下落合のアトリエで画塾「どんたくの会」Click!を開いていた曾宮一念Click!と鶴田吾郎Click!は、関東大震災Click!の直後から塾生が集まらなくなり定期的な収入が途絶えた。ふたりは、震災の焼け跡に建ちはじめた店舗の、図案の仕事でもしようかと話し合っている。
 大震災後に、東京市街地で発生した洋画家にもできる店舗の仕事というのは、わたしは当然店内の室内装飾(画)だと考えていた。焼失してしまった店舗を、間に合わせのバラックで再建する際、殺風景な室内にイラストや絵画を描く仕事が発生していたからだ。ちょうど、昭和初期の銀座高級バー「コットンクラブ」の野田英夫Click!と寺田竹雄のように、店内の壁面に装飾をほどこす仕事のニーズが高まったのだと考えた。ところが、わたしの想像を超えて、洋画家やグラフィックデザイナー(図案家)の需要は、店内装飾ばかりではなかったのだ。
 それに気づいたのは、1923年(大正12)9月に早くも設立された、「バラック装飾社」の仕事を目にすることができたからだ。バラック装飾社は、豊多摩郡淀橋町柏木937番地に設立され、洋画家の中川紀元や榊原泰、横山潤之助らが参画する会社だった。同社の宣伝文から引用してみよう。
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 今度の災害に際して、在来から特別な主張をもつてゐる私達は、因習からはなれた美しい建物の為めに、街頭に働く事を申し合せました。バラツク時代の東京、それが私達の芸術の試験を受けるいゝ機会だと信じます。/バラックを美しくする仕事一切----商店、工場、レストラン、カフェ、住宅、諸会社その他の建物内外の装飾/一九二三年九月
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 同社メンバーの中に、東京美術学校を卒業したあと、早稲田大学で建築学を修めた同大教授の今和次郎の名前がみえている。ちなみに彼の教え子には、当サイトであまた作品をご紹介してきた「あめりか屋」Click!の山本拙郎Click!たちがいる。今和次郎は、建築家や図案家、住まいの研究家、服飾研究家、古民家研究家、民俗学者などの側面よりも、「考現学」のパイオニアとしてのほうが圧倒的に有名だ。東京の街角や郊外で、実にさまざまな観察をして風俗の統計調査や街並みの記録などを行なっている。女性のスカートの長さや、勤め人のカラー(襟)のかたち、通行人の職業、髪型、履き物、帽子、靴下の種類、男のヒゲの形状、果ては某食堂の欠けた茶碗のヒビの入り方、ある区画の野良イヌたちの身体の模様まで、ありとあらゆる事象の統計調査を実施した学者だ。
 
 

 今和次郎が設立した、バラック装飾社の仕事を実際に目にしたのは、今春開催された「今和次郎展」と図録『今和次郎 採集講義』(青幻舎/2011年)においてだった。展示されていた写真を見ると、バラック建築の内部ばかりでなく外部のいたるところ、建物全体に前衛的なイラストやデザインがほどこされているのがわかる。バラック装飾社の仕事を、同図録の解説から引用してみよう。
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 彼のユニークな点は、その様な建築事業の傍ら、震災バラックの調査をおこない人々の巧まざる創意に注目するとともに、バラック装飾社を設立して被災都市の風景が人々に与える心理効果を考慮したアバンギャルドなデザインをおこなったことである。その他帝大セツルメントハウスの設計、消費経済で変貌する都市の生活を記述した考現学調査をおこない、その成果を雑誌に投稿すると同時に展覧会で発表、『新版大東京案内』(1929年)をまとめた。
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 曾宮一念と鶴田吾郎が、震災後の新しい仕事として注目したのは、このバラック装飾社の成功を目の当たりにしたからにちがいない。でも、ふたりは第1次「どんたくの会」の解散から、思いきって仕事を変えることをせず、鶴田は下落合804番地へ新たにアトリエClick!を建設して、そのままふたりともタブローの仕事をつづけている。
 今和次郎は、(城)下町Click!銀座や上野、本所などにつづき東京郊外へ調査範囲を拡げ、地域ごとの調査統計を比較研究するという方法論をとっている。彼はこれら考現学の実践成果を、急速に発展しはじめていた新宿駅の近く、新宿紀伊国屋書店の2階展示室で1927年(昭和2)10月15日から21日まで「しらべもの[考現学]」展覧会を開いて発表している。展示内容を見ると、それまで誰も目を向けなかったユニークなテーマが並んでいる。当時のアカデミックな学者からは、冷笑されこそすれ一顧だにされなかったと思われる風俗調査の統計資料だ。
 

