れた、「佐伯祐三-下落合の風景-」展図録(第2刷)。
◆写真中上:左は、同図録の奥付。右は、旧・下落合661番地の佐伯祐三アトリエ記念館。
◆写真中下:上左は、晩年に自宅兼アトリエの「豚舎」で撮影された版画家・金子周次。上右は、金子周次『犬岩鴎』。下は、金子周次『出漁二隻』(左)と『川口夕景』(右)。
◆写真下:上は、金子周次『画題不明(大待宵草)』(左)と『出漁(イカリ)』(右)。下は、『海鳴りの林』(左)と『入港』(右)で、いずれも画面の前に立つとその場に居合わせているような錯覚をおぼえる。