今年は、例年にも増して昆虫類Click!がたくさん見られる。特に目につくのがアゲハやカナブンの類で、さまざまな種類の虫が花に群がっている。晩年の三岸好太郎Click!が見たら喜ぶだろうけれど、うちの女性たちが眺めたら卒倒しそうな光景だ。トンボの数も多く、久しぶりにおとめ山公園Click!の草原でウスバキトンボの大群を見た。
 セミの多さはケタ外れで、9月になってもまったくセミ時雨が衰えない。例年だったら、8月の後半になるとツクツクボウシの声が主流になり、ミンミンゼミやアブラゼミの声は少なくなるはずなのだが、まるで8月初旬並みの賑やかさのままだ。そして、もうひとつの特徴は、御留山Click!にヒグラシClick!の大合唱がもどってきたことだろう。いままでの下落合では、ヒグラシの声はそれほど多くはなく、朝夕たまに鳴いているのが聞こえるぐらいだった。ところが、拡大されつつある今年のおとめ山公園は、夕暮れとともにヒグラシの合唱がかまびすしい。
 また、セミの棲息には面白い特徴がみられた。下落合(現在の下落合のことで、このサイトの表現で多用する中落合や中井を含めた旧・下落合全域のことではない)の東部でも西部でも、夏にはヒグラシの声が響いていたのだが、今夏は下落合の西部でほとんど声を聞かなかった。つまり、ヒグラシは下落合東部の御留山Click!に集中して鳴いていた・・・ということなのだ。
 「落合秘境」と呼ばれた昔から、御留山Click!はヒグラシが群生するエリアとして知られていた。その数が目に見えて(耳に聞こえて)減ってきたのは、大気汚染や河川汚濁などの公害が話題になった1970年代ごろからだろう。1982年(昭和57)に出版された、竹田助雄Click!『御禁止山-私の落合山川記-』(創樹社)から、公園化する以前の夏を迎えた御留山の様子を引用してみよう。
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 それよりも私には最前から森の奥から聞こえてくる蜩(ひぐらし)の群唱が気になって仕方がない、ところどころで一匹や二匹鳴く蜩なら珍しくはないが、戦後この方こんなにたくさんの蜩が一斉に鳴いている風情なんて初聞きであった。ここは何も彼もが昔のままなのだ、まことに閑静な雰囲気である。(中略) 真夏の林は一層昏い。陽は木の間を漉して斑かに落ちる。葉は熱を遮り、土は音を吸収する。その閑静な林に蜩が一入らぎやかなのである。私は樹々を見やった。根方で鳴いているのもおればすぐ側から不意に飛び立つのもいる。その一匹なんぞは慌てて飛び立って笹薮の中にとび込み、出られなくなって地べたでぱたついている。手を差し延べて捕え、軽く握ると蜩は、透明な翅を敏捷に振るわせて必死に逃げ出そうとする。私はそれを抓んで群唱の中に立っていた。林は厳然とその存在価値を主張し、こんな手近なところに、これほど生きている自然が横たわっていることを私は改めて知る。
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 この御留山の情景は、竹田助雄が『落合新聞』Click!の発行しはじめた東京オリンピックClick!が開催される前々年、1962年(昭和37)ごろのものだ。おそらく、当時の「群唱」に比べたら、まだまだヒグラシの個体数は少ないのかもしれないが、御留山が「落合秘境」と呼ばれた1950年代の環境に、少しずつもどりはじめている風情を実感として味わえた、今年の暑い夏だった。
 
 セミの声が少なくなった1970年代から、およそ40年前後の月日が流れ、下落合には虫や動物が増えはじめているようだ。神田川Click!には、ヤゴなど昆虫の幼虫が棲みつき、それをねらってアユなどの川魚Click!が遡上してきている。川の上空で捕虫する、黄昏どきのギンヤンマを見かけるのは何年ぶりだろう。わたしの家でも、ミンミンゼミが窓から部屋へ飛びこんできたのは初めてのことだ。また、ベランダの網戸にアブラゼミがたかって鳴くのも、これまでにないことだ。
 このように、例年に比べ虫たちが急激に増えるという現象は、大正時代にも落合地域とその周辺域で起きている。1905年(明治38)生まれの女性が、いまだ結婚する前のことだというから、おそらく大正中期ごろの出来事だろう。その年に急増した虫は、セミでもトンボでもなくガの幼虫、つまり大きな毛虫だった。並木道を歩いていると、毛虫たちが葉を食べるサーサーという音が、頭の上から響いてくるほどの大量発生だったらしい。
 女性にとっては悪夢のような、身の毛もよだつ体験を語る当時の証言を、1989年(平成元)に中野区教育委員会から発行された『続 中野の昔話・伝説・世間話』Click!から引用してみよう。ちなみに、同書は証言者がしゃべったままの口語体で記録されており、当時の東京郊外で話されていた東京弁Click!(今回は地付き女性)を知るには、またとない貴重な資料となっている。
 
