「花月」で開かれた怪談会席Click!で、いちばん困っていたのが帝大の医学博士・橋田邦彦だろう。「ぃやぃやぃや、ど~もお疲れさまです。実は、あたしもこんな怖い経験をしてるんだ」などと話してしまえば、大学内でうしろ指Click!をさされるばかりか、ヘタをすると教授会で先任教授から「キミ、自然科学をなんだと思っているのかね?」などと追及され、教職を追われかねない危うさを感じていたかもしれない。事実、水を向けられた橋田は、多少しどろもどろになっている。
 だが、泉鏡花Click!は追いかけるように「死人の爪や髪が伸びるという話」は、ほんとうかどうかを訊ねている。それに対し、橋田は「さあ、そんなことはどうも私にはわかりませんが。見まちがひではないでせうか?」と、一度は質問をはぐらかそうとした。ところが、柳田國男Click!がすぐにそれを否定し、里見弴がつづけさまに事例をあげて問うと、まったくちがうことをいいだしている。
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 ◎橋田邦彦の怪談じゃない話
 人間は、呼吸が止み、心臓の鼓動が止つても、身体全体が死んではゐないのです。その間に、爪も髪も伸びても差支はありませんね。死ぬとすぐ爪を剪り、髯を剃つてみれば、すぐわかる話ですね。
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 泉鏡花と里見弴が、さらに「ほんとうにあった怖い話」の実例をあげて死者の“黄泉がえり”を追及しにかかるのだが、橋田は「そんな話もあるやうです」と返答に窮している。そこで、長谷川時雨が助け舟をだして話を引きとった。
 長谷川時雨Click!の怪談は、彼女が夫の三上於兎吉とともに、神楽坂の赤城神社も近い崖線沿いの赤城下に住んでいたころの出来事で、「死者の知らせ」あるいは「虫の知らせ」とでもいうべき異様な体験をしている。それは、死んだばかりの人間が座布団ほどの大きな顔になって、彼女のもとへ知らせにきたという怪談だ。
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 ◎長谷川時雨の怪談(その1)
 赤城下の路地裏にゐた頃の話です。(中略) 御承知でせう、詩人今井柏楊を。今でも銚子君が浜に三富朽葉、今井柏楊二人の碑がありますが、その頃、あの人達は銚子の別荘に暮してゐまして、三上も(中略)一緒にいつてゐたのですが、歯が痛くて東京へ帰つて来た翌日、昨夕ステーションまで送つて来た二人が水死したのです。その日あたしは鶴見の家までいつて、帰つて来たのは宵でした。細い路地を煉瓦塀に沿つて行くと、覆ひかぶさるやうに青葉が茂つてゐて、狭い潜戸のあるところまで来ると、木戸の上の、青葉の中に、突然、こんな大きな――今井さんの顔が、かう下を覗くやうにして、白い綺麗な歯並を見せて、にこりと笑つてゐるのです。(中略) その顔を、青葉の中にありありと見たあたしは、妙な気持で木の下闇をぬけて入つてゆくと、家の中は真つ暗で、しいんとしてゐるのです。急いで電燈を灯けて見ると、机の上の原稿紙に三上の筆跡で、大きく『三富と今井が死んだ。死骸を探しに銚子へ行く。』と書いてありました。
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 柳田國男は、おそらく全国で採集した怪談奇譚の中にも多くの事例があったのだろう、長谷川時雨の話と「虫の知らせ」とを結びつけているようで、「死の予感といふことは、あり得べきことです」と発言している。つづけて、平岡権八郎の奨めにしたがって、彼女は自宅の離れで「疫病神」を見たという話を披露している。
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 ◎長谷川時雨の怪談(その2)
 佃島に住んでゐた頃、妹が腸チフスで、離室の二階に寝てをりました。あたしはずつと枕頭に付き切りで看病してゐましたが、或る夜、ふと、後ろを振返つてみると、あたしの後ろに……床の間のずつと隅に、十五六とも覚しい男の子が、腕組みをして、しやがみこんでゐるのでした。その髪の毛は、ひよろひよろと焦げついたやうになつてゐて、顔は細長く、丁度茄子の腐つたやうな色艶をしてゐるのです。(中略) はつとして、とても、もう一度見るだけの勇気はありません。怖かつたんですが、こゝであたしが負けたら、妹はこのまゝ死んでしまふのではないか知ら、と思つたんです。(中略) うんと勇気を奮つて、あたしはもう一度、見てやつたのです。すると、そこには、もう何も見えないんでした。えゝ、それから妹の病気は、快くなりました。
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 柳田國男は「その眼に負けると最期です」などと、よくやったといわんばかりに時雨をたたえ、泉鏡花は「疫病神に勝ったわけですな」と称賛している。そのとき、橋本博士がどのような反応をしていたかは定かでないが、「ど~せ、床の間にあった軸画か、隅に置かれた三味かなにかを見まちがえただけじゃん」と、苦笑していたかもしれない。
 泉鏡花によれば、ある地域で目撃された「疫病神」の姿に多いのは「婆さんと乞食と坊主」だそうで、「坊主と乞食」の場合はそれほど深刻ではないが、「婆さんの疫病神」の場合はひつっこくて退散させるのがむずかしい……というような話をしている。加えて、柳田國男が「婆さん」疫病神の目撃例がいちばん多く、「人間よりは目下なんだから、これに負けてはなりません」と、わけ知り顔で教訓めいた話をした。
 ここにおよんで、帝大の橋田医学博士は「この人たち、いったい、なんの話をしてるんだよう!」と、出席したことを後悔したかもしれない。出席者の顔ぶれからして、当代一流の「文化人」たちだと思って「花月」にやってきたのに、いってることがわけのわからない世迷言だらけで、「誰か、こいつら止めてよ」とでも思っただろうか。
 鏑木清方の照夫人は、よほど怪談に遭遇する機会が多かったものか、泉鏡花ばかりでなく洋画家の平岡権八郎にも、あれこれと怪談話を語っていたようだ。平岡が「天井裏に消えたお婆さん」を話しだしたとき、橋田博士は「かんべんしてよ、そろそろお開きにしないかな?」と、天井を仰いだかもしれない。
 
