わたしの母方の祖父は、ヒトダマ(人魂)を見たことがあるといって自慢していた。丸いお盆ぐらいの火の玉が、地上20mほどのところをフワフワ漂いながら、ヒマラヤスギのてっぺんに触れると小さな火の玉となって四散、そのまま消えたらしい。お盆ぐらいのサイズというから、いわゆるヒトダマではなく、ブーンとうなりをあげて飛行するカネダマ(鐘玉)だったのかもしれない。樹木に触れると砕け散ったというから、おそらくプラズマの一種だったものか。余談だが、「カネダマ」に「金」の字を当てている資料があるけれど、絶対ちがうと思う。w
 父親は子どものころ、三ノ輪の浄閑寺(投げ込み寺)で「ヒトダマが燃えるので見ていきますか?」と住職にいわれ、ほうほうの体で両親とともに逃げ帰ったエピソードを、以前こちらでもご紹介Click!している。落合地域でもその昔、ヒトダマが頻繁に飛んでいた。特に関東大震災Click!以降、大正期から寺々Click!が続々と東京市街から引っ越してきた、落合火葬場Click!の周辺に伝承が多くみられる。上高田にある寺々の墓地では、浄閑寺と同様にヒトダマが燃える現象が目撃されている。これは、土葬にした人骨が地表に露出すると燐が燃える現象で、江戸期には別にめずらしくもない情景だった。中野区教育委員会が出版した『口承文芸調査報告書/続中野の昔話・伝説・世間話』(1989年)には、ヒトダマにまつわる話が42話も収録されている。やはり、火葬場とその周囲に展開する寺々でのエピソードが多い。そのいくつかを紹介してみよう。
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 八幡山、夏になるとね、もう東光寺Click!へは行かれないだよ、幽霊が出て。幽霊が出るってのはね、あれ何ていうんかね。その時分は土葬であったでしょ。だから、夏なんか夕立があると、火の玉みたいのが飛ぶんですねぇ、あったねぇ、それは。/ちょうど、こんな色、オレンジ色だ。飛ぶのね。尾っぽひいて。大きさはそんなに大きくないよ。いつも出るんだ。一つじゃないんだ。お墓から出て行くのですね。土葬だからね、燐ていったかなぁ。(後略)
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 特に雨か降るClick!と、あちこちの墓地で青白い、あるいはオレンジ色の燐が燃える現象が見られたようだ。近世になると火葬が多くなる江戸の市街地でも、室町期以前からの墓地や、先の浄閑寺のような特殊な墓地ではヒトダマが発生していた。落合地域では、江戸期から火葬場が設けられていたにもかかわらず、土葬にする習慣がかなり後世まで残っていた。
 下落合の小さな墓地から比較的大きな墓地へ、肉親たちが眠る墓を改葬した小島善太郎Click!の話はこちらでご紹介しているが、小島家では土葬が代々の習慣だったようだ。また、墓場ではなく火葬場がヒトダマ目撃の舞台になることもあった。
 
 
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 あすこ(落合)に火葬場がありますでしょ、火葬場からね、よくね、火の玉が出たっていうんですよね、人魂。主人が出かけて帰ってくるときに。今の道ではなくてね、正見寺の塀に沿ってね。今あそこ住宅になっちゃってますけどね、住宅の中をずーっと通りぬけて、火葬場の前に出る畑道があったんです。で、あしたちの子どものときに、その畑道を通って火葬場の前へ抜けてくるんですけどね、そうすとね、夜なんかよく遊びに出て帰りにね、あの火葬場から人魂が飛んだっていうんですよねぇ。そんなのに出っくわした。なんかこう、丸くて尾をひいてるっていうんですけどね。
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 もうひとつ、「火柱」の目撃情報もあった。消防団員が火の見櫓の上から、墓地に上がる火柱を目撃した事例だが、この火柱状の発火現象も昔の東京ではときどき見られていた。わたしの親戚が経験したことなのだが、夜に玄関をノックする音が聞こえたような気がしてドアを開けところ、目の前に火柱が立ったというのだ。まるで、マグネシウムを焚いたように一瞬で燃え上がり、次の瞬間には消えていたそうだが、色は青白くはなくオレンジ色をしていたようだ。非常に間近で炎に接しているにもかかわらず、熱くはなかったという。これは、現代の自然科学でも説明がつきそうもない。瞬時に発火して消える炎など、この世に存在しないからだ。
 以前、大勢の人たちに目撃された、下落合の目白崖線中腹に出る「狐の嫁入り」Click!のエピソードを書いたけれど、これもよくわからない現象のひとつだ。ヒトダマが幻覚でない証拠に、やはり複数の人たちが同時に目撃したケーススタディも報告されている。

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 そこに、家の物置がありましてね、そこに薪が積んであって、お風呂やなんかに燃やすもの、みんなそこから持ってくるんですよ。そいで、私が向こうに、それを取りに、私はまだ子どもだったんで、女中の、ミネっていう女中がいてねぇ、それが薪を取りに行くのにおっかないから、いっしょに行ってくれってんで、私がいっしょにその、物置の向こうまで行ってたら、それで、薪を取ってる間に空を見てたら、こんな玉でもってひもの付いたのが、ゆっくりこう来るんです、向こうからね。それで上がったり下がったりね、このくらい(五~六センチ)の玉ですね。そいでひもが細―く付いてるんですよ。それがピラピラピラピラしてましてね。/それで、私は知らないからねぇ、女中はミネちゃんていうんですけど、「あんなのが飛んでるけど何だろう」ったら、ミネちゃんがそいつを見て「人魂だ」って、もう自分でころがるように逃げてこっちぃ来ちゃったんですよ。私を置いてね。私はまだあんまり怖いってこと知らないんで。七つくらい(のとき)。/それがね、向こうの火葬場の方からねぇ、ゆっくり上下に、こう、波を打って飛んでくるんですね。そいで、速度が遅いんですよ。/家内が見た人魂のはね、そこに井戸がありましてね、そこの辺りから出てきたんです。
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 わたしは、ヒトダマやカネダマはなんらかの自然現象だと思うけれど、いきなり発火しては消える熱の感じられない「火柱」と、山や崖の中腹に規則正しく順番に並んで灯り、次の瞬間に端から規則的に消えていく「狐火」(落合・中野地域では「狐の嫁入り」と呼ばれていたようだ)については、よくわからない。おそらく、自然科学の視座からツジツマを合わせようとすると、実際の目撃情報や“現場”の状況と綿密に照らし合わせれば、どこかで無理が生じてくるだろう。

 それから、わたしが落合地域の古い家屋で撮影をすると、写真になぜか丸い光の玉Click!が写ることが頻繁にあるのだが、これも整合性のとれる論理的な説明がつかない。落合地域は、時代が移ろい風景が一変しても、不思議な偶然や現象が起きている街だと、ときどき感じることがある。

◆写真上:知らないうちに大きなカネダマを撮影してたと思ったら、お陽さまだったりするのだ。
◆写真中上:ヒトダマだと思ったらパラボラアンテナだったり(上左)、近代建築にヒトダマが出たと思ったら工事おじさんのヘルメットだったり(上右)、強烈に発光するヒトダマだと期待したら普通のライトだったり(下左)、巨大なオーブが出現したと思ったら観覧車のイルミネーションだったり(下右)、やはり昨今の東京にはヒトダマもカネダマも非常に出づらいようだ。
◆写真中下:国周『皿屋舗化粧姿鑑(さらやしき・けしょうのすがたみ)』(1892年/部分)より。
◆写真下:1779年(安永8)に制作された、鳥山石燕『今昔画図続百鬼』の「人魂」。