陸軍士官学校(陸士)へ入学された方のお宅に眠っていた、写真資料をシリーズ連載でご紹介してきているが、有償配布された写真Click!には、訓練や演習、分列行進などを撮影したスナップ写真の割合いがもっとも多い。これらの写真は、演習が実施されるたびに、陸士専属の写真部カメラマンが部隊に随行するかたちで演習場を駆けまわり、シャッターを切ったものだろう。
 写真にとらえられている、雑木林や草原、あるいはやや起伏のある風景は、ちょうど落合地域の南から山手線をはさんで東にかけて拡がっていた戸山ヶ原Click!がそうであったように、おそらく座間(相武台)に移転した学校の周辺に確保された、軍事訓練や演習専用の広大な敷地だと思われる。これらの写真が保存されているのは、士官候補生である所有者自身が参加した演習だったからであり、また参加しているご本人か、あるいは同期の友人たちが画面に写っているので、演習が終わったあとの配布時に購入されているのだろう。
 写真には、中隊または小隊ごとに分かれて行われた歩兵戦の訓練から、野戦砲や重・軽機関銃を使った戦闘訓練、1937年(昭和12)に開発された九七式重戦車を投入した戦車戦の演習、所沢の陸軍航空隊と連携した空陸共同戦の演習、弾薬などを運搬する兵站(へいたん)訓練、防空機関砲や高射砲を使った防空演習など、訓練教育の内容はきわめて多岐にわたっている。写真を保存されていた陸士出身の方は、のちに陸軍航空士官学校へと進まれるので、陸軍の戦闘機や爆撃機、偵察機、練習機などの機影をとらえたものも多い。
 
 
 そこに写されている光景は、うちのアルバムに保存された親父の軍事教練などとはまったく異なり、本格的な模擬戦闘そのものだ。親父の学生時代に行われた軍事教練は、陸軍の御殿場演習場で実施されたものだが、小銃の扱いと射撃、ほかにはせいぜい迫撃砲と軽機関銃の射撃訓練ぐらいだったのが、教練の記念写真Click!からうかがえる。だが、陸士の戦闘訓練は、当時の陸軍が保有していたさまざまな種類の兵器が登場している。
 演習の写真を、4~8枚ほどコラージュした記念絵はがきも作成され、学生たちに販売されている。これらの絵はがきには、兵器を大きくとらえた写真は用いられていないので、家族へあてた一般の郵便などに使われていたのだろう。遠景写真が多い絵はがきなのだが、あるいは兵器の微妙な箇所に修正が加えられている可能性があるかもしれない。海軍の写真では、自身が乗り組んでいる軍艦の艦影や艦隊写真が多いのだが、装備している兵器はもちろん艦体に描かれた記号類、艦影の背後に写る風景までが、あちこち修正され消されているケースが多い。風景を消すのは、おそらく母港や艦隊編成などを知られないようにするためだろう。

 

 陸士の演習や訓練写真が保存されていた茶色の封筒には、士官候補生として子どもを陸士に入学させていた親の名前が記載されているものもあるので、おそらく親もとへの演習写真の頒布も行なわれたと思われる。前回ご紹介Click!した、学課や校内行事などの様子をとらえた写真などとともに、親もとへは「陸士で元気にやっています」という、学校生活の報告的な意味合いもあったのかもしれない。設定された学課の参観日や、特別に親が子どもに会いにいく機会は、一般の学校に比べればかなり少なかったのではないかと思われる。
 陸士の演習写真はスナップ風のものがほとんどだが、プリントサイズはキャビネ判あるいは手札判が多く、戦前には多かったいわゆるハーフサイズの小さなプリントは存在していない。もともと学生本人や親もとへの頒布を前提としているので、手札判以上のサイズで焼かれていたものだろう。品質のいい印画紙が使われているせいか、現在でも画像が褪せているものが少なく、きわめて鮮明なまま保存され、当時の様子や現場の雰囲気がたいへんリアルに感じられる。

 

 6回にわたってご紹介してきた、戦前・戦中を通じて陸士で配布されためずらしい写真だが、このサイトに掲載できたのはおそらく全体の10分の1以下にすぎない。それほど膨大な写真類が、知り合いの方の家に敗戦で廃棄されることなく、長期間にわたって保存されてきた。これらの貴重な写真は、歴史のビジュアルな証言そのものであり、当時、戦争へ向かって突き進んでいた日本そのものの姿にほかならない。これからも、できれば永久に保存していただきたいものだ。

◆写真上:座間(相武台)の丘陵地帯で、行軍演習する陸士の士官候補生たち。
◆写真中上:いずれも、中隊あるいは小隊ごとに分かれた行軍・戦闘演習の様子。
◆写真中下:上と中左は、所沢の陸軍航空隊に所属する戦闘機ないしは攻撃機も参加した演習の様子。中右は、サーチライトで夜空を照らした対空砲火の夜間演習。下は、演習に参加したとみられる防空機甲部隊でトラックのうしろにあるのは高射機関砲とみられる。
◆写真下:いずれも、九七式重戦車の機甲部隊による戦車戦の演習。砲塔のうしろに立ちながら搭乗する人物は、戦車の操縦や部隊の陣形などを指示する教官と思われる。