今年の下落合は、セミの声がほとんど聞こえない。7月の上旬のうちは、いまだ梅雨模様で時期的に早いのかと思っていたが、それでも例年なら気の早いアブラゼミやミンミンゼミがそろそろ鳴きはじめているころだ。ところが、7月下旬になってもセミがめったに鳴かないのだ。セミたちが鳴かないということは、地中から幼虫が這いだして羽化していないということだ。
 ふだんの夏なら、いまごろは耳鳴りのようなセミしぐれに目白崖線全体が覆われ、夜中までうるさく鳴いている時期だろう。アブラゼミやミンミンゼミ、ツクツクボウシ、ヒグラシと下落合のセミClick!はいろいろだが、わずかにアブラゼミとミンミンゼミの弱々しい声を聞いただけで、なぜか多くのセミは「沈黙」している。カーソンの「沈黙の春」ならぬ、下落合は「沈黙の夏」なのだ。
 セミの幼虫が地中から出てこないのは、地震による頻繁な地面の揺れがセミに危機感をよびさましているのか、あるいは地表近くに堆積している放射性物質による影響なのかは、まったくわからない。地震によって繰り返される低周波の地鳴りは、セミの幼虫にもまちがいなく聞こえているのだろう。また、つい先週、葛飾区の学校プール脇の地面から6.0マイクロシーベルト/hを超える放射線量が検出された。常時この放射線量に晒されるということは、年間に50ミリシーベルトを超える被曝量となり危険だ。(ちなみに、新宿の曙橋付近における地表の放射線量は0.1マイクロシーベルト/h前後になっているようだ) 下落合でも、放射性物質がそれなりに地表へ堆積しているのはまちがいないだろう。セミの幼虫たちは、ふだんの夏とは異なるそのような異変を、地中から敏感に感じ取っているのかもしれない。
 そろそろ8月になりそうなころから、ようやくセミたちは地上へ姿を現して鳴きはじめるのか、あるいはセミしぐれの聞こえない下落合の夏は、不気味に静まり返ったまま終わってしまうものか、かつてない経験だけに、わたしにもまったくわからない。
 
 わたしが好きな映画を、これまでいくつかご紹介してきたけれど、いずれもセミしぐれが耳に残る、夏が舞台の作品が多いことに改めて気づく。それだけ、わたしの夏とセミしぐれとの関係は切っても切れずに結ばれているのだろう。黒木和雄・監督の『祭りの準備』Click!(1975年)や『TOMORROW 明日』(1988年)、『父と暮らせば』(2004年)も、せんぼんよしこ・演出/監督の『明日』(1988年/ドラマ)や『赤い鯨と白い蛇』Click!(2006年)も、さらに桑田佳祐・監督の『稲村ジェーン』Click!(1990年)も、うだるような夏を背景にした映像だ。また、海が近い街を舞台にする作品も多い。潮風とセミしぐれ、これがわたしの音と匂いの原体験なのだろう。そういえば先日、椎名町で拝見した金子周次Click!の作品でも、いくつかの作品からはセミしぐれが聞こえていた。
 下落合を散歩しはじめた1970年代半ば、セミの声はいまほどは聞こえていなかったように思う。もちろん、土壌や水質の汚濁、あるいは排ガスなどによる「公害」の影響が大きかったのだろう。昆虫たちも、暮らしにくい時代だったにちがいない。やがて、1980年代の後半からセミの声が耳につくようになり、年々その声は大きくなってきていたように感じている。昨年は、猛暑で2か月以上もセミの声をたっぷり聞かされたせいか、秋になっても耳鳴りのようにセミしぐれの余韻が残っていた。
 
 さて、もうひとつ下落合では、気になることがある。樹木の葉が、例年に比べてかなり“薄い”のだ。ふだんは鬱蒼と繁っている木々の枝葉が、今年はそれほど繁っていないのに気づく。公園などの森は、定期的に枝払いが行われるため、当初は枝が少なくなったためにできた空間の広がりなのかとも思ったのだが、大きな枝葉が落とされているわけでもないのに空が透けてよく見えるのだ。また、私有地の林の繁り方も、例年より確実に空が多くのぞいている。
 いつだったか、子供の夏休みの自由研究で、目白崖線の酸性度Click!をいっしょに調べてまわったことがあった。東は江戸川公園(椿山荘下Click!)から目白文化村Click!(中落合)まで、各地の土壌サンプルを採取しては薬品で酸性度を検査した。その夏は、秋でもないのにやたら落ち葉が目につくことから、そのような自由研究を思いついたのだ。でも、その夏でさえ、これほど繁り方の薄い森や林は見かけなかったように思う。例年に比べ、樹木の葉の密度が非常に低いのもまた、放射線による影響なのだろうか? ちょうど3月から4月にかけ、樹木の芽が顔をのぞかせるころに、濃度の高い放射線雨をあびたことになるのだが・・・。
 
 ちょっとこじつけめいた締めくくりだけれど、先に挙げた映画の中で、黒木和雄の監督作品に数多く登場しているのが、この7月19日に亡くなった原田芳雄だ。わたしが、映画で彼を初めて観たのは、ATG作品の2本立てで上映していた『竜馬暗殺』(1974年)と『祭りの準備』(1975年)ではなかったかと思う。TVドラマでは、それ以前から観ていて好きな役者だっただけに、とても残念だ。

◆写真上:下落合4丁目の野鳥の森公園にある、樹木を下から。
◆写真中上:左は、野鳥の森公園をオバケ坂から。右は、下落合でときどき見かける原っぱ。
◆写真中下:下落合2丁目にある、おとめ山公園(御留山)の緑深い木々。
◆写真下:左は、黒木和雄・監督の『竜馬暗殺』(1974年)。右は、同『父と暮らせば』(2004年)。
★『竜馬暗殺』の制作と同時に収録されていた『さよなら・今日は』Click!から、1973年(昭和49)11月3日に放映された第5回、嵐の夜のエピソードより原田芳雄の演技を偲んで。
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