 しかし、これら考現学の方法や成果物は、のちに多種多様な分野の学問へ大きな影響を与えることになる。おそらく、当時の学者はアリさんの歩く順路から井の頭公園の自殺者分布まで、ありとあらゆる調査を行なっていた彼の仕事を、せせら笑っていたのではないか?
 紀伊国屋書店の2階で展覧会を開いたのは、同書店の田辺茂一と知己を得ていたからだと思われるが、「しらべもの[考現学]」展のスケジュールにご留意いただきたい。佐伯祐三Click!が石井柏亭Click!の紹介により、同書店の2階で個展Click!(同年4月16日~23日)を開いてから、ちょうど半年後の開催だったことがわかる。今和次郎の展覧会をとらえた写真を見ると、佐伯が写る個展写真との共通点が見えて面白い。佐伯が腰かけているイスやテーブルと同じものが写っており、わずか6か月前、佐伯は大きな灰皿が置かれたすぐ左側のイスに腰かけていたはずだ。目を細めてタバコをふかす佐伯は、この灰皿に吸い殻を落としていたのだろう。
 紀伊国屋書店の展覧会場は想像していたよりも狭く、10~20号の作品を額に入れて展示したとすれば、おそらく20~30点ほどで壁面はいっぱいになっただろうか? この小さな展覧会場で、『下落合風景』Click!がどれだけ売れたのかに興味が引かれる。未知の『下落合風景』Click!のテーマも、いまだ不明のままだ。藤川栄子Click!の証言によれば、東京でも同作品を扱う画商がいたとのことなので、個展で売れた作品が市場に出まわっていた可能性がありそうだ。
 1927年(昭和2)の今和次郎「しらべもの[考現学]」展覧会は、調査結果を描いた画用紙や模造紙が壁にビッシリと貼られ、たいへんな人気を呼んでいた様子が写真からも伝わってくる。
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 いったい考現学の何がこの熱中をさそったのだろう。しかも、それから80年以上も経た現在でも、考現学への関心は、うすれるどころか、ますます着目されているのは、なぜなのだろうか。日常のあたりまえのできごとが、時、場所、職業等々の要因によって、特殊性を帯び始めることに気がついたのは、今和次郎であった。その着眼点のユニークさと、採集結果を図や絵であらわせる描写力の巧みさを合わせ持つ、今の特性が最も発揮されたのが、モデルノロヂオであった。
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 日常生活であたりまえだと思われることを、ちょっとちがった角度や切り口からとらえ直してみると、非常に興味深い研究テーマや問題意識が形成されること、そして時代を重ねて継続的に観察しつづけることが、とても貴重でかけがえのない記録を産みだすことを、今和次郎は教えてくれている。今和次郎は、洋画家・松本竣介Click!が下落合のアトリエで編集していた『雑記帳』Click!へも寄稿しているので、機会があれば、改めてご紹介してみたい。

◆写真上:1927年(昭和2)6月に行なわれた、極秘扱いの「某食堂ノ茶碗ノカケ方」調査報告。
◆写真中上:バラック装飾社による1923年(大正12)の仕事で、開新食堂(上左)と「堀商店」(上右)、東條書店(中左)。中右は、2012年に開催された「今和次郎 採集講義」展図録。下は、1923年(大正12)9月に発行されたバラック装飾社のチラシ。いずれも、同展図録より。
◆写真中下:上左は、50cmの平地をアリが横切る時間を測った「蟻ノ歩キ方」(1925年)。上右は、新宿通りで女性の髪形を調査した「東京場末女人ノ結髪」(1926年)。下は、1927年(昭和2)10月15日~21日に開催された「しらべもの[考現学]」展覧会の目録。
◆写真下:上は、紀伊国屋書店の2階で開かれた「しらべもの[考現学]」展の会場風景。下左は、6か月前に同会場で開かれた佐伯祐三の個展風景。下右は、早大教授時代の今和次郎。