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 ◎平岡権八郎の怪談(その1)
 鏑木の奥さんが、お産をして、産褥熱が堪(ひど)かつたので、夜中に、吊台で病院に運ばれて行つたことがありました。(中略) 病院に着くと、既に刻限過ぎなので、裏門の、死骸の出入りする非常口から、吊台を担ぎ込んださうです。(中略) 入院して二三日経つた或る夜、奥さんがふと眼を覚すと、仰向きに寝た奥さんの頭の後ろの上に、物凄い婆さんが、髪を振り乱して坐つてゐて、上からぢつと奥さんの顔を見下してゐたさうです。(中略) つまり、その婆さんは、空に坐つてゐたわけですよ。奥さんは、こ奴に負けてはならぬと、怖さを忘れて、睨みかへしてゐたさうです。(中略) やがてその婆さんは、忌々しさうに舌打をして、『お前さんは剛情な女だね。』と捨台詞を残しながら、すうつと、部屋の隅まで後ずさりして、天井裏へ掻き消すやうに見えなくなりました。
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 やたらに(中略)が多いのは、柳田國男と里見弴、泉鏡花が話に興奮して、随所で茶々を入れ平岡の話の腰を折っているからだ。この怪談は、泉鏡花も以前に照夫人から聞いていたらしく、平岡の話を引きとり、このあと看護婦が照夫人の病室へ駆けこんでくる、つづきのくだりから話しを接いだ。
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 ◎泉鏡花の怪談(つづき)
 その途端に、ばたばたと廊下を走る女の足音がして、慌しく入つて来たのは受持の看護婦でした。『奥様、何か変つたことはありませんか。』と、息をはずませて訊ねるので、お照さんは、『別に何ともありません。』 看護婦が、ほつとしたやうな顔付で、『実は、今、奥様のお部屋から、誰か出たやうな気配がしましたので、変だ……と思つてをりましたら、一つおいた次の病室の患者さんが、突然、天井を指さして、「何か来た。何か来た。」と譫言を言ひながら、息を引き取られました。』と話したさうです。これには流石のお照さんも、思はずぞつとしたといふことです。
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 「なにいってるんだよう。帝大病院でもよくあるんだけど、やつれた入院中のもうろく婆さんが、病室をまちがえただけなんだよう!」と、橋田博士はノドもとまで出かかったかもしれない。でも、それを黙って聞いていた里見弴が、「さう言はれると、僕にも思ひ当ることがありますよ」とすぐに次の話をはじめたので、「ヲイヲイ、あんたもかい!」と橋田博士はため息をついただろうか。
 里見弴の怪談は「疫病神」というよりも、「死神」の話だった。里見の話は、1928年(昭和3)現在から12~13年前に経験した大正期の出来事で、大阪に家族を置いたまま里見ひとりが、東京の父親の家で暮らしていたころのものだった。
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 ◎里見弴の怪談(その1)
 或る晩、私が散歩に出て、麹町の家に帰つて来る途中、或る寂しい横町の石垣の下に、折釘のやうに首ばかり前につン出した、白髪の婆さんが立つてをりました。(中略) 夏の宵のことで、まだ散歩の人もちらほら見えてゐるくらゐでしたから、私は別にその婆さんを怪しいものとも思ひませんでしたが、ほんのちよつと通り過がりに見たゞけにも拘らず、今日でも判然とその姿を思ひ浮べることができるほど、強く印象されてゐます。家に帰つてみたら、大阪の家内から電報で、長女の死を知らして来ました。(中略) 尤もこれは、もつと詳しく『夏絵』といふ作に書いておきましたが、まさか死神だとは、今が今まで考へて見たこともありません。
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 このような怪談会は、以前から「花月」で夏になると開催されていたらしく、小山内薫や泉鏡花が出席していた別の会もあったらしい。その席で、芸者の“花千代”が語った怪談が怖かったらしく、鏡花はこの席でも再び繰り返して語っている。
 
 このあと、泉鏡花が話を引きとって「死神」の話がつづくのだが、東京電燈副社長であり阪急電鉄や宝塚の立役者である小林一三は、いまだ仕事が抜けられないのか姿を見せていない。いちおう小林が到着するまで、「花月」怪談会はお開きにできないので、橋田博士は多少イライラしながら沈黙を守りつづけていたものか。「死神」につづいてフラフラ飛びまわる「人魂(ひとだま)」の話になると、彼は沈黙をやぶり一度だけ発言をしているのだが、もう半分ヤケになっているとしか思えない口調になっている。
                                   <つづく>

◆写真上:1890年(明治23)制作の、歌川芳幾『百もの語』の1作「雨女」(部分)。
◆写真中上:左は、座談会記事に描かれた小村雪岱の挿画「妖狐」。右は、歌川芳員『百種怪談妖物双六』(部分)より化けギツネの王者「金毛九尾の狐」。
◆写真中下:左は、こういう席ではいろいろと気配りを欠かさない長谷川時雨。右は、新橋の料亭「花月」の息子であり洋画家の平岡権八郎。
◆写真下:左は、小村雪岱の挿画「死神」。右は、本記事にまったく関係がないけれど、小学生のとき「少年サンデー」の連載で怖かった川崎のぼる『死神博士』。