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 (船で)荷物に付いて来ちゃったんですってね、蛾が。それで、日本に来てひろがっちゃってね。そうしてね、クヌギの林がね、夏は葉が茂って真っ青になるわけでしょ。それをね、葉っぱをみんな食べてってね、丸坊主なんですよ。そのねぇ、木の葉を食べる音がね、その下を通るとね、サーサと音がしてるの。虫が木の葉っぱを食べる音が。で、雨が降っているように、サーサと音がしてるの。それでね、葉っぱ一つなしに食べちゃってね、みんな空(から)坊主にしちゃってね。(中略) もう、道なんか歩けないの。虫が這って歩いて、気持ち悪くて。そいでね、ちょっとでも触ったら、黒い毛がついちゃうんですよ。それが、とげみたいに刺さっちゃう。痛いんですよ、刺されるとね。もう本当に、いやだったね、あれ。何年か、二、三年そんなの。初めには、たまにきゃ見なかったけど、その次の年には、いっぱいそこら中、もう道なんか、大きくなって巣を作ろうとしてね、そいでね、這って歩いてるんですよね。踏んじゃうでしょ。気持ち悪くってね。もうお勝手から寝床にまで入ってくるんですよ。それでね、今度あのぅ、役場でそれを退治しなくっちゃしょうがないってんでね、薬を掛けて歩いてね、そいで退治しちゃったら、そいでいなくなったけどねぇ、ほんとに恐ろしいもんだね。
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 毛虫たちの食欲で、森林の繁みが丸ごと消滅してしまうほどの、すさまじい状況だった様子がうかがえる。おそらく、この毛虫は戦後の1970年代に各地で発生したアメリカシロヒトリの昆虫禍と同様、輸入された貨物のどこかに卵が付着していて、それが天敵のいない日本の環境で繁殖し、やがては大量発生に結びついたのだろう。
 当時の新聞をたどると、1917年(大正6)に各地で虫の大量発生が報じられているので、上記の出来事も同年だった可能性が高い。新聞報道では、演習中の陸軍兵士が次々と虫に刺され熱を出して入院したり、毛虫の大量発生により住民が被害を受けた記事があちこちに散見される。
 
 
 今年は、玄関や庭先でヘビやヤモリを見かけない。例年なら、玄関先にはシマヘビが必ずチョロチョロ顔を出し、ときにはアオダイショウの幼体Click!やヤモリが家内へ侵入してくるのだけれど、今夏は一度も周囲で悲鳴を聞かなかった。これは裏返せば、危険をおかして人間が生活するテリトリーへあえて侵入しなくても、森や草原にエサが十分豊富にあったせいなのだろう。虫が増加すると、それを食べる小動物も増え、さらに小動物を捕食する肉食獣の個体も増えていく・・・という食物連鎖がうまく機能している環境、それが今年の夏だったのではないか。ちなみに、このところタヌキを見ないが、「暑い夏は寝てすごすポン」と、もっぱら深夜に活動しているのかもしれない。

◆写真上:夏はミンミンゼミとアブラゼミが多い、野鳥の森公園の木洩れ陽。
◆写真中上:ウスバキトンボの群生がもどってきた、おとめ山公園の原っぱ。
◆写真中下:左は、家に飛びこんできたミンミンゼミの死骸。右は、御留山に棲む主の1匹。
◆写真下:上左は、おとめ山公園の弁天池。上右は、急斜面に建つ藤稲荷の本殿を裏から。下左は、御留山の山頂付近。下右は、セミの群唱がひときわ高い現・下落合西部の薬王院。
★最後に、9月に入ってからわが家で録音した下落合サウンドをどうぞ。ミンミンゼミとアブラゼミの「群唱」に混じって、秋の訪れを告げるツクツクボウシの声が聞こえる。
蝉時雨.mp3